第19話 生徒とカップル限定ケーキを注文することは社会的に許されますか?

「あ、そうだ……先生」


 強引にプレゼンしようとしてきたエフェナを宥め、暫く雑談に花を咲かせていた最中。

 ふと、エフェナは何かを思い出したように手を叩いた。


「あの、一つお願いがありまして」


「お願い?」


「はい。先生にしか頼むことができないことなんですけど……」


 少し躊躇いがちに前置きしたエフェナは、机の端に置かれていたメニュー表を手に取り、それを机上で広げ……そこに記されていたメニューを一つ、指さした。

 それは──。


「カップル限定ケーキか」


 特別なメニューだった。

 カップル、即ち愛し合う者が同伴していないと注文することのできないケーキ。掲載されている写真を見ると、どうやらそれはベリーケーキらしい。値段はその他のケーキと比較すると割高ではあるが、決して高すぎるというわけではない。写真を見る限り、大きさもそれなりにありそうだ。


 恋人であると嘘をついて注文することは少々心苦しいが、どうしても食べたいのなら仕方ない。

 別にこれくらいなら付き合おう。

 僕はエフェナに首を縦に振った。


「いいよ。注文しよっか」


「! ありがとうございます、先生! すみませ~ん!」


 嬉しそうに笑顔を作ったエフェナは早速店員を呼び、メニュー表を見せ、件のケーキを頼む。

 が、ここで思わぬアクシデントが。


「申し訳ございません、お客様。そちらの商品を注文する際は、カップルである証明が必要となりまして」


「え、証明ですか?」


「はい。例えば、ペアリングをしているとか、交際記念日が記されている手帳ですとか、そういった物がなければ……恋人同士でなければできない行動をする、とか」


「「……」」


 まさかの条件に、僕とエフェナは互いに顔を見合わせた。

 参ったな。僕とエフェナは教師と生徒であって、恋人ではない。ペアリングなどは当然ないし、恋人らしい行動もできない。


 致し方ないが、ここは謝って諦めようか。

 と、僕が店員に顔を向けた──その時。


「し、失礼します……」


 緊張の感じる声音で言ったエフェナは僕との間にあった距離を詰め──僕の頬にキスをした。

 ほんの一瞬、触れるだけのキスだ。

 しかし、確かに感じた。彼女の柔らかな唇の感触を。


 人生経験の乏しい乙女には、あまりにも大胆な行為。

 その自覚があるらしい。僕から身体を離したエフェナは頬を赤くし、恥ずかしそうに顔を伏せていた。


 そんなエフェナに僕まで恥ずかしくなったが、すぐに心の平静を取り戻す。

 ここで僕まで恥ずかしがったら、本当に恋人なのかと疑われてしまう。ここは、余裕を持って。


「こら、エフェナ」


 初心な年下彼女を愛おしく思う年上彼氏を演じ、僕は顔を上げたエフェナの唇に人差し指を当てた。


「駄目だろ? こんなに沢山人がいるところで、そんなことしちゃ」


「え、でも──」


「いきなりキスされたら──僕もスイッチ入っちゃうよ?」


 微笑み、しかし瞳には獲物を前にした獣を宿し、僕は唇に舌を這わせた。

 と。


「「「「「エッッッッッッッッッッッッ!!!!!」」」」」


 周りにいた女性客たちがバタバタと床に倒れ、机に突っ伏し、ビクビクと身体を痙攣させ始めた。


「だ、駄目……あれは、駄目。本能が、本能が暴走する……ッ」「え、なに、今の表情……お願い、私にも、その顔を向けて……」


「え、なに? 卵を作りたい? いきなり言われても無理だよそれは……」「ちょっと、気を確かに。自分の子宮と会話しないで」


「あぁ、いたんだ、現実に……卵管まで疼かせる良い男って」「卵管が疼いた? まだまだね。私は全身を構成する細胞の一つ一つが産卵の準備を整えた──うッ、産卵るッ」


 死屍累々。

 落ち着いた雰囲気の店内は、一瞬でゾンビの蔓延る魔窟となってしまった。


 少し本能を刺激しただけでこれとは……つくづく、僕は難儀な種族に生まれてしまったな。

 周囲の惨状を眺めて溜め息を吐いた僕は、鼻血を流しながら膝を笑わせている店員さんに尋ねた。


「これで、証明になりましたか?」


「は、はひ……も、勿論。ご馳走様でした!」


 恍惚とした表情で言った後、店員さんは匍匐前進でカウンターへと戻っていった。

 歩いて戻れよ……。

 そう思いながら、僕はゆっくりと離れていく店員さんの背中を見送り、次いで、机に突っ伏しているエフェナの肩を揺らした。


「エフェナ、大丈夫?」


「だ、大丈夫ではありますけど……ちょっと、お腹が」


「痛い?」


「いえ、孕みたいって……」


「それはどうしようもないから自分で何とかして」


 なんで自分の子宮と会話することができるんだよ。そういう特殊能力か? 専門家だけど、聞いたことないな。


「まぁ……とりあえず良かったね。注文できて」


「はい。それ以上に、先ほどの先生の表情を見れたことが最も良かったことですけど。あまりにも、凶悪な笑顔でした」


「凶悪だったのは僕の笑顔じゃなくて──特性のほうだよ」


 僕は自分の目元に指を当てた。


「ほんの少しだけ、特性を使ったんだけど……予想以上に効いちゃったね」


「その、特性っていうのは?」


「魅了。正確には適合化なんだけど、効果的には魅了というのが一番近いかな」


「そんな特性が……流石は世界樹の獣、その始祖と言ったところでしょうか」


「僕は厄介な力だと思ってるけどね。この特性は無意識化でも発動するから」


 この種族特性のせいで、何度犯罪に巻き込まれそうになったことか。

 どうせなら、強い力も欲しかった。襲われても軽く制圧できるくらいの、圧倒的な力が。このままの姿だと、僕は無力な人のままだから。


 冷えたカフェオレを口に含んだ。


「今は少し身体に力が入らなくなってるかもしれないけど、すぐに楽になるよ」


「……あ、本当だ。ちょっと楽になりました」


「流石は天使族。あらゆる事象への耐性が強い種族だ」


 少し乱れたエフェナの髪を、手櫛で梳かす。


「ちょっと迷惑をかけちゃったね。お詫びに、ここは先生が奢ってあげよう」


「え、でも」


「いいから。子供は黙って奢られておきなさい」


 エフェナが王族であろうと関係ない。

 ここは彼女を王族として丁重に扱う本国ではないし、僕の前では一人の生徒なのだから。


「それに、夜までの良い時間潰しにもなったし、それの御礼も兼ねて」


「夜まで? 何か、予定が?」


「飲みに行くんだよ」


「先生が? 珍しいですね。お一人ですか?」


「いや、シェルファ先生と二人だけど──」


「は?」


 途端。

 エフェナは真顔になり、低い声で僕に問うた。


「シェルファ先生と、二人きりですか?」


「まぁ、そうだね」


「何処で?」


「わからない。シェルファ先生のオススメって言ってた」


「……飲んだ後のご予定は?」


「現時点ではわからないよ。帰るのか、二件目に行くのか」


「では……セックスのご予定は?」


「オブラートって知ってるかい?」


「勿論ですが」


「なら包んでよ」


「いえ、この際包むべきなのは先生のお──」


「その先は絶対に言わせないからな王女殿下!」


 僕はエフェナの口を塞いだ。

 全く、これだから思春期は……すぐにそっち方面に持って行こうとする。

 溜め息を吐き、僕は言った。


「いいかい? 万が一にもそんなことにはならない。シェルファ先生は同僚だし、仮にそんなことをしようものなら次からどんな顔して会えばいいのかわからなくなるだろう」


「本当ですか?」


「当然。そんな雰囲気にもならないよう注意するよ」


「……」


 変な詮索をされないために、僕は言葉を並べる。

 しかし、エフェナの表情は晴れない。

 真剣な面持ちで顎に手を当て、瞼を下ろし、呟く。


「会議の時間と内容を少し変更したほうが良いですね。飛行能力を有する者には、要請を……」


「エフェナ? おーい」


 呼びかけるが、エフェナは思考の海に旅立ったまま帰って来ず。

 結局、彼女が我に返ったのは、荒い呼吸と覚束ない足取りの店員さんがケーキを運んできた時だった。

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