第29話 エピローグ

 休み明けの朝、学院の研究室にて。


「しかしまさか、彼の海洋竜リヴァイアサンの卵だったとは……驚きですね」


 ソファ前の机に並べ置いたビーカー、その中に入った青い卵を眺め、エイザはピコピコと頭部の獣耳を動かしながら言った。


「希少種の亜人の中でも、特に希少な卵。まさかこんな形でお目にかかることになるとは思っていませんでしたね。世の中、何があるかわからないものです」


「それについては全く同意なんだけど……ねぇ、エイザ」


「何でしょう、愛しいご主人様」


 こちらに顔を向けた狼メイドに、僕は先ほどから言いたくて仕方がなかったことを口にした。


「君、学院の関係者じゃないだろう」


「はい、そうですが」


「じゃあ、なんでさも当然のようにこの研究室にいるんだよ。まさか勝手に侵入したのか? だとしたら、大問題だぞ……主に学院の防犯の」


「そんなわけないではありませんか。私はそこまで非常識な犯罪者ではありません」


 心外な。

 そう言いたげに細めた目を僕に向けたエイザは自分の胸元に手をやり……服の内側から、首に下げた紐に繋がれた一枚の紙を取り出した。

 入館許可証。

 そう書かれた紙を。


「ご覧の通り、入館許可証は持っています」


「この学院はかなり厳重に守られていて、部外者に入館許可証が下りることはほとんどないんだが……どんな手を使った?」


「? 散歩していた学院長にお願いをしたらすぐに発行してくださいましたが」


「何やってんの、あの学院長……」


 僕は思わず顔を覆った。

 有能な人なんだけど、ところどころ抜けているというか、適当というか……。

 エイザは僕の従者で何度も顔を合わせたことがある + 学院長はエイザを気に入っているから、すぐに発行したのだろう。


 誰にでもすぐ発行するわけではないことはわかる。

 けど、もう少し顔見知りに対しても危機感や警戒心を持って欲しいものだ。


「そんな些細なことは置いておき……ご主人様」


「些細なことで済ませていい問題ではないと思うけど、なに?」


「この卵はどうするおつもりなのでしょうか」


 エイザは卵の入ったビーカーを小突いた。

 これらは持ち主のわかった卵だ。

 やることは決まっている。


「シェルファ先生に返すよ。出勤したら研究室に来るよう言ってあるから、その時に」


「そうですか。しかし、少々勿体ない気がします。リヴァイアサンの卵は希少で、研究価値が高いのに……」


「惜しいという気持ちも理解できるよ。僕としても、かなり興味がある代物だからね。でもプライベートで卵を受け取るのは色々と問題があるんだよ。特に学院では、変な噂が立ちかねない」


 僕がシェルファ先生から卵を受け取った。こんな噂が学院中に広まれば、どんな事態になるかは想像に難くない。

 その日の内に、僕の研究室には大量の産み立て卵が届けられることだろう。

 特にエフェナに限って言えば、無理矢理食べさせてようとしてくるかもしれない。


 ここでの僕は研究者の前に教師だ。先を生きる者として、生徒たちの模範とならなければならない。

 生徒たちの健全な成長を妨げる行為は慎まねば。


「それに……僕が受け取る卵は一つと決まっているし、それはもう十三年前に受け取ってるから」


「……いつまでも昔の女を引き摺っている、と」


「言い方が悪いな。それに引き摺ってるわけじゃないから! いつか再会するって約束してるからッ!!」


「そうであったとしても、子供の頃の約束でしょう? それに相手の素性を何も憶えていないとなると、再会の可能性は限りなく0に近いと思います」


「か、悲しいことを言わないでくれよ」


「事実を申したまでです。というよりも、いい加減過去の恋愛は忘れてください。忘れさせてあげましょうか?」


「遠慮しておきます」


「意気地なしですね。まぁ、そんなご主人様の未練タラタラな恋バナはさておき」


 さりげなく心を突き刺すチクチク言葉を口にしたエイザはソファから立ち上がり、僕の傍に移動。そしてズイっと顔を近づけた。


「忠告です、ご主人様」


「な、なんだよ」


「今後はもう、女性の産卵を手伝わないように」


「いや、エイザ。僕は何も好きで産卵の手伝いをしているわけでは──」


「次やったら私も行動に移しますので」


「何のッ!?」


 底冷えするような声音に身震いし、僕は思わず声を大きくした。

 が、僕の疑問にエイザは答えず。

 近づけた顔を離した彼女は僕の背後に回り込み、その場で膝を折った──と、丁度その時。


「失礼します、ゼファル君」


 部屋の扉がノックされ、シェルファ先生が入室してきた。

 学院指定の教員服に身を包んだ彼女の動きはやや固く、緊張していることがわかった。表情はとても気まずそう。


 酔っている時の記憶が残るタイプらしいな。

 シェルファ先生の様子からそう判断した僕は椅子から立ち上がり、彼女に歩み寄る。


「おはようございます、シェルファ先生。呼び出してしまってすいま──」


「ごめんなさいっ!!!」


 僕の言葉を遮り、シェルファ先生は突然その場で土下座をした。


「わ、わた、私……酔っていたとはいえ、ゼファル君にとんでもないことを……迷惑沢山かけて、何とお詫びすれば良いのか……ッ」


「頭を上げてください、シェルファ先生。僕は怒っていませんよ。迷惑……は、かけられたかもしれないですけど、そんなに気にしてもないですから」


「こ、この場で腹を切ってお詫びを──」


「やらなくていい──っていうか一体何処から短剣なんて取り出したんですか。危ないからこっちに渡してください。鞘から抜くなぁッ!」


 僕の制止も聞かずに短剣を鞘から抜いたシェルファ先生の腕を掴んだ僕は、それを没収する。

 腹を切ってけじめをつけるなんて、一体何処の国の風習だ。

 少なくとも、酔って少し粗相をしたくらいなのだから、命で償うようなことじゃない。あとここでやったら部屋が汚れるから勘弁して。


 まずは落ち着かせよう。

 僕は机に置いていたティーポットに入っていた紅茶をカップに注ぎ、それをシェルファ先生に手渡した。

 すると、それを受けとったシェルファ先生は中身を一口飲み……フゥ、と一息ついた。


「落ち着きましたか?」


「はい。すみません、胸の内から溢れ出る罪悪感と羞恥心を止められず」


「まぁ、うん。酒でやらかした人は大体そんな感じになるので、大丈夫です」


「本当にごめんなさい……あの、今日私をここに呼んだのは……」


「あぁ、それはですね」


 床に座ったまま問うたシェルファ先生をソファに座らせた僕は、目の前の机に置いてあるビーカーを指先で小突いた。


「これを返却しようかと思って」


「私の卵……だよね」


「えぇ。流石に僕が持っているわけにはいかないので」


 本当はもう一つ入手していたのだが、それは既に産卵室の保管庫の中に戻してあるので言わないことにした。

 とにかく、今手元にある卵は一つだけ。

 ビーカーを手に取り、それをシェルファ先生に手渡した。


「本当に、何から何までごめんねぇ……」


「いえいえ。まぁ、今後は黙って卵を置いておくような真似はやめて貰えると嬉しいですが」


「肝に銘じます……」


「お願いします。では、この件はこれで良しとして……家のほうはどうなりましたか? 派手にガラスを割られていましたが」


「あ、もう完璧に直ったよ。次の日には業者の人が来て、元通りにしてくれたの」


「それは良かった。二人については、この後僕が説教をしておきますので。流石に、今回は色々とやり過ぎですから」


「そ、そのことなんだけど……」


 シェルファ先生は僕の服の裾を指先で摘まみ──何かに怯えるような瞳を僕に向けて言った。


「あの子たちを、あまり怒らないであげてくれないかな?」


「それは、どうして……」


「何ていうか、あの子たちとお話をしてわかったの。あんな組し──ううん、あの子たちも凄く理性を働かせて、我慢して、日々を過ごしていることがわかったから! 寧ろ、あの程度で抑えられているのが本当に凄い……は、反省もしているし、私たちは一蓮托生の同胞であることを確認したし!」


「え、もしかして脅されてます?」


「断じてそんなことはないよ! ただ……私はこれまで知らなかったことを知っただけだから!」


「???」


 さっきから一体何を言っているのだろうか。

 全くわからない。同胞? 組織? 

 よくわからないが、確かなのは、シェルファ先生は僕の知らない何かを知ったということか。そして、それに怯えている。


 え、本当に大丈夫?

 国という後ろ盾があるエフェナに権力で脅されているのかと思ったけど、あの子はそんなことをする子じゃない。

 シェルファ先生の身に一体何があったのか。

 詳しく聞こうと思ったが、それを聞く前に、彼女はソファから立ち上がった。


「じゃ、じゃあ、ゼファル君。そういうことだから……改めて、今回は本当にごめんね」


「い、いえ」


「あ、それと……」


 思い出した。

 人差し指を立てたシェルファ先生は僕との距離を詰め──僕の耳元に口を寄せ、


「君への告白は──嘘じゃないからね」


 そんな言葉を残して微笑み、研究室を後にした。

 

 一人残された僕は暫くその場に立ち呆けた。

 不意打ちは反則だ……うっかり、落ちてしまいそうになる。

 僕は少し高鳴った胸に手を当て、呼吸を整え、元居た執務机に腰をかけた。


 シェルファ先生が一体何を体験したのか、何を知ったのか、それはわからない。

 けれどまぁ、一先ず今回の一件はこれで解決だ。

 あとは二人の問題児たちを叱るだけ。それで、以前までの日常が戻ってくる。


「最近は慌ただしかったし……これから暫くは、平穏な日々が続いてほしいな」


 細やかな願望を口にし、僕は口元でティーカップを傾けた。


「ご主人様。それはフラグというやつですよ」


「……自分でも思ったから言わないで」

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