第26話 あれ? この卵って……

 僕は背に携えた蒼い蝶の羽を揺り動かしながら、シェルファ先生の下腹部を優しく撫でつけた。


「ゆっくりと深呼吸を繰り返して、身体の力を抜きましょう。そう、その調子です。そのまま僕のほうへと身体を預けて……」


 耳元に囁くように言うと、シェルファ先生は言われた通りに深呼吸を繰り返し、脱力した状態で僕に身体を預けた。

 正常とは言い難い高い体温が伝わる。

 熱に浮かされたシェルファ先生はボーッとした様子で顔をあげ、僕の背中にある蒼い羽をジッと見つめた。


「……オベロンの、翼」


「正確には羽ですけどね」


 シェルファ先生の呟きに、僕は訂正を返した。

 妖精王オベロン。救世の世界樹が最初に産み落とした三体の獣の一体。多くの生命を救った王。それが、僕の種族だ。


 多種多様な種類がいる亜人の中でも特に希少。

 存命は三人しか確認されていない、世界樹の獣の頂点に君臨する種族。

 この希少さ故に、世界各国の政府から保護命令が出ているほどだ。そしてそのせいで、僕は生活において様々な制限を設けられることになっている。

 まぁ、それは特権ともいえるのだけど。


「楽園創造」


 僕は呟き、背中の羽を大きく広げる。

 と、蒼い羽は同色の光を纏い、周囲を照らし……直後、半透明の光の膜がドーム状に展開され、僕とシェルファ先生を包み込んだ。


「あれ……痛みが、引いて──」


「この空間内では苦痛が和らぎます。そして、命の危機もありません」


「へ?」


「奇形卵のことは心配しなくていいので、シェルファ先生はこれまでと同じように、お腹の卵を排出してください」


 微笑んで告げ、僕は先ほどから撫で続けているシェルファ先生の下腹部に意識を向ける。

 硬質で、鋭く危険な突起を有する異常な形状の無精卵。

 このまま産めば体内が傷つけられ、最悪失血死することになるが……この空間内、そして僕が傍にいる状況であれば、その心配はなくなる。


 ぐっ。

 僕が少し強く、皮膚下の卵の突起を押すと、途端に感じていたそれの感触が消え、盛り上がっていた皮膚も元通りに。


 命を脅かす突起は消えた。

 卵自体が正常な形状になったわけではないけれど、これなら産んでも問題ないだろう。あとは、産むだけだ。


「……っ、ゼファル、君」


 少し苦しそうに、もどかしそうに、シェルファ先生は身体をくねらせ僕を呼んだ。


「どうしましたか?」


「なんか、この卵……いつも、よりも、大きいみたい……それに、この感覚は──」


「大丈夫ですよ、シェルファ先生」


 不安そうに言うシェルファ先生の手を握り、僕は彼女を元気づける。


「少し苦しいと思います。辛いとも思います。でも、命の危険はなくなりました。今なら安全に産むことができます。大丈夫。僕が傍にいますから……頑張りましょう」


「……うん。わかっ──ッ」


 シェルファ先生は頷いた直後、苦悶に顔を顰めた。

 そして同時に、下腹部の皮膚の下で卵が動いた。産道を移動し、体外へ向かい始めたのだ


 シェルファ先生が僕の手を握る力が強くなる。

 ギュッと、痛みを感じるほどに強く、彼女は握りしめた。


「ふ……っんッ、く……ハァ──ッ」


「頑張れ、頑張れ」


 シェルファ先生に身を寄せ、僕は応援する。

 パシェルの時もそうだったけど、男には産卵の苦しみがわからない。共感することができないのだ。


 だから、僕にできることは寄り添い、少しでも苦痛が和らぐように、手を握り続けること。どれだけ痛くても離さず、受け入れ続けることだけ。


 頑張れ。頑張れ。

 口にしたものと同じ言葉を心の内でも唱え、激励し、僕はシェルファ先生の下腹部を優しく撫で続けた──と、その時だった。


「……え?」


 僕は目を丸くし、素っ頓狂な声を上げてしまった。

 何故か。

 それは──シェルファ先生の両足が突然蒼い光を放ち、魚のそれに変化したから。


 深海のように深い蒼をした鱗に覆われ、先には立派な尾びれが見える。

 月光を受けて美しく輝くそれは、正しく人魚のそれだ。


 亜人女学院には多種多様な亜人が在籍しており、その中には人魚もいる。そのため、人魚自体は別に珍しくなく、驚くところではない。

 僕が目を丸くして言葉を失うほどに驚いたのは、人の素足が魚の下半身に変化したからだ。ずっと二足歩行だと思っていた勤務先の先輩が実は人魚だった……驚かないわけがない。


 あれ、でも妙だな。

 シェルファ先生には翼がある。それは竜の亜人である証明なのだが、魚の下半身も持っている。

 竜と魚の特徴を併せ持つ亜人。

 それって──。


 頭を過った、シェルファ先生の本当の種族。

 僕はその可能性について考え、思考の海に旅立とうとしたのだが──直前。


「う──っ」


 ひと際大きな声でシェルファ先生が呻き──コロン。

 衣服に覆われた部分から落ちた三日月型の少し大きな卵が、床に敷かれた絨毯に落ちて転がった。


 産み落とされた卵。

 それを見て、僕は更に驚いた。

 だって、その三日月型の卵は……その色は、とても鮮やかで綺麗な青をしていて──僕がずっと探していた、研究室に置かれていた卵と同じ色だったから。


 奇形卵ということで、形状はまるで違う。

 けれど、間違いない。確信がある。これは、あの卵と全く同じものだ。


 産卵を終えて脱力し、荒い呼吸を繰り返しているシェルファ先生の身体を支えながら、僕は粘性のある分泌液が付着した青い卵を拾い上げ……彼女に問うた。


「シェルファ先生……僕の研究室に卵を置いたのは──貴女なんですか?」


「…………バレちゃった」


 僕の問いに、シェルファ先生はとても満足そうに、達成感に溢れた表情でそう返した。

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