第9話 内気な彼女が読んでいた本
「君は確かエフェナと同じ、第二学年四組のパシェル=フロウフォールさん、だよね?」
「! 私のことを、ご存じだったのですか?」
「勿論。授業をしたクラスの子たちの顔と名前は、全て頭の中に入っているよ」
驚きの声をあげたパシェルに返し、僕は次いで、彼女のこめかみから伸びる枝の角を見た。
そこに咲き、先ほどから甘い香りを発している数輪の白い花を。
「特に君の種族は珍しいからね。個人的にも注目していたんだ」
「ちゅ、注目って──」
狼狽した様子で僕の言葉を復唱したパシェルは顔を赤く染め、俯き、自分の両手で頬を挟んだ。
「そ、そんな……私はまだ学生だし、それに、皆が大好きなゼファル先生を私が独り占めするなんて──いやでもでもでも、別に嫌というわけでは全くないし、寧ろ先生と本の内容みたいなことをするのは嬉しいし幸せすぎてとんでもないことになりそうで……」
「お、おーい、パシェル~?」
僕はパシェルに呼び掛けるが、彼女は自分の世界に入ってしまったようで返答はない。ブツブツと恥ずかしそうに独り言を呟くだけで、僕の言葉は届いていないようだ。
どうしようかと困っていると、パシェルの隣に座っていたエフェナが僕に言った。
「すみません、ゼファル先生。パシェルは少し、いやかなり、受け取った言葉を変な風に解釈する癖があるんです。私と違って」
「私と違って? エフェナも大分その気があると思うんだけど」
「え? フフ、先生は冗談が上手ですね」
「ほら」
何ならパシェルよりも酷い気がする。
僕が本気で冗談を言っていると思い笑っているエフェナに愛想笑いを返すと、パシェルが我に返り、僕に謝った。
「す、すみません、ゼファル先生……一人の世界に入ってしまって」
「あぁ、全然大丈夫。別に迷惑を被ったわけでは──」
「私は先生に滅茶苦茶にされても全然構わないです!」
「待って君の世界の僕はどんな奴だったの?」
生徒に『お前を滅茶苦茶にしてやりたいんだ』とか言ったのか? やばい奴じゃん。教師以前に人として終わってるよ、そんな奴。あとパシェルも受け入れちゃ駄目。拒絶しなさい。
「パシェル。妄想の世界のことを現実に持ち出してはいけませんよ」
「はっ! ……す、すみません」
「多感な時期だねぇ」
その一言で強引に纏め、僕はパシェルに尋ねた。
「パシェルはどうして、ここで眠っていたの?」
「えっと、その、朝の光合成をしていたんです」
「光合成?」
「はい。私は、樹竜とドリアードの
「なるほど。そういうことだったんだね」
説明を聞いて、僕は納得した。
植物にルーツを持つ亜人の多くは光合成を行うことで、活動に必要なエネルギーを生み出している。その中でも混血種は特別で、純血種よりも活動に必要なエネルギーが多くなるのだ。
その代わり、純血種にはない特異な能力を備えていることが多い。
僕は空で燦燦と輝く陽を見上げた。
「ここは日当たりがいいし、程よく風も吹く。光合成をするにはうってつけの場所だね」
「はい。それで、ここに来たんですけど……本を読んでいる内に眠くなってしまって」
「寝落ちした、と」
「そ、その通りです」
パシェルが俯きがちに頷くと、彼女の隣に座っていたエフェナが少し呆れた口調で言った。
「パシェル。貴方は光合成中に眠ってしまって授業に遅れることが多々あるんですから、何とかしないといけませんよ」
「う……そ、そうなんですけどね……中々直らなくて」
「よくあることなんだ?」
「……週に二、三回ほど?」
「思ったより多かったね」
週に二、三回も遅れるのなら、それは遅刻の常習犯だ。
成績に響くのではないかと思ったけど、ここは様々な種族の乙女たちが集う亜人女学院。光合成をしないとまともに活動することのできないパシェルの事情は把握しているはずなので、多少は大目に見てくれているのかもしれない。
生徒の中には、週に一度しか登校しない子もいるわけだし。
ただ、本人は光合成中に眠ってしまうことに悩んでいる様子。僕も教師の端くれ。ここは、対策案を出すとしよう。
「簡単な対策だけど、教室で光合成をするのは?」
「えっと、私のクラスに陽がよく当たるのは、一限目の授業が始まってからなんです」
「じゃあ、隣に誰かいてもらうとか?」
「……私、人見知りで、あんまり頼れる友達がいないといいますか」
「うーん、そうか……」
「そ、それに」
パシェルは申し訳なさそうに言った。
「今は丁度……産卵期で。普段以上に長い時間、光合成をしなくてはならないんです。卵を作るために、多くのエネルギーが必要になるので」
「そうか……って、僕が聞いて大丈夫? 産卵って、かなりデリケートな話だと思うんだけど」
「あ、大丈夫です。私の卵は限りなく果実に近いので」
言って、パシェルは背中に携えた木の翼を動かした。
「私の卵は、翼に実るんです」
「身体から生えた木に卵を実らせる……ドリアードの特性か」
「はい。翼の枝が白くなっているのも、頭の枝に花が咲いているのも、産卵期の特徴で──」
「へぇ、このいい香りがする花もそうなんだ」
僕はパシェルの枝の角に咲く花を注視して言った。
すると。
「「え?」」
ベンチに座る二人は驚きを孕んだ声を上げ、互いに顔を見合わせた。
え、なに?
二人の反応に困惑すると、パシェルは前のめりになって、僕に問うた。
「せ、先生は、この花の香りがわかるんですか?」
「え? う、うん。多分」
「どんな香りですか?」
「どんな……蜂蜜に似た甘い香りと、花畑みたいな香りが混ざってる感じかな? 具体的に表すのは難しいけど、なんだか、こう……春って感じ」
「……嘘」
僕が鼻腔を擽る香りを言葉にすると、それを聞いたパシェルは胸元で両手を合わせ、目を見開き、頬を紅潮させ──告げた。
「先生が、私の……運命の人」
「へ?」
「──ッ」
運命の人。
僕がその言葉の意味を問おうと口を開いた直後。
ボンッ! そんな擬音が聞こえてくるほど一気に顔を赤くしたパシェルは、背中に携えた木の翼を羽ばたかせ──。
「し、失礼します、先生ッ!」
大きな声で言い、パシェルは教室のある校舎に向かって飛び去った。
風が吹き、数枚の葉が舞い落ち、漂っていた春の香りが消滅する。
「え、ちょっと、パシェル!?」
唐突に飛び去ったパシェルの名を叫んだエフェナは、彼女と同じように白い翼を羽ばたかせ、空を飛翔し追従する。
流石は竜種と天使の亜人。
飛行速度は凄まじく、ものの数秒足らずで二人の姿は見えなくなった。
なんでいきなり飛び去って行ったのか。
そして、運命の人というのは一体……?
この場に一人残された僕は疑問に首を傾げながらも、とりあえず研究室に向かおうとし──直前、ベンチの上に残されていた一冊の本に気が付いた。
「これは……パシェルが読んでいた本かな」
赤いブックカバーがつけられたそれを手に取った。
あの子は一体どんな本を読んでいたのだろう。ミステリーか、英雄譚か、はたまたラブストーリーか。
色々と予想を立てながら、僕は少し分厚い表紙を捲り、タイトルの記された一ページ目を見た。
『イケメン教師の淫靡な誘惑~地味な私が教師のアレに堕ちるまで~』
本文よりも太い文字で紙面に記されたタイトル。
パタン。
無言で表紙を閉じ、僕はパシェルが飛び去った方角を見て、言った。
この本のジャンルを。
「……官能小説かよ」
僕はどんな顔して、これをあの子に返せばいいんだ。
その時のことを考えて憂鬱な気分になった僕は肩を落としながら、研究室に向かった。
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