第2話 夜霧春部長の写真館。
ドアの向こうは、こじんまりとした小さな誰もいない部室。そんな空間に夕日が差し込んでいた。
普通なら活気もなく、寂しい一室だと思うかもしれない。けれど、わたしの足がそんなことはないと否定する。
吸い込まれるように足が前に進み、わたしは躊躇なく部室の中へと入って行く。
壁一面に貼られた風景写真。
上を見上げれば綺麗にグラデーションされた天井。
「……きれい」
「あたしの自信作だ」
天井には一日の空があった。
朝から始まって、次第に明るくなっていく。少しくすんだ雲が出ては雨が降り、また晴れる。青空と白い雲が続いて、日が暮れて夜になる。
左の壁には自然に囲まれた落ち着いた写真。右の壁にはビルや行き交う人々でにぎやかな写真。
「これ全部ハルちゃん先輩が撮ったんですか?」
「まぁね。それよりそんな近くで見ないで少し離れて見てよ」
そう言われてわたしは一歩下がると、「もう少し」とハルちゃん先輩がわたしの手を引く。
急に引っ張られ、わたしは転ばないようにとタタタっと足を素早く動かした。
すると、まるで魔法にでも掛かってしまったのかと思ってしまうほどに、わたしの視界には自然が広がったいた。
木の緑色と地面の茶色。他の色も繋がっていて、すごく幻想的な場所にわたしは立っている。
きっと世界中探し回っても、この壁一面に広がる場所は、ここにしかない。
「モザイクアート。写真を繋ぎ合わせて一枚にしてるんだ」
「……凄いです」
「すごいだろ?」
「ちょー、凄いです」
「ちょー!ちょおおっっっ、すごいだろ!?」
「はい!ハルちゃん先輩もしかして写真界隈じゃ有名だったり!?天才ですよ!」
「……あ~…………んー、褒めてくれるのは嬉しいけど、賞とか取ったことない」
ハルちゃん先輩の仕草は照れ隠しをしているようだったけれど、その表情は少し曇っていた。
「うそ、こんなにすごいのに……写真の世界がそんなにレベルが高いなんて」
「まぁ賞は取ってみたいけど、ののがこんなに喜んでくれるだけであたしは十分嬉しいさ」
「わたしは写真のことは全然分かりませんけど」
わたしは狭い部室を駆け回り、どれだけ凄いのかを全身で主張した。
自分で撮った写真なんてないのに、ハルちゃん先輩の写真を本人に自慢してしまう。
「これも!あれも!モザイク?なんかっ物凄くて!一枚一枚で見ても綺麗で、温かくて、本当に凄くて…………ここ、なんで空白なんですか?」
わたしはにぎやかな写真が貼られている右の壁を指差した。
しかも壁の真ん中で、大きな空白が不自然に感じる。あえてそうしているのかもしれないけれど、素人から見てもこれで完成しているとは思えなかった。
「あー、そこにはもう決めてる写真があるんだ。でも今はない」
わたしは小首を傾げ、頭上に?を浮かばせた。
決めているのに今はない。なぞなぞ?かと頭を働かせていると、ハルちゃん先輩は「もう一つ、ののに見せたい物がある」と言って一枚の紙を机に置いた。
紙、というだけでわたしの息は止まる。
これは絶対アレだ。名前を書いて先生に提出するアレ。
「ののはどっちがいい?」
ハルちゃん先輩は右手に水鉄砲、左手にボールペンを持ち、小さな子供のように笑った。
わたしが悩んでいると、ハルちゃん先輩はしたり顔で近づいてくる。
「ハルいるー?っとぉ、お邪魔だったかな?」
ガチャっとドアが開くと、知らない女の人が顔を覗かせていた。
その人もハルちゃん先輩と同じような顔をして、ゆっくりとドアを閉めていく。
「変な想像してんじゃねーぞ?お姫さん」
「変な想像をさせるような行動は慎むように、お嬢さん」
ハルちゃん先輩の友達だろうか?お互い怖い顔で睨み合って、今にも取っ組み合いが始まりそうな雰囲気。
……でもあれはお互い本心じゃないって、なんとなく分かってしまう。多分……。
「そう言えば、もしかすると君、新入部員?」
「あ……」
お姫さん、と呼ばれるその人は、わたしの目から見ても凄く綺麗だった。
背も高く、スラっとした体形、サラサラな髪の毛に大きな瞳。
そんな綺麗な人に近くにいるだけで、わたしの心臓は激しく脈打ってしまう。
髪を耳に掛ける仕草も、色っぽくて。
その大きな瞳で見られると全てを見透かされているようで、何を聞かれてもわたしは正直に答えてしまうだろう。
「どうしたの?」
お姫様がどんどん距離を縮めてくる。
歩き方もどこか自信に満ち溢れていて、意志の強さが顔に出ている。
わたしの目にはもう、絵本に出てくるような王子様にしか見えなかった。
「……え、と。その……お姫様より王子様みたいだなぁって思って」
何を言っているんだわたしは?女の人に対して男みたいだねって言ってるようなものだ。
先輩に対してなんて失礼なことを言ってるんだ……。
「……あっはははは!!!!」
「……なんでハルが笑うのよ?」
「あ、あのっごめんなさい!失礼なこと言って……」
「別にいいよ。それに、悪い気はしないから」
先輩の微笑む顔は可愛くて、ここはお姫様みたいだなって思った。
「で?我が校のお姫様、
「フルネームで呼ばないでよ。またハルに撮ってもらいたくてね」
ハルちゃん先輩と仁見先輩は二人で喋っている。
わたしはただそれを見ているだけ。でも、仲間外れや放置されてるなんて微塵も思わなかった。
わたしはただその光景をレンズ越しに見て、何を感じたのだろうか?それは分からないけれど、ただ体が勝手に動いては、静かにシャッターを押していた。
「やっぱ新入部員なんだ」
「あたしの真似かー?生意気な」
「え?……あっいやこれは違くて!」
両手で作ったカメラはすぐに、否定するポーズへと変わっていた。
でも二人に向けていたその手は、次第に握り拳となって沈んでいく。
「わたしに出来ますか?……カメラ」
わたしは床を見つめながらポツリと呟く。
どんな反応をされるのか怖くて、わたしは顔を上げられないでいた。
「誘っといてなんだけど、それじゃあ出来ないね」
ハルちゃん先輩が否定する。わたしは心のどこかで明るい言葉を期待していた。だから、その言葉は深く突き刺さった。
「確かに出来ないね」
仁見先輩もハルちゃん先輩に同調していた。
「だって、下を向いてたら撮れないでしょ?」
仁見先輩はそう言ってわたしの顔を強引に上げると、優しく微笑みかけてくれた。
「下向いてたら地面しか撮れないからな。そんなつまんないの撮る気か?」
「ひへ……ひやでふ」
「じゃあ前を向け」
「……ひゃい」
そうしてわたしは入部届に名前を書いて、ハルちゃん先輩に渡した。
部活を決められた安心感と、これからどうなってしまうのか分からない不安感が、わたしの中をグルグルと駆け巡っていた。
「ハル、やっと二人目だね」
「三年でようやく二人かぁ」
「二人?ハルちゃん先輩が部長ですよね?わたしの他に誰かいるってことで……すよね?」
先輩二人が目を合わせてから、わたしの方へ視線を戻し、また二人は合わせるように首を横に振る。
「ののだけだ」
「私から見たらもう揃ってるね」
「ええー!写真部ってハルちゃん先輩だけなんですか!?」
「もうあたしだけじゃない、ののもいるっ」
ハルちゃん先輩は腕を組んで得意気な顔をしている。それでも二人だけだ。
この写真部は部として認められているのだろうか?
もうわたしの中には、不安だけが元気よく走り回っている。
「ののが心配するのは分かる。でもちゃんと部として認められているから大丈夫だ」
まるで心の中を読んだかのようにハルちゃん先輩は、わたしの不安を取り除こうとしてくれた。
「校長と教頭はあたしに逆らえないから安心したまえ」
そんなの聞いたら全然安心出来ない。
せっかく止まっていた不安がまた元気に走り出し始める。
「そんな心配そうな顔しなくても大丈夫だよ。私が知る限り大きな問題は起こってないから」
「小さい問題は起きてるんですか?」
「…………大丈夫。そんな心配そうな顔しなくても」
「あったんですね!?そうなんですね!?」
仁見先輩は分かりやすく目を逸らした。
「だいじょーぶだって」
「ハルちゃん先輩が言う大丈夫は大丈夫に聞こえません」
「ごめんごめん。意地悪しちゃった。本当に大丈夫だからね」
仁見先輩がわたしの頭を撫でる。
それが妙にくすぐったくて、恥ずかしくて、でも少し気持ちよくて、先輩とはいえ同性なのに、こんな気持ちを抱くのはおかしいんだろうか?
褒められながら頭を撫でてほしい、なんて考えてしまう。
「のの、気を付けろよ。コイツの表は裏だ」
「表?裏?」
「ハールー?何を言ってるのかな?私はいつでもこんな感じなんだから、変なこと言わないでね?」
「本当は王子様みたいな人じゃないってことですか?」
「……」
「……」
しまった。また失礼なこと言っちゃった。
「
「はい」
「……面白いね。気に入ったかも」
仁見先輩はそう言いながら、わたしの唇を親指で撫でては、不敵な笑みを浮かべていた。
「じゃあそろそろ行くね。ハル、写真の件頼んだよ」
「おぉ、任せろ」
「またね。露乃」
「は、はいっ」
サラサラな黒髪をなびかせ、仁見先輩は部室から姿を消していく。
またわたしの心臓は強く脈打ち、仁見先輩がわたしの名前を呼ぶシーンが頭の中でループする。
またね。露乃。
露乃……つゆの……。
「なんだ、変な顔して」
「しっしてないです!」
「……まぁ、明日から頼むぞ?今日は解散だ」
そうしてわたしは無事に部活が決まり、触ったことのないカメラで写真を撮ることになった。
不安はまだまだ拭いきれないけれど、やっぱり楽しみな部分があるのもちゃんと感じていた。
家に帰ってもあの部室で感じた感動は色褪せることなく、いつかわたしもハルちゃん先輩のように撮ってみたい。
そう思うようになっていた。
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