わたしのレンズにはもう、あなたしか映らない

枯花―かか

第1話 ようこそ写真部へ。

 わたしは高校一年生になってから頭を悩ませていることが一つある。

 昼休み中だというのにわたしだけが眉間にシワを寄せて、一枚の紙を顔に近づけていた。


「え、もしかして露乃つゆのまだ部活決めてないの!?」


 木下睦月きのしたむつきがわたしから取り上げたのは、部活一覧の紙。

 わたしが悩んでいたのはどの部活に入るかだった。


「中学でもやってたバレーでいいじゃん。露乃は万年補欠だったけど」

「うるさいよ睦月。補欠でも楽しかったからいいの」

「じゃあバレーでいいじゃん」

「それは……」


 それはちょっと違う。わたしは、バレー部のみんなと同じ目標、同じ空気、同じ気持ちを感じていたからあの三年間を楽しめてたんだと思う。


 試合に出ると真剣な顔で頑張る先輩と後輩、もちろん同級生も。

 試合に勝つと笑いながら抱き合って喜びを分かち合い、負けても抱き合って泣いて、それを応援するわたしたちも笑ったり泣いたり、同じようにそれを感じていた。


 でも、やっぱりコートの中と外では感じ方が違っていたかもしれない。

 数日経ってもレギュラー陣は落ち込んでて、そんな姿を見てわたしは、不思議に思っていた。


 あぁ、わたしは、本気でバレーをしていなかったんだ。って今は思っている。


「睦月は、また走高跳はしりたかとび?」

「もちろん!私は全中二位様だぜっ!?」

「先生からも期待されてるんだって?」

「まぁね。この応清おうせい高校で一位でも取って有名にしてやるのがぁ、私の夢!」


 睦月は自慢げに胸を張る。

 スポーツ選手だというのに、肌は白く、髪も肩まである。

 なんでも黒くなるのが嫌で、日焼け止めを念入りに付けているとのこと。

 それでも、薄っすらと日焼けの跡が残るけど、わたしは頑張ってる証なんだからいいじゃんって思う。

 それと、試合の時には髪を編みこむ睦月が、結構好きだったりする。可愛いし、なんかスイッチが入ってる感じでかっこいいから。


 そんな睦月は見ての通り明るくて元気で、小さい頃からわたしは睦月に何度も元気をもらっている。

 全国の中学の中で二位は本当に凄いと思っている。応援に行った日は今でもよく覚えているし、忘れられない。


 器用に背中から飛び込んでは体を逸らし、棒に当たりそうなのに当たらなくて、そんな睦月が高く高く跳ぶところをわたしは知っている。



 睦月が凄いのはよく分かっている。

 睦月が高く跳べるのをよく知っている。


 だからこそ、わたしは知っている。

 睦月があの時、トイレで悔しそうに泣いているのを。

 でも睦月は次の日にはケロっとしていて、いつもの明るい睦月だった。

 わたしはあの時改めて思ったんだ。本当に本当に睦月はすごくて、強い女の子なんだって。



「まぁ露乃は運動神経がいいってわけじゃないしな」

「自分が一番よく分かってることを言わないで。落ち込むから」

「ごめんごめん。じゃあ文芸部は?絵とか音楽とかさ?応清って無駄に部活豊富じゃん?」

「豊富だから迷ってるんだよー。いくらなんでもありすぎだってコレ」


 わたしはまた紙を睨んだ。

 登山、釣り、体操、チア、華道、映画……ここって大学だった?


「絵とか楽器のセンス皆無だしなぁ、わたし」

「確かにそうだった」


 睦月は何か思い出したかのように納得していた。


「露乃って何ができるの?」

「……二位様はいいですねぇ?そこまで偉くなれるなんて」

「全中二位だぞ?凄くて偉いに決まってるだろ!」

「凄いのは知ってる!でも偉そうにするなら一位取ってからにして!」

「つーゆーのー……言っちゃいけねぇことを言ったなぁ?」

「さぁ?忘れちゃったなー」

「この三年間でぜってぇ全国一位、いや世界一位になってやるからな!見てろよ!」


 睦月は鼻息を荒くしてわたしに指を差し、宣言した。

 高校生が世界一なんてどれだけ険しく大変なことか、睦月はよく分かってなさそうだ。



 これが睦月の凄いところだ。



「いいよ。ちゃんと見てる。睦月が世界一になるところ」

「……お、おう」



 そしてわたしたちはお弁当を広げ、他愛ない雑談を始めた。

 笑ったり、時には些細なことで言い合って、本当にわたしたちは子供の時から何も変わっていない。

 でもそれが心地よくて、安心できて、睦月とわたしが変わらずにこのまま友達でいられる。ここがわたしにとって大切にするべき場所なんだろう。



「……なんか廊下騒がしくない?」


 そう言って睦月が廊下に目をやると、釣られてわたしも後ろを振り返る。

 教室の入り口には目つきの悪い、というより、開き切っていない眠そうな目で誰かを探している小さな女の子がいた。


 おでこを主張するような短い前髪。そして明るい茶髪。

 ジャージ姿だけど、規則なんてお構いなしって感じでぶかぶかなパーカーを着ていた。


 迷子?なわけないか。


「……――!」

「どした?」

「目が合っちゃった」

「やっと見つけたー。探したよ」


 わたしが恐る恐る声のする方に顔を向けると、案の定その小さな女の子はわたしの隣にいた。

 近くで見てもやっぱり小さくて、その目に見つめられるわたしはどこか不思議と体が固まってしまう。

 目つきが怖いからではなく、距離が近いからでもない。

 魔法とかそういった不思議な力が働いているんじゃないかって思うくらい、わたしはその目に吸い込まれていた。


「おじょーちゃん?ここはねぇ、高校生が通う学校なんだよぉ?それとも届け物かなぁ?」


 睦月もこの子が迷子だと思ったらしい。

 いや、迷子なわけがない。

 わざとなのか睦月は小さな子供に接するような口調で話しかけた。実際小さい女の子だけど、小さな子供じゃない。


「お姉ちゃんが先生の――!!」

「誰がお姉ちゃんで誰がお嬢ちゃんか、教えてやろうか?」


 その女の子は黒く、重そうな鉄で出来た物を睦月の顔に向けた。


 うん、アクション映画とかでよく見るやつ。

 人差し指一本で簡単に人が死んじゃうやつ。

 当たると血がたくさん出て、絶対痛いやつ。


「じゅっ、じゅじゅっ――!!」


 睦月が目を見開いて慌てると、小さな女の子は少しだけニヤリと笑い、ためらいもなく引き金を引いた。

 映画のように耳がキーンとなりそうな大きな音と、小さい鉄の塊が飛び出し、睦月は血を流して、もがき苦しみ、そして死んだ。


 ……なんて、そんなことはありえない。ここは日本で学校だ。

 誰もが偽物だと分かる。

 それなのに睦月は、偽物の銃から勢いよく噴き出した水を浴びながらも、身振り手振りで慌てふためいていた。



「あっはは!お前面白いな!」

「やっやだ!私は世界一になるんだっ!」

「睦月、水鉄砲だってば……」


 わたしが睦月の頭を叩くとピタリと止まり、顔を徐々に赤く染めていく。


「……こっ、このガキ!なにすんだ!」

「ガキじゃねえよ、これでも三年だ」

「……うそ」

「…………なぁんだ!先輩ならそう言ってくださいよー!」


 睦月はすぐに態度を変えて先輩の肩を揉み始めた。

 さすが体育会系。上下関係の怖さを分かっている。


「まぁこの可愛らしい見た目じゃ間違えるのも仕方ない。不問にしてやる」

「あざーす!」

「えっと、それで先輩は一年の教室で何か用があるんですか?」


 肩揉みが気持ちいいのか、先輩の顔は少しとろけているように見えた。


「あー、そうそうお前に用があってさぁ」

「わたし、ですか?」


 何か先輩に目を付けられるようなことをしただろうか?

 わたしにはそんな記憶はない。それにきっとわたしたちは初対面だ。




「お前、写真部に入れ」



 先輩の口から出た言葉は部活の勧誘。

 わざわざわたしを探して部活勧誘なんて、全然分からない。

 いきなり写真部に入れって言われても、わたしはカメラなんて触ったこともないし、親が有名な写真家でもない。

 だから先輩はきっと人違いをしているんだと思う。

 素人を勧誘なんて……。


「そうだ!部活!早く決めなきゃ!」


 わたしは引き出しにしまった紙をまた睨む。


「もしもーし?」

「すいません先輩!わたし部活決めなきゃいけないんです!」

「だから写真部に入れって言ってるんだよ」

「え?」


 先輩は手で作ったカメラ越しに、呆然とするわたしの顔を覗いている。


「お前はカメラを持つべきだ。あたしのカメラにはそう映ってる」


 先輩の目は真っ直ぐにわたしを見つめていた。

 レンズ越しに映るわたしは、いったいどんな風に見えているのだろうか?

 わたしがわたし自身をカメラに捉えることは出来ない。だからこれは先輩にしか分からないことだ。



「先輩先輩!私は!?世界一になれます!?」

「知らん」

「いや、さっき露乃にしたみたいに見てくださいよ!」

「あたしの意思じゃない、このカメラは人を選ぶんだ」

「それ先輩の手!むしろ意志持ってないとダメだって!」


 睦月と先輩はもう仲良しになっている。


 ……写真、カメラ。

 わたしはスマホのカメラくらいしか使ったことしかない。素人も素人、超素人のわたしに出来るんだろうか?



「あー、いきなり入部しろは困るよな……ごめん。とりあえず今日の放課後迎えに来るから、逃げるなよ?」


 先輩はそう言って教室を出て行った。

 申し訳なさそうに謝るのはいいけれど、その後の言葉で台無しだ。

 謝るどころか脅してくるなんて、わたしは厄介な先輩に目を付けられてしまったかもしれない。

 あまり不良って感じはしなかったけれど、それでもやっぱり先輩というだけで、怖さはある。



「すげぇ先輩に目を付けられたな」


 睦月も同じことを思っていたらしい。

 それはそれで少し気持ちが楽になる。ほんの少しだけ。


「睦月、ついて来てくれたり?」

「無理。部活あるもん」

「だよ、ね」



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 そしてすぐに約束の放課後になる。

 チャイムと同時に教室のドアが開き、わたしを含めクラス中の視線がその人物に向いた。

 その人物はもちろん先輩だ。

 先輩と目が合うと、少し口角が上がったように思えた。

 いや、気のせいじゃない。絶対笑ってた。


「まだHR中だぞ!夜霧やぎり!」

「今チャイム鳴りましたよ?」

「いいから出て行け!」


 先生に怒られると先輩は、やる気のない返事と一緒に姿を消した。


 あの先輩の名前、夜霧やぎりって言うんだ、ちょっとかっこいいかも。

 じゃなくて、これは大人しくついて行った方がいいかなぁ。別に逃げる気はないけど、ここまで求められるのはちょっとだけ嬉しいかもしれない。

 とりあえず見学だけでもいいよね?



 わたしの脳裏に夜霧先輩の顔が浮かび上がると、次第に不安になってきてしまう。

 夜霧先輩が姿を消してから五分ほどでHRが終わり、わたしは鞄を持って廊下を見た。

 もちろん透視なんて超能力はない。それでも壁の向こうには夜霧先輩が立っているように思えてしまう。


「露乃がんばれよー」

「他人事だと思って……」


 睦月は無邪気な笑顔でわたしを見送ってくれた。

 そしてわたしに超能力はないのに、夜霧先輩はちゃんと壁にもたれ掛かっていた。


「おまたせ、しました」

「気にするな、なんせ貴重な新入部員なんだ」

「……」

「部室行くぞー」


 夜霧先輩は壁から背を離し、写真部の部室へ向かって歩き出す。

 その小さな背中を隠すように、巻いた後ろ髪がフワフワと揺れる。わたしは数歩後ろから、その姿を静かに見つめながらついて行った。


「あのー夜霧先輩?とりあえず見学だけですよね?」

「あたしのことは夜霧ちゃん、もしくはハルちゃん先輩と呼べ」


 わたしの質問には答えず、唐突に呼び方を選ばせられた。

 どちらもちゃん付けだけど、三年生の先輩を呼ぶなら……。


「じゃあ、ハルちゃん先輩で」


 わたしが呼ぶとハルちゃん先輩の背中は、どこか嬉しそうに見えた。

 先輩に対して少し失礼なのかもしれないけれど、正直可愛いと思った。

 見た目が小学生みたいってこともあるけど。


 ハルちゃん先輩は立ち止まり、少しだけ後ろを振り向いては、わたしの呼びかけに答えてくれる。


「なに?……………………あー、名前なんて言うの?」

「……露乃です。水野露乃みずのつゆの

「みずの、つゆの……おっけ覚えた」


 ハルちゃん先輩は前を向き直して進み始める。

 次第に人気ひとけが無くなり始め、しばらく歩くともう周りには人はおらず、わたしたち二人だけになっていた。

 わたしはこの状況に不安や焦りを感じ始めている。

 やっぱり逃げれば良かったんじゃないかって後悔すると、ハルちゃん先輩は立ち止まり、大きく両手を広げながら振り向いた。


 ハルちゃん先輩の眠そうな目は開き、フワフワした髪がなびいて、満面の笑みをわたしに向けてくれる。




「ようこそ!写真部へ!!のの!」




 今日は厄日かもしれない。部活も決まらない、おかしな先輩に勧誘される、変なあだ名までも付けられる。


 だけど、そんな厄日で沈んだ気持ちは徐々に浮上していき、気付けばフワフワと高く飛び上がっていた。


 ドアが開かれ、その光景を目にすると一瞬でわたしの心は魅了されてしまった。



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