第18話 全く落ち着くことのできない喫茶店

 翌日、午前十時。

 街中に店を構える、とある喫茶店にて。


「うーん……」


 窓際、大きな観葉植物が傍に置かれた席に座る僕は、砂糖を多めに入れたカフェオレを飲みながら、机に置いた二つの資料を見比べて唸った。


「産卵室の利用者を調べたけど……海洋にルーツを持つ亜人の生徒は一人もいなかったぞ」


 小声で呟き、こめかみに指を当てる。

 手元にある二つの資料は、昨晩学院に潜入して入手した『第七産卵室』の利用者名簿と、名簿に記載されていた生徒のプロフィール。この二点の写しだ。


 それを交互に見比べているわけなのだが……誰があの卵の産み主なのか、さっぱりわからない。

 現在候補となっている生徒たちは皆、地上で生息している生物の亜人なのだ。海洋生物の亜人はおらず、また、世界樹の獣の亜人もいない。

 これで状況は進展すると思ったのだが……全く先に進めていないのだ。


 手掛かりを一つ見つけたと思ったら、また新たな困難が出てきた。

 少しずつ進んではいるのだろうけど……ゴールは遠い。まだまだ時間がかかりそうだ。


 机上の資料を重ね、足元の手提げ鞄に仕舞った僕はフォークを手に取り、カフェオレと一緒に注文していたショートケーキを切り分け、それを口に運んだ──と。


「うわぁ……何あの子。存在自体がエッチじゃん」


 不意に、そんな女性の声が僕の鼓膜を叩いた。


「めっちゃ若いよね、十代かな?」「細身だけど雰囲気がめっちゃエロイ」

「上品なケーキの食べ方……」「なんだろ、あの子を見てるとすっごいムラムラする」


「あー、これは駄目だ。一回発散してこないと身が持たない」「簡単に押し倒せそうなのが最高に私をイラムラさせてくれるね」


「あ、ちょっと待って……駄目、産卵る!」「ここで産むなよ」


 周囲から注がれる視線は時間の経過に比例して増加し、また同時に、会話が僕の鼓膜を叩いた。

 そういう内容の会話は、本人に聞こえないところでやってほしいんだけど……。

 喫茶店なのにリラックスすることのできない現状に少しばかり苛立ちを募らせた僕は、早々に店を変えることも考えながら、再びケーキを口に運んだ。

 その時。


「こんにちは、ゼファル先生」


「!」


 声がかけられ、僕はそちらに顔を向けた。

 エフェナだ。

 僕の傍に立っていた彼女は、見慣れた学生服ではなかった。トップスとフレアスカートという、最近巷で流行しているコーデに身を包んでいる。無論のこと、良く似合っていた。


 生徒の私服姿を見る機会は多くない。

 学生服以外の衣服に身を包むエフェナは、何だかとても新鮮に思えた。


 王侯貴族と言えども、普段からドレスなどの高価な衣類を身に着けているわけではないんだな。

 庶民的なエフェナの装いを意外に思いつつ、僕は彼女に言葉を返した。


「奇遇だね、エフェナ」


「はい。まさか休日に先生に会えるとは思っていませんでした」


 僕の隣の席に腰掛け、エフェナは両手に持っていたトレイを机上に置いた。

 載っていたのは、温かいミルクティーとチョコレートドーナツ。その内、ミルクティーの入ったカップを手に取り、一口飲んだ後、彼女は口角を上げた。


「フフ、先生の御顔を見られるなんて……二度寝せずに街へ繰り出した甲斐がありました」


「そりゃよかった。今日は一人なの?」


「はい。護衛たちは近くにいますけど」


「あぁ、そりゃそうか」


 王女様だもんね。

 声には出さず胸中で付け加えた僕は、早くも一つ目のドーナツを胃の中に押し込んだエフェナに問うた。


「これから買い物にでも行くの?」


「そのつもりです。今日は夕方から裁判……もとい、ちょっとした話し合いがあるので、それまで時間を潰したいのです」


「さ、裁判?」


「……まぁ、それに近しいものです」


 ペロ。

 ドーナツに塗してあった粉砂糖が付着した指を舐め取ったエフェナは次いで、ジトっとした視線を僕に向けた。


「話し合いの内容は、パシェルの産卵の件です。あの子の行為はあまりにも羨ましすぎる……いえ、我が組織の規律に反するものですので」


「規律ってなに」


「失礼。こちらの話ですので、そこはお気になさらず」


「気になるよ」


 僕の知らないところで一体何が行われて、どんな組織が運営されているんだ? 口ぶりからして、エフェナはその組織の上層部っぽいけど……このお姫様、裏で何してるんだろうか。


「ねぇ、ゼファル先生」


 こちらに身体を預け、エフェナは言った。

 ちょっと怖い声で。


「あの時は、どんな気持ちだったんですか?」


「あ、あの時とは?」


「決まっているでしょう。パシェルの産卵を手伝った時です」


 逃がさない。

 そんな意思を示すように、エフェナは僕の片腕に自分のそれを絡めた。

 視線、雰囲気。それらにゾッとしながらも、僕は何とか回答した。


「あ、あの時は苦しんでいたパシェルを助けたいという思いがいっぱいで……それ以外のことは、特に何も」


「欲情しましたか?」


「するわけないだろ! あの子は生徒、僕は教師!」


 何を馬鹿なことを言っているんだ、この子は……。

 いや、まぁ、パシェルの身体の柔らかさや甘い香りを意識しなかったと言えば嘘になるけど、断じて、断じて! 僕は欲情なんてしていない。


 僕の回答に一応の納得を示し、エフェナは次いで、問うた。


「先生は知っていますか?」


「何を」


「私たち、卵生の乙女が心に秘めた夢を」


「夢? いや、わからない。夢っていうのは、個人によって異なるものなんじゃ?」


「いいえ、乙女にはとある共通の夢があるのです」


「……それは?」


 尋ねると、エフェナは自分のお腹に片手を当て、告げた。


「それは……大好きな人の腕に抱かれたまま、産卵することです」


「聞いたことないんだけど」


「当然でしょう。異性には言わないことですから」


 ティースプーンでミルクティーをかき混ぜ、エフェナは続けた。


「それは本来叶うはずのない願望です。夢想するだけで現実にはならない、遠すぎる星を掴みたいと願うようなもの。かくいう私も、夢想する乙女の一人です。もしもそれが現実になったら……多分、私はその場で失禁して、イキ散らかします」


「王女であり乙女であり淑女であることを意識した言葉遣いをお願いします。こんなところで下品な言葉を使わないで」


「失礼しました。では──産卵ちゃう、と」


「読み方おかしいよねそれ」


 頼む。王室は今一度エフェナに淑女教育を施してくれ。

 僕は切に願った。


「見果てぬ乙女の夢……パシェルはそれを叶えたのです。しかも、皆が憧れ、あわよくば強引に襲って子胤を頂戴しようと画策し、夜な夜な自慰の御供にしているゼファル先生の腕の中でッ!! これは由々しき事態です。早急に裁判を開かなくてはならないほどの、重大な問題です」


「大袈裟だよ」


「大袈裟ではありません!」


 グッと拳を握り固めたエフェナは、僕に鋭い視線を向けた。


「これは忠告です、先生。ああいうことは滅多にやってはいけません。最悪の場合、乙女の性癖を捻じ曲げてしまいます。現に、パシェルは『もう先生の腕の中じゃないと産卵できる気がしません』と言っているくらいなのですから」


「やらないよ。今後誰にも──」


「やるなら私だけにしてください。そのまま食べちゃってもいいですから。私も、卵も」


「だからやらないって!」


「いえ、私にはいつかしてもらいます。具体的にはこんな感じで、プランを立てているので……聞きます?」


「こんなところで変態的なプレゼンをするなッ!」


 一体何処から取り出したのか、具体的な計画を記した紙を僕に見せてくるエフェナを突き放す。

 何を言われてもやらない。今後は絶対に!

 胸に誓った僕はぐいぐいと距離を詰めてくるエフェナを制し続けた。


 尚、この時の誓いはすぐに破られることになるのだが……喫茶店で優雅(?)にお茶をしている今の僕は、そんなこと知る由もないのである。

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