第30話 エピローグ2 特別顧問就任おめでとうございます

 時は少し遡り、飲み会が行われた翌日のこと。


「……ここ、何処?」


 とても深い眠りから覚めた私は重い瞼を持ち上げた直後、周囲を見回してポツリと呟いた。

 知らない場所だ。少なくとも、見慣れた自宅ではない。やけに薄暗くて部屋の全貌が見えず、しかし、とても広い空間であることだけはわかる。


 二日酔いの影響で鈍痛が響く頭に手を当て、昨晩のことを振り返った。

 えっと、何があったんだっけ。確か私は昨日、ゼファル君と楽しくお酒を飲んで、彼に多大なご迷惑をおかけしてしまって、それから、彼の膝で卵を……あ、私、とんでもないことしてる。


 猛烈な羞恥心とゼファル君に対する罪悪感に襲われ、頭を抱える。

 わ、私、どんな顔して素面で彼に会えばいいのか……ッ。

 自分のしでかしたことの大きさに猛烈に死にたくなっている時、不意に聞き覚えのある声が私の鼓膜を叩いた。


「おはようございます、シェルファ先生」


「! エフェナさん?」


 声のしたほうを見ると、私の傍にエフェナさんが立っていた。

 薄暗くてぼんやりとしか姿は見えないけれど……声音からして、笑っていないことだけは理解できた。

 

 もしかして、私はエフェナさんを怒らせるようなことをしてしまった?

 不安に駆られて問おうと口を開くが、声を発する直前、エフェナさんが先に言った。


「ここは女子寮の地下室です。シェルファ先生が眠っている間に、No.3と共に運ばせてもらいました」


「な、No.3? っていうか、女子寮の地下にこんな部屋があったなんて……」


「知らないのは当然です。ここは公にされていない、言ってしまえば秘密の部屋ですからね。特殊な隠し扉の存在を知り、また専用の鍵がないと入れません」


「へ、へぇ……あの、どうして私はここに?」


 座っていた椅子から立ち上がり、問う。

 一体なんの目的で私をここに運んだのか。

 警戒して目を細める。と、エフェナさんは私の傍から離れ……近くにあった燭台の蝋燭に火を灯した。


 光源が生まれたことで、彼女の顔が鮮明に見えた。

 視界に映った彼女は……何だか、寝不足のように見える。目元には色濃い隈が浮かんでいるから。


「昨晩のことは憶えていますか?」


「え? あ、えっと……何となくは」


「では、細かな説明は不要ですね」


 告げ、エフェナさんは続けた。


「この地下室は現在は我々──愛しの先生親衛隊ファンクラブの集会場として使用されています。そして、この場に貴女を拉致──失礼、お招きした理由は、今後のことをお話するためです」


「今、拉致って言ったよね?」


「気のせいです」


「いや、言ってたよ!? 確実に!」


「そんなことはどうでもよろしい」


「よくないよ!?」


 声を大きくするが、私の抗議は受け付けて貰えなかった。


愛しの先生親衛隊ファンクラブはゼファル先生を影から見守る愛の騎士たち。高潔故に、多くの規律を持つ組織です。愛は持てど、過剰な接触は禁じている」


「そ、そうなんだ……」


「そして……シェルファ先生。貴女は最も犯してはならない罪を犯してしまいました。抜け駆けという、大罪を」


 キッ、とエフェナさんは視線を鋭くした。


「ゼファル先生の同意もなく研究室に卵を置き、自分の卵を使った食物を摂取させ、更には彼に寄り添われながら産卵をする……なんて羨ましいっ! 私は受け取ってすら貰えないのに……ッ」


「改めて聞くと私はとんでもないことを……」


「本来であれば、抜け駆けは重罪であり……断罪会議で死罪が言い渡されるものです」


「し、死罪って──」


 エフェナさんの口から語られた言葉に、私は唖然とした。


「ちょ、ちょっと待って!? 死罪って、国家でないと決めることができない刑罰だよ!?」


「無論、死罪と言っても社会的な死です。具体的には裏で入手した先生の秘密を学院中に暴露するとか」


「陰湿すぎる……え、ていうか私の社会的に死ねるような弱みを握っているってこと?」


「勿論ありますよ。例えば……真夜中にクロワッサンを四つも食べた上に、スープまでおかわりしたこととか」


「いやぁッ! 食いしん坊だと思われちゃうッ!」


「他にもゼファル先生の研究室で彼の上着の匂いを堪能していたとか、ゼファル先生の写真を見ながら涎を垂らしてニヤニヤしていたとか、色々あります」


「……して。もう、殺して……」


「ですが、そんなことをすればゼファル先生が心を痛めてしまう」


 エフェナさんは胸に手を当てた。


「我々の理念は、ゼファル先生の幸福を守ること。罰を与えるためにそれを無下にしてはなりません」


「よ、よかった」


「そこで、です」


 人差し指を立て、エフェナさんは私に言った。


「昨晩の一桁会員シングルナンバー臨時会議で議論した結果──先生には、愛しの先生親衛隊ファンクラブに入会してもらうことになりました」


「入会? 一員になれ、ってこと?」


「はい。ですが、ただの会員ではありません。学生ではない先生には──特別顧問になっていただきます」


 何やら立派な役職。

 けど、それは一般の会員と何が違うのか。そして私には拒否権はないのか。


「あの、特別顧問って具体的にはどういうものなの?」


「簡潔に言えば、会員たちの活動の補佐をしていただきます。会議の議事録を取ったり、要望された物品を撮り揃えたり……無論、報酬は出しましょう」


 そこで一度言葉を止めたエフェナさんは懐に手を伸ばし、そこから取り出した一枚の写真を私に手渡した。

 写っていたのは──。


「ぜ、ゼファル君の、寝顔!? なんてエッチな──ッ!」


「働きに応じて、我が会員の聖なる見守り隊ホーリーエレメントストーカーズが撮影したゼファル先生の写真を差し上げましょう。基本的には健全なものばかりですが、時折、素肌を写したものもありまして」


「是非、特別顧問をやらせていただきますッ!」


 迷うことはなかった。

 通常では入手することのできない、ゼファル君の写真。これを報酬として獲得できるのであれば、どんなことでもやる。

 嗚呼、私は本当に駄目な女。

 でも、赦してね。これもあまりにも魅力的なゼファル君にも非があることなんだから。


「では、本人の承諾も得たということで──」


 フッと不敵な笑みを浮かべたエフェナさんはくるりと身体の向きを変え──両腕を掲げ、大きな声で言った。


「誉ある会員たちよッ! 今この瞬間から、シェルファ先生は我が組織の特別顧問に就任しましたっ! これから仲間として、彼女を迎え入れてくださいッ! 新たな同胞の誕生に、盛大な拍手を──ッ!」


 エフェナさんの呼びかけに応じて、周囲からは何十、いや百人を超える会員たちが一斉に拍手を贈った。

 手を叩く音に混じって『おめでとう』という言葉が幾度も聞こえた。

 

 暗がりで全くわからなかったが、この室内にはずっと他の会員たちが待機していたらしい。気配を全く感じなかったけど、魔法でも使ったのか……。


 大きな拍手が空間に響く中、その中央に立つ私は受け取った写真を胸元に抱きつつ、引き攣った笑みを浮かべた。


「ゼファル君……とんでもない組織に護られているんだね」


 想い人である美しい後輩。

 彼のことを脳裏に思い浮かべながら、私は少し──いや、かなり彼に同情した。


「ちなみに次に今回のようなことやったら殺しますからね?」


「あ、はい。肝に銘じます」

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