第10話 教師らしい授業を
今日は一限目に、普段は受け持っていない一年生のクラスを授業することになった。
その理由はシンプルで、本来そのクラスの授業を行うはずだった担当教師が体調を崩して休んでいるため、急遽、手の空いていた僕があてがわれたのだ。
要するに、代打だ。
正直なことを言えば自分の研究時間が削られるため乗り気ではないが……こればかりは致し方ない。文句を言わず、教鞭を取るとしよう。
「えっと……テストまでに教えなくてはならない範囲は残り五ページか」
一年生の教室が並ぶ廊下を歩きながら、事前に受け取った教員用の教科書に貼られていたメモを見る。
科目は亜人史。
太古の時代から現代に至るまでに起きた事象と、亜人がどのような進化を果たしたのかを学ぶ教科だ。
幸いなことにも、亜人史は僕の専門範囲内。
これなら、生徒からの質問にも答えられるだろう。
五ページ程度であれば、十数分で教え終わる。
終わったら、あとは自習にしよう。
僕は廊下を歩きながら簡単な方針を決め、目的地──1 ━ 3 と書かれた札が掛かる教室の扉を開き、中に入った。
「はい、授業を始めるよ──って、あれ?」
教室に入り、教壇へ向かう途中で足を止め、僕は着席している生徒たちを見回した。
やけに静かだ。
廊下を歩いている時は沢山の話し声が聞こえたのだが、僕が入室した途端に室内は静まり返り、皆が皆、無言で僕を注視している。
なんだ?
生徒たちの様子に僕は首を傾げたが、あぁそうか、とすぐに納得した。
いつもとは違う先生が来たのだから、困惑するのは仕方ないと。
まずは自己紹介からかな。
僕は教壇に上り、生徒たちに向けて言った。
「えー、今日は亜人史担当の先生が体調不良でお休みなので、時間が空いていた僕が代わりに来ました。普段は臨時講師として、主に二年生で全教科を担当しているゼファル=シルドラーグです。一時間だけではありますけど、よろしく」
ありきたりな言葉だったけど、これで大丈夫かな?
自己紹介を終えた僕は少しだけ不安に思いつつ、静寂に包まれた教室内を見回し、生徒たちの反応を待つと──拍手が起こった。
一人、二人、三人。
手を叩く者は瞬く間に増え、ものの数秒照らずで教室中に広まった。
否、それだけではない。手を叩く生徒たちはその場で立ち上がり、更に大きな音を鳴らし、中には涙を流す者まで現れた。
「遂にゼファル先生の授業を受ける日が来たか……」「教科担当の表を見た時は絶望したけど、神は私たちを見捨てていなかったみたいだね!」「雨の中、何時間も祈った甲斐があった……」「風邪ひいてた原因はそれか」「あれ、何だか普段よりも空気が美味しく感じる」「あ、ちょっとあんたあんまり吸い過ぎないでよ酸素がなくなるでしょうッ!!」「酸素がなければ二酸化炭素を吸えばいいじゃない!」
徐々に熱を帯び、盛り上がる教室内。
生徒たちが生み出す拍手音と声が反響し、かなり騒がしい。これでは他のクラスの迷惑になってしまうので、早く静かにさせないと。
「皆、静かにッ! 先生に聞きたいことがあったら、授業終わった後に聞くから! 今は静かに授業を聞いてください!」
「「「「はーい」」」」
生徒たちは気の抜ける返事をし、それぞれの席に着席した。
本当にわかってるのか心配だが……一先ず、静かになったので良しとしよう。
僕は持参した教科書の指定されていたページを開いた。
「えっと……一応、復習からやっておくか」
呟き、僕は黒板に白いチョークを滑らせた。
「今からおよそ6万年前。宇宙より飛来した直系50キロの小惑星の衝突によって、それまで地表に暮らしていた生物の八割が死滅する大量絶滅が発生。そこから約5000年間、空は暗黒の雲に包まれ、地表には陽光が降り注がなくなった。ここまでが、前回の内容だったね」
生徒たちが頷いたことを確認し、僕は続ける。
「黒雲に覆われ、光が地表に届かず、多くの生物が死に絶え滅びる寸前だった世界。それを救ったのは、小惑星の衝突から5000年が経過した頃に出現した──世界樹だ」
僕は黒板に大きな木の絵を描いた。
「世界の中心に立つ高さ35000メートルの巨大樹は、汚染された大気を浄化し、黒雲を消滅させた。地表に陽光を届け、世界を明るく照らしただけでも十分に偉業なんだけど、それだけではなく、世界樹は世界にあるものを産み落とした。それは?」
「世界樹の獣たちです」
「正解」
一番先頭の席に座っていた生徒の回答に頷き、僕は鳥や竜、狼などの簡易的な絵を、世界樹の傍に描いた。お世辞にも上手いとはいえないけれど……特徴は掴んでいるし、伝わるだろう。
「世界樹が生み出した獣たち──代表的な例を挙げると、フェニックス、クラーケン、フェンリル、アルラウネ、ウロボロス。これらを始めとした獣たちは世界に散り、氷を復活させ、大地を植物で覆い、海洋を浄化し、新たな循環を作り……生物たちが暮らすのに適した環境を作り上げた。これが、およそ四万年前のこと」
そこで一度説明を区切り、僕は授業を受ける生徒たちを見回した。
皆、真剣に僕の授業を聞いてくれている。真面目な表情でノートを取り、黒板を見つめ、僕の解説に耳を傾けている。
ありがたい。
真面目に聞いてくれるか不安なことはあったけど……どうやら、杞憂だったらしい。
彼女たちの集中力が切れてしまう前に、進めてしまおうか。
「多くの生命の生存に適した環境ができたことで、絶滅期を生き残った生物たちは爆発的に数を増やしていった。誕生と死亡を何千、何万、何億と繰り返し、その過程の中で、生物は幾度も進化していった……我々亜人の出現は、三万年前のことだよ」
これは言葉だけで説明しよう。
チョークを置き、僕は生徒たちに向き直った。
「多くの生物たちは高度な知性を獲得するために、かつて世界を支配していた人間という生物に似通った姿に進化した。更に、絶滅期には胎生の生物があまり子孫を残せなかったことも起因し、全ての生物が卵生に変わった。胎生から卵生への進化……いや、退化というべきかな。この説は最近になって事実であると証明された説だ。これを実証した人物は、教科書にも書いてある通り。ゼファル=シルドラーグ……つまり僕だね」
生徒たちは教科書に載っている僕の写真と、目の前の僕を見比べ、どよめいた。
胎生という性質の発見と、卵生への変化。これは僕の実績の一つだ。
これまで全ての生物は卵生であるとされてきたが、実はそれが間違いであったという証明。化石や地層の調査に加えて、亜人の細かく研究したことで実証した。
ただ、これは僕の実績の中では、あまり目立たない。
僕という研究者の代表的な実績は他にあるのだ。僕が最年少で博士号を取得することになった成果は。
パタン。
教科書を閉じる。
「テスト範囲はここまでだね。皆が真剣に聞いてくれたから、早く終わることができた。ここから先は自習にしよう。各々、勉強したい教科に取り組んで欲しい。それと──」
向けられる生徒たちの熱い視線。
これらを無視することは流石にできないな。
苦笑し、僕は眼前の彼女たちに手招きした。
「僕に質問がある子は、こっちにおいで。可能な限り答えてあげるから」
……自習時間が、僕への質問時間に変わったのは、言うまでもないことである。
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