第3話 この少女の成績はおかしい
再開のコールを待ちながら、腋の下に挟んでいたグラブを手に嵌めたサンダーは考える。
――――果たして、アンジェを打ち取ることができるのか?
エマのために、ウイニングボールはどうしても欲しかったが、それを手にするイメージをどうしても思い浮かべることができない。
それは、今シーズンのアンジェの成績をたどればわかる。
アンジェの打率は9割近い。もちろんチームの試合総数×3.1倍にあたる規定打席に到達した上で、だ。正確には今日の試合前までの成績は345打席を終えて、146打数128安打。
細かい数字もはっきりと覚えている。なぜなら、毎日病室でエマがその数字を口にしているから。もしかすると、彼女はサンダーの記録は覚えていないのかもしれないのに…………
今朝のエマとの会話で出た数字を、サンダーを思い出していた。
OPSが4.174、長打率は3.226、そして出塁率はなんと0.948だ。これは、打席にたって塁に出られない確率が約5%ということを示している。
20回打席に立ってアウトになるのは1回。1試合4回ほど打席に立つことを考えれば、アンジェがアウトになるシーンは5試合に一度しか見れない、ということを意味している。
したがって、今はアンジェがアウトになると、夜のスポーツニュースのトップで必ず取り上げられている。もちろん、ホームランを打てばそれもトップだから、トロリーズの試合が行われた夜のトップニュースは結局のところ、いつもアンジェだったのだが…………
ちなみに、出塁率のMLBシーズン最高記録は0.609。3回打席に立てば1回はアウトになる成績で過去最高だった。その過去最高の数字で言えば、毎試合一度は
長打率もおかしい。
長打率の計算方法は「塁打数÷打数」。極端な数字を上げれば1打数1安打1本塁打で4.000。これが最高になる。アンジェはそれが、四球を除いた146回の打席で3.226を示していた。これは、毎打席3塁打以上を放っている、ということを意味している。ちなみに、MLBの過去のシーズン最高記録は0.863。1.000すら越えていない。
OPSは言うまでもないだろう。過去最記録は1.422。それが4.174??
アンジェが上げたこれまでの数字は、他にもMLBの過去最高記録を大幅に更新するもの、あるいは更新が確実なものもあった。1シーズンで放った場外ホームラン数は23本。これはアンジェが放ったホームラン数の約1/4にあたる。連続試合ホームラン数は17試合、過去のMLB最高記録は8試合だ。連続打席ホームラン数は8打席で、これもMLBの過去最高は4打席。
笑ってしまうのは出塁の連続試合数記録だ。MLBの過去最高は84試合連続だが、もちろんアンジェはこの記録をすでに破っている。何故なら彼女は今シーズン、デビューしてから毎試合必ず出塁しているのだから。一試合も落としていない。アンジェは、2打席連続してアウトになったことなどないのだ。
今日もすでに、ファーボールで出塁している。なのでその記録は91試合となった。そして多くの人々は、今シーズン162試合全てで彼女が出塁するだろうと考えている。
サンダーの口元に、少しだけ苦笑いが浮かんでくる。
エマの「ヒーロー」のポジションをアンジェに奪われたのはショックだ。だが、新たな「ヒーロー」を追いかけるエマは、確かに命の灯を明るく燃やし始めた。
もしかすると、その火はエマの残りの命を使い切ることにつながるのかもしれない。だが、少なくとも毎日を生きるための希望をエマはその手にしっかりと掴んでいる。
アンジェという希望を。
――――うん?
ふと、サンダーの頭の中に、突拍子もない考えが思い浮かんだ。
このままアンジェにホームランを打たれたらエマが喜ぶのではないか、と。
だが…………
三日前、病室でエマと交わした会話が思い出される。
■□■□
『ねえパパ』
『なんだい?』
『明日からのトロリーズとの三連戦、パパとエンジェル様との対決はあるかな?』
『どうだろう? エマはアンジェとパパの対戦を望んでいるのかい?』
『うん、もちろん!』
『じゃあ、もしアンジェとぶつかることになれば、パパを応援してくれるかい?』
『ううん。パパとエンジェル様、両方を応援する』
『両方?』
『そう両方』
『それでパパが勝ったら?』
『嬉しい。キスしてあげる』
『じゃあ、パパが負けたら?』
『パパ、ダメよ。それじゃ!』
『え、ダメ? 何がだい?』
『パパが負けたらじゃないの。エンジェル様が勝ったら、なの』
『パパの負けじゃなくアンジェの勝ちが重要なのかい?』
『そうよ。二人とも私のヒーローなんだから!』
■□■□
そうだった。エマが一番望んでいるのは、サンダーとアンジェの真剣勝負だった。その結果がどちらに振れようともエマは喜んでくれる。
エマは、アンジェのことを愛称である「エンジェル」と呼ぶ。しかも「様」をつけてだ。だからこそ、アンジェとの対戦には真剣勝負が必要となる。サンダーに対する父としての尊敬と、アンジェに対する畏敬の想いは違っていても、エマの中でその本質はたぶん同じだろうから。
サンダーはしっかりと頭を横に振った。
邪な考えは打ち消そう。今は、アンジェとの勝負に集中するべきだ。
それにしても…………
改めてサンダーは思う。目の前の怪物――――いや、強敵が残した成績を。
彼女が打ったヒットのうちホームランは99本。ちなみにヒット数の総数は128本だからホームラン以外のヒットはたったの29本しかない。
おかしいだろう、どう考えても? 毎試合試合に出ている選手で、ヒットよりもホームラン数の方が多いなど? あり得ない!
そして四球数は199。いや、今日の試合はこれまで4打席4四球だったから、四球数はオールスター前までですでに200を超えた。メジャーリーグで、過去最多の年間四球数は232。今シーズン終了時にアンジェが最多記録を更新するのは、ほぼ確実だろう。
さらに彼女が今日まで打った打球は、全てが内野を越えている。ゴロは一度もない。
アウトになったのは18回だ。その内の1回は、一度もバットを振らなかった見逃しの三振。
それ以外は、例外なく外野手のファインプレーによるものだ。スタンドインしたはずのボールを、ジャンプして掴み取ったのが12回。残り5回も、フェンス間際でジャンピングキャッチした結果だ。
そして、彼女のホームラン以外のヒット数は29本だが単打は一度もない。3塁打が17本、2塁打が12本だ。打ち上げた打球は、その全てがフェンスまで必ず届いている。
また3塁打と2塁打の数の違いは、守備側がボール処理に戸惑ったからではない。ファインプレーによる連携処理で2塁打に留めた、といった方が良いだろう。全部が3塁打でもおかしくなかった。
ちなみに、彼女が放った99本塁打中、ランニングホームランは6本ある。彼女は走るスピードも尋常ではない。なんでも画像検証によると、彼女のベースラニングのタイムは6本ともに12秒台。陸上競技での100メートル換算なら10秒を切っているのでは? と言われている。
どこかのメディアが、100メートルの実測タイムを計らせて欲しいと言う依頼を球団に出したが断られたというニュースもあった。
まあ、走るスピードは今は考えなくて良い。
何故かといえば、これまで彼女が放った打球はその全てが、最低でもフェンスまで到達しているし単打もないからだ。仮に彼女が打った打球がスタンドインしなくても、アウトにできなければ3人がホームに返ってくることはほぼ確実だろう。同点にされてしまうことなる。
ちなみに、彼女が三塁ベース上にいたことがあるのは軽く50回を超える。ホームスチールしたことは一度もないが、それは単に不慮の怪我を恐れたベンチの判断だと言われている。彼女のコアなファンは、ホームスチールすれば全てが成功すると信じているそうだ。
走打ともに、度肝を抜く成績を残しているアンジェだが、ホームランについてもその驚きが向けられるは「ホームラン数」だけではない。ベースボールファンだけでなく、世界中の学者たちを驚愕させている。
まずもっとも飛んだ打球だが、サンフランシスコ・ティーターン球場で放った675.32フィートになる。メートル換算では205.83メートル。スプラッシュヒットを狙うカヌーに乗ったファンの上空を飛び越えた。もちろんこれはメジャー記録だ。
そして当然だが、アンジェがその最長ホームランを放ってからは、それまでポツポツと残っていた「忖度」という言葉を誰一人として口にすることはなくなった。
100マイルの速球を675フィートも飛ばすバッターなど過去に存在していない。それまでのメジャー記録は
アンジェの打撃を見た世界中の学者が言う言葉はただ一つ。「No way!(信じられない!)」だ。皆が共通してスラングを使うことが、その驚きの深さを現わしている。
他にも、アンジェが放つホームランは、いずれもきれいな弧を描くことで有名だ。ライナーは一度もない。それはスタンドインした際の観客の安全を守るためだという説もあるぐらいだ。
場外に打ち出されたホームランも人々を驚愕させている。
アンジェが所属するトロリーズの本拠地、トロリースタジアムで過去に放たれた場外ホームランは5本。これは一シーズンの記録ではない。トロリースタジアムが誕生してからの累計だ。
トロリースタジアムがピッチャー有利なスタジアムだから少ないとも言われているが、アンジェはすでにトロリースタジアムで6本もの場外弾を放っている。彼女がデビューしてからまだ数か月しか経っていないのに…………
とにかく、アンジェがホームランを放つたびに人々は度肝を抜かれ、そして熱狂を加速度的に増加させていった。
ゴロは一度もない。空振りもない。もっと言えばファールも一度もない。彼女が「打ち損じた」打球は一度もないと言われている。
打った打球全てがホームラン性の当たり? 馬鹿げている!
こんな打者が今まで存在しただろうか? もちろんNO!(否!)だ。
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