第25話 暴発した想いを沈めることはとてつもないほどに難しいもの

「しぇ、シェルファ先生……?」


 ギシ。

 二人分の体重を受けてソファが鳴らした軋む音が鼓膜を叩くが、それ以上に自分の心臓の鼓動が大きく聞こえる。

 ドクン、ドクン。

 まるで全力疾走した直後のように跳ね、少しだけ苦しみを覚える胸に意識を向けつつ、僕は眼前のシェルファ先生を見つめ返した。

 頬を赤くし、決意と覚悟を宿した彼女の瞳を。


「ほ、本気、ですか?」


「私が冗談でこんなことを言うと思う?」


「い、いえ、そういうわけではないんですけど……ただ今は酒も入っていて勢いに任せて言っているのかと」


「酔っていてもこんなこと言わないよ。というか、ちょっと酷いんじゃない?」


 不満そうに頬を膨らませ、目を半分に細め、シェルファ先生は言った。


「覚悟を決めた乙女の告白にそんな言葉を返すなんて……もうちょっと乙女心を勉強したほうがいいよ?」


「す、すみません。あまりにも突然のことだったので、僕も動揺してしまって……決して傷つけるつもりは!」


「わかってる。ゼファル君は良い人だからね……でも、動揺か」


「?」


 意味深に呟いた途端、シェルファ先生は何を考えたのか、僕の胸に顔を押し当てた。

 否、正確には、押し当てているのは耳だ。

 彼女は右耳をピッタリと僕の胸板に密着させている。

 何を聞いているのかは、言わなくてもわかるだろう。


「本当だ。ちゃんと私のことを意識してるのがわかる。ここ、すっごいドキドキしてるよ」


「そ、そりゃあ、そうですよ。これだけ密着していたら」


「興奮してる?」


「……それを言葉にするのは憚られると言いますか」


「それは認めてるようなものじゃない? フフ、嬉しいなぁ。意識してもらえるなんて」


 楽しそうに笑ったシェルファ先生は僕の胸から顔を離し、唐突に僕の右手首を掴んだ。

 痛みを感じない、しかし振り払うことができないほどの絶妙な力加減。

 シェルファ先生は悪戯めいた笑みを浮かべ、握った僕のそれを自分の胸元に押し当てた。


 控えめではあるが、確かに存在する柔らかさ。

 掌に伝わる感触に、僕は咄嗟にその手を引こうとしたが、シェルファ先生にガッシリと掴まれているためそれは叶わなかった。


「ちょ、ちょっと、シェルファ先生!? これは悪ふざけが過ぎますよッ!!」


「お互いに成人してるんだし、問題ないよ。それよりも、わかる? 私もゼファル君と同じくらい、ドキドキしてるの」


「わかった、わかりましたから! 速い鼓動は十分に伝わりましたから手を離してッ!」


「駄目。まだ離さないよ」


 僕の要望を拒絶したシェルファ先生は、僕の手を自分の胸に押し当てたまま、再び僕との距離を詰め──躊躇うことなく、僕の首筋を甘噛みした。


 痛みと僅かな快感を感じる。

 シェルファ先生は噛みついた僕の首筋に痕をつけるため、噛む力を強めては弱め、それを何度も繰り返し……十数秒。月光を受けて銀色に輝く唾液の糸を引きつつ、口を離した。


 この行為の意味は。

 僕は少しばかりボーっとする頭で考えた。

 シェルファ先生が背中に携えた一対の羽を見つめて。


「……噛み痕をつけるのは、竜種の亜人が行うマーキング行為でしたね。自分のものであると主張する行為」


「よく知ってるね。流石は亜人博士だ」


 唇に付着した唾液を舐め取り、シェルファ先生は愛おしそうに僕の首についた噛み痕を見つめた。


「竜種の甘噛みは、歯に魔力を纏わせて行う。普通の傷とは違って、中々消えないんだよね……まぁ、ゼファル君ならすぐに治してしまえるだろうけど」


「羽を顕現すれば、確かにすぐ治せます」


「だよね。でも、私は嬉しいんだ。一時でも、君の肌に私の噛み痕をつけることができて……ねぇ」


 僕の頬に触れ、シェルファ先生は先ほどよりも紅潮した頬を隠すこともなく、僕に尋ねた。


「そろそろ、答えを聞かせてほしいな」


「告白の、ですか」


「それ以外にないでしょう?」


 問われ、僕は改めてシェルファ先生を見つめる。

 とても綺麗な人だと思う。面倒見も良くて、可愛らしいところも多く、一緒にいて楽しいとも思う。

 魅力的な人だ。彼女と結ばれたら、きっと毎日が今よりも面白くなるのだろう。幸福度が増すのだろう。


 けど……。

 僕は申し訳ない気持ちを胸に抱えつつ、しかし自分に嘘はつけないと、シェルファ先生に答えた。


「ごめんなさい。僕は……貴女を恋愛対象としては見れない」


「……バッサリと言うね」


「濁すほうが失礼だと思って。僕は、貴女を尊敬できる先輩として見ているんです」


「そっか……」


 ショック。悲しみが伝わる声で呟き、次いで、シェルファ先生は問うた。


「私には、女としての魅力がない?」


「いえ、そういうわけでは──」


「パシェルさんみたいに胸が大きな人が好きとか?」


「僕を巨乳派と断定するのはやめてください」


「じゃあ、貧乳派?」


「……胸の大きさには固執していないので」


 なんで告白の答えから好みの胸の大きさの話になるんだよ……。

 下手に追及される前に話を逸らそう。

 咳ばらいを一つ挟み、僕はゆっくりと上体を起こした。


「シェルファ先生は十分に魅力的ですよ。見た目も中身も文句なしだ」


「じゃあ、どうして?」


「僕の種族を知っているなら、わかるでしょう? 僕は誰とでも自由に恋愛ができるわけじゃないんです。恋仲になることができるのは、同じ世界樹の獣の亜人だけで──」


「なら、問題ないね」


「……え?」


 今、なんて?

 目を丸くしてシェルファ先生を見ると、彼女は微笑んだまま言った。


「君が恋愛できるのは世界樹の獣の亜人だけ……なら、私は、その条件を、満たしてるよ」


「満たしてるって、そんな──」


 僕はそこで思い出した。

 そういえば、シェルファ先生は何の亜人なんだ? 背中の羽から竜種の亜人であることは知っていたけど、詳細な名称までは知らない。

 青い翼を持つ竜種。

 僕が知る限り、この特徴を持つ生物は──と。


「だって、私の、種族は──あれ?」


「!」


 操り人形の糸が切れたように、シェルファ先生は突然僕のほうへと寄り掛かった。否、倒れたといったほうがいい。身体を支える力を維持できなかったのだ。


 僕は咄嗟に受け止め、荒い呼吸を繰り返しているシェルファ先生の首筋に触れた。

 熱い。

 明らかに平熱ではないほどに、体温が高くなっている。

 呼吸も荒く乱れており、額には発汗が見られた。


「酒の飲みすぎ……ってわけじゃないな。飲みすぎただけなら、こんな症状は出ない。シェルファ先生、身体は──」


「ハァ……ハァ……う──ッ」


 僕が呼び掛けると、シェルファ先生は痛みに顔を顰め──自分の腹部に手を置いた。


「お腹……下腹部が痛みますか?」


「う、ん……ズキッ、って、何かに刺されているような、鋭い……ッ」


「鋭い痛み──まさか」


 産卵期が昨日終わった。

 待ち合わせ場所で合流した時にシェルファ先生が言っていた言葉を思い出した僕は、彼女が感じている痛みと照らし合わせ、一つの可能性を見出した。


 いや、まだ確定したわけじゃない。どうか、違っていてほしい。

 そう願いながら、僕は『失礼します』と断りを入れてから、シェルファ先生の腹部に触れ──確信した。自分の予想が的中した、と。


「これは──奇形卵きけいらんですね」


「奇形、卵?」


「産卵期の終わり、最もホルモンバランスが崩れる期間に体内で生成されることがある、通常とは異なる形状の卵です。異常なほどの速度で成長するため、産卵時に体内を傷つけるような形状になってしまうこともある。その場合……最悪、失血死することもある」


 説明し、僕はシェルファ先生の腹部──皮膚の下にある存在に意識を向けた。

 手先から伝わってくる感触とシェルファ先生が感じる痛み。恐らく、突起を持っているのだろう。しかも鋭い。無理に産めば、本当に死んでしまう。


 奇形卵は特に竜種に多い病気だ。

 運が悪かった、としか言いようがない。


「びょ、病院に……ッ」


「いえ、恐らくは間に合わない。救急隊員が来る前に、産卵が始まります」


「じゃ、じゃあ……ハァ……どうしたら」


「我慢できるものではないので、産むしかありません」


「でも、そうしたら──」


「僕が──補助しますから」


 一つだけある。

 シェルファ先生に死のリスクを背負わせることなく、安全に産卵させる方法が。


 まだ数回しか使ったことがない種族特性──力だが、やるしかない。

 気合入れろよ、僕。


 自分に発破をかけ、呼吸を整えた後──僕は背中に鮮やかな蒼い蝶の羽を顕現させ、シェルファ先生に告げた。


「少し辛いでしょうが、頑張りましょう。大丈夫。ここは僕が──妖精王が傍にいますから」

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