第14話 ご主人様はな。風呂場に突撃して身体を舐めてくるのは良くないと思うんだ。

 帰宅後。


「私のご主人様はとうとうド変態の淫行教師になってしまわれたようですね」


 狼メイドのエイザは汚物を見るような冷たい眼差しで僕を見つめて言った。


「女性の産卵をマジマジと見ること自体、倫理をフル無視しているというのに、それに加えて教師と生徒の関係、さらには首を噛ませて傷痕を舐めさせるなんて……不健全にも程があります。面会には行ってあげますので、しっかりと反省してください」


「なんで僕が捕まることを前提に話しているんだ」


「通報したら逮捕はなくとも連行はされると思いますよ」


「そうだけど。そうだけれども!」


 ぐぅの音も出ないが、それで終わらせるわけにはいかない。

 僕は自分の額に手を当てた。


「仕方がなかったんだよ……生徒にあれだけ必死にお願いされたら、誰も断ることなんてできない。苦しむ生徒に寄り添わない教師が何処にいるんだ」


「それで淫行教師のレッテルを貼られていたら世話ねぇのでは?」


「なんでちょっと口調を崩したんだ……それでも、辛そうな子は放っておけない」


「では、私が必死にお願いしたら産卵を手伝ってくださるのですか?」


「君は一人で産めるだろ」


「冷たいですね」


 不満そうに頬を膨らませたエイザは、細めた目でジッと僕を見つめ……『それにしても』と、嘆いた。


「悪手が過ぎると思いますけど」


「悪手? どの点が?」


「産卵を補助してしまったことが」


「? どういうことだよ」


 言っている意味が理解できずに問い返すと、エイザは人差し指を立てた。


「いいですか? 産卵期に産む卵は一つや二つではありません。もっと多くの卵を産むのです。産卵はいずれも同等の苦しさがあるもの。初めての産卵を大好きな人に抱きしめられながらしてしまったら……もうそれを忘れることはできない。次も確実に同じことを要求されますよ」


「……」


「しかも、抱かれながら産むのが癖になっている可能性もある。だから、私は悪手と言ったんです」


 僕は返す言葉が見つからずに黙り込んだ。

 確かに、その通りだ。

 今回は僕が傍にいたことで何とかパシェルは産卵を済ませることができたけれど、もしも、彼女が今後も誰かが傍にいないと産めなくなってしまったら。

 それは困る。毎度僕が手伝ってやるわけにもいかないし。


 良かれと思ってやったことだが、裏目に出る可能性があるってことか。

 悩みの種は尽きないな、全く……。


 一先ず、このことは置いておこう。少し現実逃避をさせてくれ。

 思考の海から上がった僕は、白い湯気が滞留する天井を見上げ……ふと、先ほどから思っていることをエイザに告げた。


「ところでエイザ」


「何でしょうか」


「君……なんでここにいるの?」


「? 言っている意味がわかりません」


「いや、わかるだろ。だってここ──風呂場だよ」


 パシャ。

 僕は自分の身体を沈めている白い湯の水面を叩いた。


「主人の入浴中に突撃してくる従者があるか。僕、全裸だぞ」


「ご安心ください。浴槽の湯は入浴剤の影響で白く濁っておりますので、ご主人様の秘部は見えておりません。残念ながら。大変、残念ながら」


「強調して二回も言うな。あと大丈夫かどうかは僕が決めることだ。そして、この状況は大丈夫じゃない」


「だって、仕方ないではありませんか」


 唇を尖らせ、エイザは僕の首──噛み痕がある箇所を見た。


「ご主人様がいつも以上にメスの香りをプンプンさせながらご帰宅されたのです。何があったのか知りたいと思うのは、恋する乙女の常なのですから。案の定……そんな噛み痕をつけて」


「仕方ない。産卵は苦しいものなんだから」


 僕は指で傷に触れる。

 確かに痛みはするけれど、僕がこの程度の傷を負うことで、パシェルの苦しみが和らいだのならお釣りがくる。名誉の負傷というやつだ。


「全く……失礼しますね」


「え? って、おい!」


 何を考えているのか。

 エイザはメイド服を身に纏ったまま、僕が浸かる浴槽に侵入してきた。湯に身を沈め、その温かさに一息つく。


 何をやっているんだ、この子は。

 唖然とした僕が見つめる中、エイザは湯を掻き分けて僕のほうへと近寄った。


「ちょ、ちょっと──」


「動かないでください」


 逃げ場のない浴槽の隅に僕を追いやったエイザはそう言い、次いで──噛み痕がある僕の首に顔を近づけ、傷に舌を這わせた。


 ピリッと走る、鋭い痛み。昼間にも感じた、唾液が肌を滑る感覚。

 何でこんなことを。

 僕はエイザに尋ねようと口を開くが、その直前、彼女の意図を察した。


「傷の……治療か」


「はい。もう治りましたよ」


 舌と顔を離したエイザが言い、僕はそこに手をあてる。

 既にそこに噛み痕はなく、痛みも全くない。完治した綺麗な肌があるだけだった。


 フェンリルの体液には様々な効力がある。

 その中には、傷の治癒も。


「流石はフェンリルだな」


「恐れ入ります」


「しかし……これは不健全じゃないのか?」


「問題ありません。あくまでも治療が目的ですので」


「だとしてもだろ……服を着たまま風呂に入って」


 僕は視線を下に向けた。

 湯を吸ったメイド服が、エイザの身体にぴったりと張り付いている。そのせいで、普段は意識することのない彼女の体型がはっきりと露わになっているのだ。スレンダーだが、メリハリのある良いスタイルが。


 つい、僕はマジマジとエイザの身体を見てしまう。

 当然、彼女はその視線に気が付くわけであり……。


「もしかして、興奮してくれましたか?」


「そんなことは……いや、正直しなかったと言えば嘘になるよ」


「おや、正直ですね。てっきり誤魔化すかと思ったのですが」


「興味ないって言ったら君は泣くだろ」


「はい。大泣きします。そして泣かせた責任を取ってもらいます。具体的には産卵を手伝った生徒と同じようにヨシヨシしてもらいます」


「そういう魂胆があったか……」


「それができないのは残念ですが、でも、ご主人様が私のことを性的に見てくれていると知れて安心しました」


「ストレートに言わないでくれ」


「失礼。では、エロイ目、と」


「もっと悪化してるよ!」


 何だろう。風呂に入っているのに、疲労が取れるどころか、さらに蓄積していく感じがするな。


「……というか、目的が済んだなら早く出なさい」


「いえ、私もこのまま入浴します」


「服着たままか?」


「流石に感触が不快なので脱ぎますよ──ここで」


 エイザは浴槽に浸かった状態でメイド服を脱ぎ始めた。

 本当に、この子は……。

 困った妹を前にした兄のような心境になりながら、僕は彼女の裸体を視界に入れないように顔を逸らした。


「服を脱ぐなら脱衣所で脱ぎなさい」


「このままだと、脱衣所が水浸しになってしまいますので」


「じゃあなんで態々、服を着たまま湯に浸かったんだよ」


「ご主人様に逃げられる前に勝負を決めたかったのです」


「勝負ってなんだよ……」


 浴槽の外側から、ビタン、と何かが床に叩きつけられる音が聞こえた。

 十中八九、エイザがメイド服を放り投げた音だろう。水中で器用に服が脱げるものだ……。


「ふぅ……落ち着きますね。ご主人様と一緒に入浴するのは、普段よりも気持ちがいいです」


「思いっきり不健全だけどね」


「私は生徒ではないので」


「年齢的には彼女たちと同じだろ」


「その前に従者ですから……あ、ご安心を。私は三十分前に入浴済みですので、身体はとても清潔です」


「そこは全然気にしてないよ」


 どうせこの後、もう一度身体を洗うわけだし。

 従者と一緒に入浴なんて……これもまた、生徒に知られるわけにはいかないことだな。

 日に日に秘密が増えていくことに少しだけゲンナリしていると、スイー、とエイザがこちらにやってきた。

 そして──僕の股の間に腰を落とし、背中を僕の身体に預けた。


「ふぅ……やはり、これが一番落ち着きます」


「これは流石にまずいんじゃないの?」


「男女の間柄でしたら、このあとは確実におっぱじまりますね。私としてはそんな展開を期待していないわけではないのですが……」


「やりません」


「わかっております。ですので、今は男女ではなく、家族の関係で。昔はよくこうして、一緒に入浴をしましたし」


「そんな時代もあったか……あ、お触り厳禁です、お嬢様」


「チッ。あ、私はフリータッチですので」


「触りません」


 家族の関係は何処に言ったんだ。

 ツッコミを入れ、僕は肩の力を抜いた。

 ここで何を言おうと、状況は変わらない。エイザは風呂から出ないし、僕もまだ浸かり足りない。

 なら、もういっそのこと、このまま流れに流されてしまおう。

 

 そう開き直り、僕はお湯とエイザの温かさを肌に感じながら、瞼を下ろした。

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