第5話 暗くなった帰路

 すっかり陽が落ち、辺り一面が暗くなった夜。


「ありがとうございます、ゼファル先生。女子寮まで送ってくださって」


「いいんだよ。こんな時間に女の子を一人で帰すわけにもいかないし」


 街灯が発する白い光で照らされた道を進みながら、僕は隣を歩くエフェナに返した。

 現在の時刻は20時。

 研究室に置かれていた卵について、もっと詳細な情報を得ようと本を読み漁っていたら、すっかり遅くなってしまった。

 深夜とは言わないが、女の子が一人で出歩くのに適さない頃であることは事実。僕が彼女が住む女子寮まで送るのは、当然のことだった。


「まぁ、君には遠くから見守る護衛が沢山いるし、君自身も強いから、本来僕はいらないんだろうけどね」


「! 護衛、気が付いていたのですか?」


「流石にね」


 僕は周囲に意識を向けた。

 右に一人、左に二人、さらに後方には三人いる。全員がエフェナの護衛であり、その視線をこちらに向けている。

 これだけの人に見られていて、気が付かないわけがない。僕はそこまで鈍くないので。いや、寧ろ敏感なほうだろう。


「流石は一国の王女様だ」


「うぅ……私はこんなにいらないと言っているんですけど」


「仕方ないよ。君の身に何かあったら大変だ。ここは君たちにとって他国だし、警戒するのは当然さ」


「でも、この国はとっても治安が良いですよ?」


「治安が良くても悪い人が皆無というわけじゃない。特に君は高貴な身分だ。悪い人たちに狙われやすい」


 悪人がいない国なんていない。

 何処であろうと、護衛は絶対に必要なのだ。


「まぁ、護衛の件は諦めなさい。この国だと大分緩いほうでしょ?」


「えぇ、まぁ。本国だと、周囲をずっと囲まれてますから……それに友人たちや先生もいますからね。文句を言わず、我慢します」


「そうだね」


「あとは先生が私の卵を食べてくれたら、文句はないのですけど……どうですか?」


「食べません」


 隙あらば食べさせようとしてくるな……。

 女子寮までもう少し距離がある。この際だ。このことについて、少し聞こう。


「君たちってさ、なんでそんなに僕に自分の卵を食べさせたがるの? やっぱり、受け取って食べた人と結ばれるっていう伝説のせい?」


「勿論、それも理由の一つですよ。女の子は恋愛に関する伝説を信じる生き物ですから……でも、それだけが理由ではないです」


「その他の理由って?」


「説明するのが難しいことなんですけど……本能、というものなのでしょうか?」


「本能?」


「はい」


 エフェナは自分の胸に手を当てた。


「上手く言葉で言い表すことができないのですが……心の奥底にある本能が訴えかけるんです。意中の相手に、自分が産んだ卵を食べてほしいって」


「どんな本能なんだ……」


「う~ん、詳しくはわからないですが……とにかく、私たちのように卵を産む亜人の間では、自分の卵を食べさせたいと思ったら好きになった証拠というのが共通認識としてありますね」


「えっとつまり……好きって気持ちが強いほど、より食べさせたいと思うってこと?」


「フフ、恥ずかしいですが、そういうことになりますね」


 少し照れ臭そうに言ったエフェナは一歩前に出て、正面から僕の胸を指先で小突いた。


「私はほとんど毎日のように、ゼファル先生に卵を食べてくださいって言ってますよね? 要するに、私はそれだけ先生のことが好きってことです。わかりましたか?」


「わ、わかったけど……ごめん。少なくとも君が生徒の内は、君の気持ちには応えられないし……それに、流石に僕のような平民と王族が結ばれるわけには──」


「えー、そんなこと言うんですか?」


 悪戯めいた笑みを浮かべ、ズイ、とエフェナは僕との距離を詰めた。

 鼻腔を擽る異性の甘い香り。

 咄嗟に僕は一歩後退しようとするが、それは許さないと言わんばかりに、エフェナは僕の腕を掴んで言った。


「自分のことを平民と言うなんて……フフ、おかしな人ですね」


「いや、事実で──」


「世界樹の守り人様ともあろう御方が、平民なわけがないでしょう」


「ぐ、ぐぅ……」


 痛いところを突かれたな。

 うん、まぁ、確かに僕は平民とは言えないかもな。一般的な平民というには、種族も責務も特異すぎる。


 はぁ……あの時、種族が知られてしまった時の油断が痛すぎる。

 僕は思わず片手で顔を覆った。


「簡単に諦めると思ったら大間違いですからね? 先生♪」


「お手柔らかに頼むよ」


「勿論、凄く困らせるようなことはしませんよ。ただ、私はこれでも優しいほうですけど……生徒の中には、先生に対するとてつもなく大きな気持ちを持て余している子もいるので、注意してくださいね」


「え、そんな子いるの? っていうかエフェナが優しいほう?」


「優しいですよ。これは一例ですけど、生徒の中にはゼファル先生を誘拐して、無理矢理卵を食べさせようと企んでいた、悪い子もいましたから」


「……」


 なんだろう。今日の昼、正に目の前の女の子にされた気がするけど……敢えて触れないでおこう。


「怖いね」


「安心してください。先生のことは私たちが守りますから」


「うん。お願い──って、私たち?」


「はい。私たち先生──おっと、これ以上はいけませんね」


 言葉を途中で区切り、口元を片手で覆ったエフェナはくるりと身体の正面を前に向け、いつの間にか前方に見えていた女子寮のほうへと駆けて行った。


「それでは先生。送っていただきありがとうございました。また明日」


「あ、あぁ。また明日……」


 僕が片手を上げると、エフェナはその場で一礼し、女子寮の中へと入っていった。

 彼女は最後に何を言いかけたのか。

 答えを得ることのできない疑問にモヤモヤしながら、僕は空腹を訴えた胃袋の鳴き声に従い、近くに店を構える食事処へと足を向けた。



     ◇



 ゼファル先生と別れ、女子寮に入った私は自分の部屋には向かわず、地下に続く階段を下った。

 地上とは違い、明かりが絞られた暗い階段。

 総数40段にもなる長いそれを下り切った先にあるのは、漆黒の扉。

 重厚な雰囲気の漂うそれに手を伸ばした私はドアノブを掴み、ゆっくりと押し開き、中に足を踏み入れた。


「遅くなってしまい、申し訳ありません」


 室内に設置された円卓に座る者たちへ言い、私は扉から最も離れた位置にある自分の席へと向かう。

 席に座っている者は、総勢九名。

 全員が少しピリつき、厳かな空気を纏っていた。


「随分と遅い登場だな、No.0。ここにいる全員は、もうかれこれ一時間近く、あんたを待ってたんだぜ?」


 円卓の中央に置かれた青い火が灯る蝋燭だけが光源の暗い部屋では、発言者の顔を見ることはできない。

 しかし、声を聞けば誰が話したのかは明白。

 その人物の名前──ナンバーを告げ、私は返す。


「それは申し訳ありませんでした、No.5。それに他の皆様も。実は先ほどまで、ゼファル先生と調べものをしておりまして……フフ、そこまで送っていただきました」


『な──ッ』


 室内に動揺が走る。

 ここにいる全員はまだ、彼に女子寮まで送ってもらった経験がない。いやそれどころか、彼と二人で歩いたことすらない、憧れる者たちアドマイヤーズ

 顔は見えないけれど、今頃、羨望に歯噛みしていることでしょう。


 さて、時間が押してしまっている以上、無駄話は避けたい。

 早いところ、始めてしまいましょう。

 両手を叩き──呼び掛けた。


「では、早速始めましょう。我々──『愛しの先生親衛隊ファンクラブ会員番号一桁シングルナンバー』の定例会合を!」

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