第17話 ヌルヌルした透明な液体と綺麗な青い卵

 その後も僕たちは他の産卵室を回り、卵の保管庫を調べた。

 が、望んだ結果は得られなかった。青い卵は見つからず、ただ罪悪感を募らせるだけだった。

 途中で何度も、諦めて帰ろうと思った。

 これ以上、罪を重ねたくないと、何度も。


 しかし、もしかしたらこの先に手掛かりはあるかもしれない。

 そう考えると、止まらなかった。止められなかった。乙女たちの秘密を覗き見ることにはなるが、この罪はきっと、成果となって実るはずだと。


 そう信じ、遂に最後の一つである『第七産卵室』の前に到着した。


「はぁぁぁぁぁ」


 扉の前に立った僕は盛大な溜め息を吐いた。


「今夜だけで僕はどれだけ罪を重ねるんだか……生徒たちに顔向けできないよ」


 ズキズキと罪の意識で痛む胸に手を当て、僕は小声で呟いた。

 と、それを聞いていたエイザが返した。


「ご安心ください、ご主人様。例え今日のことを生徒たちが知っても、ご主人様に幻滅することはありません。寧ろ、亜人の卵に興味があるのだと思い、沢山の生徒たちから産み立ての無精卵を贈られるだけです」


「何処に安心できる要素があった?」


「とりあえず罪悪感とかは気にしなくていいので、早く中に入って調べましょう。私はもう眠いので」


「自分勝手メイドめ……」


 他人事だと思って呑気なことを言いやがって……。

 僕は透明化によって姿が見えない、しかし確かにそこにいるエイザを軽く睨み、これまでと同じように鍵穴へピッキングツールを挿入した──が。


「あれ?」


 伝わった手応えに、僕は首を傾げた。


「どうかされました?」


「いや、鍵が開いてるんだ」


「? 中に誰かいるということでしょうか?」


「いや、それはないよ。気配も音も聞こえない。管理人が施錠し忘れたのかな」


 あり得なくはないけど、珍しいミスだな。

 奇妙に思いながらも、中に入れるならそれでいいかと考え直し、僕は扉を開けて中に入った。

 その瞬間。


「ッ! ……なんだ、この匂い」


 入室直後に僕の鼻腔を襲った香りに、僕は思わず顔を顰めた。

 甘い匂いだ。強烈で、嗅いでいると変な気分になり、身体の芯が熱くなる、甘ったるい香り。

 他の六部屋とは明らかに違う異常。


 この匂いは一体なんだ? なんで部屋に、こんな匂いが充満している?

 疑問に思っていると、僕に続いて入室したエイザが顔を顰めた。


「何の匂いでしょうか……不快な香りです」


「不快……とまではいかないけど、奇妙な香りだね」


「これが不快じゃない? 嗅覚は正常ですか?」


「え、そんなに?」


「はい。例えるなら、一ヵ月袋の中で発酵させた生ごみのような……吐き気を催す激臭です」


 エイザはハンカチで口元と鼻を覆った。

 どういうことだ? 僕とエイザでは、香りの感じ方が異なるのか? 


 新たな疑問が生まれ、僕はこの匂いについて調べたくなった。

 しかし、ここに来た目的を忘れてはならない。

 探求心をグッと堪え、僕は奥の保管庫に向かおうと、ランプを眼前に照らし──直後、明かりに照らされた床を見て、踏みだした足を止めた。


「何の水滴だ?」


 視界に入ったのは、水滴だ。

 カーテンで仕切られた産卵用の小部屋の一つから、部屋の最奥に置かれている保管庫に向かって、奇妙な水滴が床に滴っているのだ。


 これはまるで、軌跡。

 誰かが移動した形跡のように思える。


 となるとこれは、膣分泌液か?

 いや、それにしてはあまりにも量が多い。となると、これは水?

 一瞬そう思ったが、指先で触れてみると、ヌルヌルしている。糸を引くほどの粘性を持っていることから、水ではない。


「! 匂いの元はこれか」


 粘性を持つ謎の液体から漂う強い香り。間違いない。部屋に充満している甘い香りの正体はこの液体だ。

 仮にこれが膣分泌液だと仮定しよう。

 そうすると状況的に、この部屋で産卵した者が液を拭き取らずに保管庫まで運んだ。と考えるのが自然だ。


 だが、これほど強烈な匂いを発する分泌液を持つ亜人を僕は知らない。しかもそれだけではなく、この液体は個人によって感じ方を大きく変える特性も持っている。

 亜人研究の専門家として、数多の亜人の特徴を頭の中に持っているが……僕の知識にはない代物だ。


「ご主人様」


 謎の液体について考えていると、いつの間にか部屋の奥に移動していたエイザに呼ばれた。

 いけない。今は卵を探しに来たんだった。

 思考の海に沈んでしまったことを反省し、僕はエイザの元に駆けた。


「どうした?」


「これを。どうやら、ここに来た甲斐があったようです」


「! これ……」


 蓋が空いた卵の保管庫を前に、僕は目を見開いた。

 エイザが掌に載せて僕に差し出したのは、一つの卵だ。美しい青をした、真球に近い形状の卵。

 僕たちが探し求めていた、あの卵と同種のものだ。

 ジッとそれを見つめ、僕はエイザに尋ねた。


「これは、この中にあったんだね?」


「はい。一番上の段に」


「そうか……」


「それと恐らく、床に落ちている液体は、これを産んだ者の膣分泌液です。この卵からは、あれと同じ匂いがします」


 告げ、エイザは小部屋の一つ──水滴の痕跡が始まっている部屋に視線を向けた。


「これを産んだ者は恐らく、あのカーテンの奥で卵を産んだのでしょう。そして、それを保管庫まで運んだ……あの部屋には、何か手掛かりがあると思います」


「……行ってみようか」


 卵を保管庫に戻し、僕はエイザを伴って小部屋に近寄った。

 果たしてエイザの言う通り、手掛かりとなるものはあるのか。

 カーテンに触れた僕は一呼吸を空け、そして一息に、それを引いた。


「……写真か?」


 視界に入った小さな室内。

 数滴の雫が落ちている床に、一枚の写真と思しき紙が落ちていた。裏返っており、何が写っているのかはわからない。


 何で産卵室に写真が落ちているのか。

 疑問に思いながらも、僕はその場で膝を折り、それに手を伸ばして拾い上げ──言葉を失った。


「……ご主人様が写っていますね」


 手元の写真を覗き込み、エイザが被写体を告げた。

 そう。写真に写っていたのは、僕だった。学院の研究室で文献を片手に紅茶を啜っている、僕の写真。撮影場所は、研究室の外だろう。窓枠が写っていることから、それがわかる。


「いつ撮られた……いやそうじゃなくて、何で僕が写った写真がこんなところに落ちて──」


「なるほど、そういうことですか……完璧にわかりました」


 困惑する僕とは対照的に、エイザはここに写真が落ちていた理由がわかったらしい。

 グッと拳を握り固め、ギリッと奥歯を強く噛みしめ……とても苦々し気に、彼女は告げた。理由を。


「つまるところ、あの卵を産んだ者は、これを見ながら卵を産んだのです。写真に写るご主人様をおかずに産卵したのです。普段の私と同じように」


「最後の言う必要あった?」


「これで確定ですね」


 僕の問いをフル無視して、エイザは言った。


「ご主人様の研究室を置いた理由は……貴方に恋をしているから。卵を受け取った者と結ばれるという伝説を信じ、強引に受け取らせるため、実行したということでしょう。間違いありません」


「そういう、ことになるのかな」


「そうです。そして恐らく、その人物は、この名簿に記載されている者の中にいます」


「……」


 僕はエイザから名簿を受け取った。

 数えてみると、全部で二十八名。今日一日で、この第七産卵室を利用した人数だ。

 知っている名前もあるが、知らない名前が大半だ。これは後日、生徒名簿と照らし合わせて、種族などを確認するとしよう。


「しかし、どれだけご主人様を想って産もうと、私には及びませんね」


「? どういうこと?」


 不意に誇らしげに言ったエイザに理由を尋ねると、彼女は表情を全く動かすことなく、いわゆるドヤ顔で答えた。


「何故なら私は、ご主人様のことを想って産んでいるだけではなく──眠るご主人様の隣で産卵しているのですから」


「よし、帰ったら詳しく話を聞く。その後で説教ね」


 僕も眠いのに、余計な手間を増やしおって……。

 ゲンナリと肩を落とした僕は、一先ずの罰としてエイザの脳天に強めの手刀を落とし、産卵室を出て帰路についた。


 帰宅後、僕はエイザに説教をしたのだが……それが終わったのは、午前三時を回った頃である(余罪:二百件発覚)。

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