第2話 くそっ!何が「幸運を祈る」だ!
明るくライトで照らされているこの球場は、アンジェが所属するMLBのナショナルリーグ、トロリーズの本拠地、トロリースタジアムだ。
近くにはハリウッドやビバリーヒルズ、チャイナタウン、サンタモニカビーチなどがあり、カリフォルニア州の中心といえる場所だ。約55,000人の収容人数は、今日ももちろん満席だ。
「「「「ワーーーッ!!」」」」
「「「「エンジェル!!!」」」
サンダーは、止むことがない歓声を聞きながら一塁側の自軍のベンチに視線を向ける。その視線に「いいのか?」というメッセージを乗せて。
だが、監督はサンダーが送った視線を十分に理解した上で、サンダーに向けて人差し指と中指をクロスさせて持ち上げてみせた。フィンガード・クロスドのハンドサインだ。「幸運を祈る」という意味。
「くそっ!」
思わず声が上がる。何が「グッド・ラック!」だ。「バッド・ラック!」の間違いだろう!?
サンダーは心の中でいくつもの呪いの言葉を繰り返す。
というか、得点差は3点あるのだ。何も勝負する必要などないだろう? なぜ申告敬遠を出してくれないのか。申告敬遠に回数制限などない。今こそ使うべきじゃないのか??
どう考えても、すでにホームランを99本(!)も放っているMLBを代表すると言ってよい
チームには言っていないが、愛娘エマの手術は今月末に予定されている。彼女を勇気づけるため、どうしても今日は、対トロリーズ戦でのウイニングボールが欲しかった。今日は、その最後のチャンスだった。
11歳のエマは、8歳の時に膵芽腫と診断された。小児がんの一種だ。ステージは4。
生存率はあまり高くない。切除ができなければ5年生存率は0%というデータがある。サンダーはなんとしてでも今回の手術で、切除ができることを祈っていた。
今のところ医者からは、切除が可能かどうかは五分五分と言われている。幼い体ということもあり実際に開腹してみないと分からないそうだ。
それでも切除しなければ、彼女はおそらくHigh School(高校)に通うことができない。何が何でも手術は成功して欲しい。
だから――――サンダーは、エマの手術が成功することへの祈りを込めたtalisman(御守り)として、ウイングボールを望んでいた。
しかし…………
今、サンダーの前には、アンジェという超難敵が立ちはだかろうとしている。
アンジェが所属するトロリーズと、サンダーが所属するモンクースは、オールスター前の最終対戦となるここまで9試合を消化した。うち、サンダーが登板したのは3回。そしてアンジェと対戦したのは2回あった。
対戦成績は1打数1安打1四球。
いずれもリードした最終回での対戦だった。
最初の対戦でサヨナラホームランを打たれた次の対戦は翌日だったが、監督は申告敬遠を選択した。球場全体から大きなどよめきが起きたが、それは当然ともいえる。
サンダーは、抜群のコントロールを誇るピッチャーで、そして抑えのエースだったのだから。雨が降っているゲームで、うっかり手を滑らしてしまった死球を昨シーズンに一度だけ出したが、申告敬遠と言えど、四球を出すことになったのは3年振りだった。
前日、あんなホームランを打たれていなければ、監督に大反発をしていただろう。もちろん、今は違うが。
その申告敬遠のあとは、1アウト満塁となったが、サンダーは無事に2人の後続打者を打ち取りモンクースの勝利を勝ち取った。
敵地にも関わらず、スタンディングオベーションはサンダーに向けられた。試合終了時の、サンダーに向けられたあの大歓声が懐かしい。
ちなみに、サンダーが今シーズン、打点を献上したのは最初のアンジェとの対戦のみだ。アンジェ以外は、ほぼ完ぺきに抑えている。
だが…………
サンダーがアンジェと対戦したその試合は、いずれも4月の試合だった。あの時はまだ良かった。アンジェが注目を集め始めたばかりの時だったから。打たれても抑えても、そして敬遠しても、いずれもが、ブーイングとなり、そしてスタンディングオベーションとなった。
アンジェを申告敬遠で出塁させ後続打者を打ち取ったあの試合の夜、病室でエマも「パパ! 頑張ったね!」と褒めてくれた。前日のサヨナラホームランを浴びたショックも霧散するぐらい嬉しかったことをはっきりと覚えている。
しかし、今は違う。
今ならエマは間違いなくチームの勝利よりも、アンジェとの戦いに挑むサンダーの姿を望んでいるだろう。
なぜなら、活躍を、それも信じられないような活躍を一度も裏切ることなく積み重ねることで、アンジェは全米の注目を独り占めしてしまったからだ。
野球に興味を持たなかった者たちも、今や球場に足を運んでいる。アンジェが所属するトロリーズの5月以降の試合は、全て「満席」だ。雨が降ろうが関係ない。
その熱い視線を集めた理由は明らかだ。
見た目麗しい容姿をした17歳の少女がこれまでに残した成績は、誰もが認めざるを得なかったからだ。しかもそれは、過去に誰も成し遂げたことがない成績だ。
それに…………
成績だけじゃない。彼女が活躍した試合では、あの恩恵がある。誰もが「あり得ない」と口にして、そしてその口が塞がらない内に列をなして球場を訪れることになる「アレ」だ。
「アレ」とは、なんでも何年か前に、日本のプロ野球で優勝したチームの監督がシーズン開始当初から言っていた言葉で、どうやら「
それが、日本出身のアンジェが引き起こすその摩訶不思議な現象として認知されている「アレ」の語源と聞いた。
まあ、誰もが信じ、誰もが信じない「アレ」の話は置いておこう。科学的な証明がなされたわけでもない。
だが、ベースボールの実績については、皆がその目に焼き付けることができた。そして彼女の成績は「異常」と言えた。
当初は――――シーズン開始後、しばらくの間は対戦相手のチームがベースボールを盛り上げるために、
いや、聞こえるはずもない。シーズンの半分以上の試合が経過した現段階での
MLB初の女性メジャーリーガー、いや少女メジャーリーガーは、その初登場からまだ90試合しか経過していないにも関わらず、全米を揺るがす人気を誇ることになった。わずか17歳の少女が、これだけ注目を浴び、そして騒がれるのは、その実力を市井に見せつけたからに他ならない。
――――まだオールスター前だぞ!
そう、アンジェはまだ7月に開催されるオールスターの直前にも関わらず、すでに99本ものホームランを放っている。ちなみにチームの合計本塁打数で99本を上回っているのは、メジャー30チーム中、半分の15チームしかない。
――――さらに
今だに空振りは一度もない。345打席を終えているにも関わらずだ。
ただし、三振は一度だけある。
それは見逃し三振だったが、彼女は一度もバットを振らなかった。その三振のシーンも、後に多くのメディアで画像検証がなされ、ストライクの判定が誤っていたのではないかと大論争が引き起こされた。
その後、審判たちから、アンジェの打席で万一スリーストライクに当たる場面でストライクの判定をした時は、ビデオ判定で確認するべきではないかという暴論まで出ることになる。さすがにアンジェ自身がそれはやり過ぎだと諫めたのだが…………
そしてそれ以降、アンジェが見逃しでストライクの判定を、一打席に3球受けることはなくなった。
それが審判側の技術の向上によるものなのか、あるいはアンジェが審判に気を配った結果なのかは、再び議論されることになったが。
その時、スタンドから大きな歓声が上がった。
どうやらグラウンドに飛び出した観客が、大きな騒ぎを引き起こすことなくスタンドへと戻ったようだ。
間もなく試合が再開されるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます