異世界から来た少女は、メジャーリーグでホームランをかっ飛ばす!?
雷風船
プロローグ:9回裏、逆転サヨナラ満塁ホームラン!?
第1話 9回裏2アウト満塁からスタート!
side ノア・サンダー
ノア・サンダーはマウンドで夜空を見上げた。観客の大歓声が聞こえてくる。空には真ん丸の月がサンダーを嘲笑うかのように少し黄色の色を濃くして、ポツンと浮いていた。
『くそっ!』
自分のブロンズの髪色と似た色で輝く月に向かって、サンダーは心の中で嘆いていた。いつもなら、ナイトゲームで見上げる月は賞賛の色を輝かせて見守ってくれているはずなのに、今夜は違う。
9回裏、ツーアウト満塁。
得点差は3点。まるで神が拵えたかのような展開だ。
そして――――アンジェ・ミラーが無表情のまま左バッターボックスへと向かう。
その時、ライト側スタンドがどよめいた。何事かと振り向くと、おそらく興奮した観客のせいだろう、一塁側のスタンドから人が二人押し出されていた。主審が両手を上げて、ゲームを中断させる。
それを見たアンジェが、ネクストバッターズサークルへとゆっくり戻っていった。
『何をやっているんだ………だが……』
心の中で少し呆れた感じで呟いたサンダーだったが、グルグルと渦巻いていた頭の中を整理する時間が得られたことに感謝した。
ピッチャーマウンドで二度ほど軽くジャンプする。さらにグラブを手から外し脇の下に抱えると、ボールを両手でしっかり捏ねた。こうしてボールの縫い目を指で感じると、ピッチャーとしての習性が関係しているのか、あるいは精神安定剤の働きをしてくれるのか、不思議と落ち着きを取り戻せる。
今日は、どうしても勝ちたいゲームだった。それも、ゲームセットの瞬間に自身がマウンドに立っている状況が欲しかった。
その望みは、わずか数分ほど前、ほぼ手にしていたはずだったのだが…………
■□■□
サンダーは、110マイルの速球で打者を圧倒する右投げのリリーフ投手だ。もちろん、MLB最速の投手であり、昨年、一昨年と
今のナショナルリーグ西地区、いや大リーク全体でも、№1のリリーフピッチャーと言ってよかっただろう。今季もすでに35セーブを獲得、トップに立っている。断トツの成績だった。
いつもならピッチングマウンドに誇りを持って立っているはずのサンダーだったが、彼は今、心の中で大きく舌打ちをしていた。
『Missy!!』
Missyとは、直訳すると「この小娘が!」とでも言えばよいか。「chick(ひよこ)」という若い女性に向けられるスラングでなかっただけましかもしれない。もちろん、その言葉を口にして万一音声が拾わるようなことがあれば大惨事になる。そこまでサンダーは馬鹿ではない。サンダーの口元は閉ざされたままだ。
『ダメだ、ダメだ、ダメだ』
しかし、思わず吐いた悪態を、サンダーは慌てて心の中で打ち消した。
目の前でバッティングの準備をしている少女、アンジェ・ミラーは、サンダーの愛娘エマ・サンダーのお気に入りだ。いや、「ヒーロー」といった方が良い。
その愛娘エマの現・ヒーローを、父である
幸いエマはまだ、反抗期を迎えていない。だが、そのきっかけになる恐れは十分ある。
サンダーの顔を「見たくもない!」と拒絶されたら、間違いなく一週間は寝込むことになる。いや、その拒絶が終わるまで彼女のそばから離れらなくなるだろう。
そんな話を妻にこぼすと、「うふふ、気を付けてね」と軽く笑い飛ばされるのだが…………
昨年まで、彼女が病室で見ているベースボールの試合は、父であるサンダーが所属するモンクースばかりだった。
特にサンダーがリリーフとして投げた試合は、ベッドの上で飽きることなく一日中見ていたものだ。
『パパ! アウトコースの低めにグンと伸びるいい球を投げたね!』
どこかの解説者が言いそうな言葉を聞けたとき、サンダーの心は言いようのない幸せに満たされた。
しかし…………
今年のエマの観戦は、モンクースの試合をもちろん見ているが、そこにアンジェが所属するトロリーズの試合が加わった。
いや、何度も何度も繰り返し見ているのは、トロリーズの方が多いことは知っている。もちろん彼女に「なぜパパの試合より見ているんだい?」と問うことはないが。
今年、Elementary School(小学校)を終える年齢になった愛娘は「おませ」になっている。
『か弱いレディの活躍を見守るのが、ベースボールファンが歩むべき正しい道なの!』
一か月ほど前に、そんな言葉を聞いた時、サンダーは苦笑いするしかなかった。なぜなら目の前で対峙するアンジェは少なくとも「か弱いレディ」ではないからだ。
とにかく、そんな愛娘から拒絶の視線を向けられることになるであろう悪態は、絶対に口に出してはいけない。
「ふぅ…………」
サンダーは小さく息を吐き、心を沈めた。この呼吸法は、同じチームに所属する日本人ピッチャーから教わった方法だ。試してみると確かに冷静になれるいい方法だった。
――――そういえば…………アンジェも日本人だったな
そして目の前の少女を見る。
アンジェ・ミラー。
身長は160センチぐらい。右投げ左打。ショートを守っている。DHではない。細身で小柄な可愛らしいその体から、どうすればあんな打撃ができるのか、誰しもが目を疑う。
長いエメラルドグリーンの髪は、ポニーテールのように後ろで束ねて縛られている。髪色は染めているのではなく、実毛という噂だ。本当だろうか? あんなに明るい緑色の髪が自然のものだとはとても思えない。
まあ髪はファッションの一部だ。ナチュラルカラーだろうがアーティフィシャルカラーだろうが、個人の自由だから詮索すべきではないことは確かだ。
だが、その整った顔もまた、多くの人々の目を奪っていた。皆を魅了する強い魅力を放っているからだ。その澄んだ黒い瞳に見つめられれば、誰しもが目だけでなく心も奪われる。まるで人形のような美少女だ。
米国籍は持つものの、両親ともに生粋の日本人だが、その美貌は西洋人であっても惹きつけられる容姿をしていた。
しかし――――その華奢な見た目とは真逆な「風格」を纏っていることをサンダーは知っている。
アンジェは小鹿の皮を被っている猛獣だ。虎だ。狼だ。熊だ。間違いなく纏っている気配は、肉食系と言えた。
アメリカ人の狩猟家たちが特に強い憧れを抱いているアフリカの動物は、ライオン、象、サイ、スイギュウ、ヒョウだそうだ。「ビッグファイブ」と呼ばれているらしい。
アンジェが持つ雰囲気は、その「ビッグファイブ」すら歯牙にもかけない。サンダーからすれば、アンジェはどちらかといえば猛獣よりも「
ただ同時に真逆の、「
「気配」と「雰囲気」のどちらが彼女の本質なのかは分からない。サンダーは敬虔なクリスチャンだったからか、その本質は、天使と堕天使のイメージに置き換えられていた。
ゴクリ…………
サンダーは喉を鳴らした。夏にも関わらず額に浮かんだ汗が冷たく感じるのは、夜風のせいだと思いたい。
そんなサンダーの様子を見ながら、ネクストバッターズサークルで構えるアンジェのバットの先端が小さく二度揺れた。
「「「「ワーーーッ!!」」」」
「「「「エンジェル!!!」」」
アンジェのいつものルーチンだ。その動作を見て、球場全体から再び大歓声が上がった。アンジェの愛称である「エンジェル」の声援も湧き上がる。
――――そうだった、この少女は「エンジェル」と呼ばれていたんだな
さっきの自問の答えを無理やり引き出したサンダーは、もう一度小さく息を吐いて精神の動揺を抑えた。
そして球場内を軽く一望する。
その目には、満員の観客が、いくつものウェーブを引き起こしているまるでカリフォルニアの海を感じさせる光景が映っていた。
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