第13話 更なる口止め料を要求されてしまいました
時は流れ、空に星が瞬く夜。
「疲れた……あり得ないくらい、疲れた……」
研究室を後にし、学院の正門に向かって歩きながら、僕はぐったりと肩を落としながら一人呟いた。
全身の疲労が凄い。
特に身体を動かしたわけではないのだけど、とにかく、今日は精神的に疲れた。まさか教師の身で、生徒の産卵を手伝うことになるとはな……。
普通に考えて、倫理的にアウトだ。
特に、生徒が産んだ卵を食べるよりもずっと。
断言できる。
教師の中で、今日のような経験をしたのは僕だけだ。今日はやむを得なかったけど……もうやりたくないな。
大変だし、それに……。
「……」
ふと、僕は自分の首に触れた。
首筋──それは、パシェルの噛み痕が残る部分だ。出血は止まっているものの、痕跡は消えていないため、今は包帯を巻いて隠している。午後の授業で生徒たちから質問されたが、怪我をしたと嘘をついて乗り切った。
何人かは僕の解答に疑いを持っていたけど、ゴリ押した。
いやぁ、危なかった。うちの生徒たちは勘が鋭すぎる。特に、僕のことになると。
「あの感覚……」
包帯の上から、噛み痕を撫でる。
思い出せば蘇るのは、鋭い痛みだけではない。パシェルの柔らかい舌が這い、肌に唾液を塗り込む感覚も同時に蘇る。鮮明に憶えており、忘れることができないのだ。
当然のことながら、教師と生徒の間柄でしていいことではない。
まずったな……これ、バレたらクビじゃないか? しかも、淫行教師の汚名付きで。
パシェルとエフェナには念を押して言ったけど、本当に、誰にもバレないようにしないと。最近の僕はバレたらヤバイことが出来過ぎな気がしないでもないけど……とにかく、気を付けよう──と。
「! あれは……」
正門前に、見知った人影を見つけた。
水色の髪と、竜種の翼。
あれは──シェルファ先生だ。
僕にとって最も親しいと言っても過言ではない同僚が、正門前に立っている。誰かを待っているようだけど……。
「あ、ゼファル君!」
僕の視線に気が付いたらしい。
こちらに顔を向けたシェルファ先生は片手をあげ、僕を呼んだ。
あの反応からして、待っていたのは僕らしい。
何か、用でもあるのか……とりあえず、話を聞こう。
「シェルファ先生。こんな時間まで学院に残っているなんて、珍しいですね」
「え? あ、う、うん。今日はちょっと……やらなくちゃいけない仕事が残ってて」
「? 何か、慌ててます?」
「そんなことないよ! っていうか、ゼファル君のほうが遅くまで残っていたじゃない。あんまり働き過ぎると倒れちゃうよ? 凄い疲れた顔してるし……」
「あぁ、この疲労は別件なので大丈夫です」
詳細を話すわけにはいかないのでそう言い、僕はシェルファ先生に続けて尋ねた。
「僕を待っていたみたいですけど、何かありましたか?」
「あ、あー……うん。用があるのは、そうなんだけど、なんていうか、ちょっと言いづらいというか……」
答えづらそうに言葉を連ね、視線をあちこちに散らし、腕を組んで首を捻り……その後、覚悟が決まったらしい。
シェルファ先生は少し恥ずかしそうに頬を赤くし、近くにいる僕が辛うじて聞こえるほどの小さな声で言った。
「あ、あのね、ゼファル君。私は、その、いけないことだと思うの」
「いけないこと──って」
「うん……パシェルさんとのこと」
嘘……だろう?
知られていることに衝撃を受けた僕は鞄を地面に落とした。
「い、いつ、見ていたん……ですか」
「えっと、全部は見てないんだけど……偶々、君の研究室前を通ることがあって、その時に、窓の外から……」
「き、気が付かなかったです」
「だろうね。ゼファル君、パシェルさんの翼をマッサージするのに集中していたから……」
僕は頭を抱えた。
何かもう、僕に隠し事は向いていないように思える。今朝もそうだ。バレないようにしなくちゃと決意した途端に、他人に知られてしまっている。もはや才能だろ、これ。
「ゼファル君」
僕の肩に手を置き、シェルファ先生は言った。
「これだけは言っておくけど……生徒と産卵プレイはやめなさい」
「僕はそんなつもりでパシェルの産卵を手伝ったわけじゃないです! 彼女は初めての産卵を怖がっていて、その上種族の特性で陽光がないと産卵できなかったから、手伝ったほしいと頼まれて──」
「ひゃ、百歩譲ってそうだとしても! 首筋に痕が残るほど噛みつかせたり、その痕を舐めさせたりするのは駄目! あの時のパシェルさん、確実に発情していたからね!」
「それについても誤解というか、不可抗力というか……」
何を言ってもいいわけにしかならないけれど……。
信じて貰えないことを覚悟の上で、僕はシェルファ先生に言った。
「シェルファ先生。信じて貰えないかもしれませんけど……本当に、僕とパシェルにやましいことはないんです。あれは本当に、ただ産卵を手伝っただけで」
「……本当に?」
「はい」
「本当の本当の本当に?」
「誓います」
僕はすぐに頷くと……シェルファ先生は大きな溜め息を一つ吐いた後、僕の肩から手を離した。
「……まぁ、君が生徒に邪な気持ちを持つはずがないか。普段から線引きをしっかりしているし、あれだけ可愛い生徒たちから迫られても、理性を保っているし」
「信じて貰えて嬉しいです」
「だとしても、あの行為は褒められたものじゃないけどね? 学院長に見つかったら……解雇はないだろうけど、かなりのペナルティを受けるはずだよ?」
「そうでしょうね。でも、あの時の僕に断る選択肢は取れなかった。悩める生徒に寄り添い、力になるのが、教師ですから」
「一歩間違えれば、教育施設での淫行で逮捕だけどね」
「それは間違いないです」
何も言い返せない……。
「あの、シェルファ先生。どうか、このことはご内密にお願いします」
「それは勿論、誰にも言わな──」
僕の頼みに首を縦に振ろうとした──寸前。
言葉を止めたシェルファ先生は少し考える素振りを見せ、数秒間沈黙。
その後……ニヤ、と口元に笑みを浮かべた。
「ゼファル君。このこと、黙っていて欲しいんだよね?」
「……はい。黙っていてほしいです」
「なら、口止め料を貰おうかな」
「…………何をお求めに?」
昨日に続き、今日も口止め料を要求されるとは。
一体、どんな要求がされるのか。
身構えると、シェルファ先生はクスっと笑った。
「そんなに警戒しなくてもいいよ。単に、明日一緒に飲みに行こうって誘うだけだから」
「飲みですか?」
「うん。明日も明後日も休みだからね。本当は明日、一日お出かけとも思ったけど……起きれる自信がないから」
「そういえば、シェルファ先生は休みの日は夕方まで寝てるって言ってましたね」
「お恥ずかしながら」
アハハ、と恥ずかしそうにシェルファ先生は頭を掻いた。
そんな彼女に笑みを返し、僕は頷く。
「飲みに付き合うだけでいいのなら、喜んで」
「よし来た! おすすめのお店があるから、そこに連れて行ってあげる。18時に……王都の中央広場でいい?」
「了解です。遅れそうな場合は連絡しますね」
「はーい。じゃあ……また明日」
心を躍らせた様子で手を挙げ、シェルファ先生は帰路についた。
徐々に小さく、遠くなっていく彼女の背中を見送り、僕はホッと息を吐いた。
見られていたのは想定外。
だが、飲みに付き合うだけで黙っていてくれるのなら、乗らない手はない。ただ、僕はあまり酒が強くないので、飲みすぎないようにしないと。
酒は飲んでも飲まれるな。
自分に言い聞かせ、僕も狼メイドが待つ家に向かって歩き始めた。
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