第3話 翼のマッサージにおいて、僕の右に出るものはおりません
世界が茜色に染まる夕暮れ時。
一日の授業が全て終わり、学院の多くの生徒が帰路につく放課後。
「あの……エフェナさん?」
窓から夕陽の光が差し込む研究室に入った直後。
僕は突然こちらに駆け寄り、僕の身体を腕と翼で優しく抱きしめてきたエフェナに、この行動の理由を尋ねた。
「いきなりどうしたの? っていうか、どうやって部屋に入ったの? またピッキングした?」
「特に深い意味はありません。ただ……先生が普段よりも疲れているように見えたので、抱擁で癒してあげようかと思って」
質問に答えないということはまたピッキングして入ったんだろうなぁ。
半ば諦めつつ、僕はエフェナの背中をポンポンと叩いた。
「僕が疲れているように見えた?」
「はい。とっても」
「そっか。心配かけてごめんね。でも、僕が疲れて見える理由は誰かさんのせいで昼食を食べることができなかったからだと思うんだ。誰かさんのせいで。誰かさんのせいで。大事なことなので三回言ったけど心当たりある?」
「まぁ、それは酷い! 食堂に向かおうとしていたゼファル先生を拉致して階段裏に連れ込んだなんて……一体、誰が?」
「君だね」
他人事のように詳細まで語りやがって……。
全く反省していないエフェナの頬を、僕は痛くない程度の力加減で摘まんだ。
「君に誘拐されなかったら、僕は今頃ここまで疲れてなかったんだよ。食事抜きで午後の四限連続授業は流石にきつかった。反省しなさい」
「ふぁい。ふぉめんなふぁい」
「もうしませんって言いなさい」
「……例え私が誓っても、第二、第三の私が先生を誘拐するでしょう」
「次やったら研究室を出禁にします」
「申し訳ございませんでしたゼファル先生。もう二度としませんので、何卒お慈悲を」
恐ろしく早い掌返し。
謝り、誓い、エフェナは『出禁は嫌です先生!』と僕の胸に顔を押し当て懇願した。
勿論、出禁は冗談だ。
いや、これを言っても誘拐すると言い続けるなら本当にしたかもしれないけど、もうしないと誓った以上はしない。『反省しているならそれでいいよ』と僕はエフェナの後頭部をそっと撫でて言い、抱き着く彼女を離して執務机に歩み寄った。
「えっと、確かこの辺に……あぁ、あった」
執務机の引き出しを開け、その中に入っていた黒いブラシを取り出し、僕はエフェナに言った。
「エフェナ。そこのソファに座って」
「へ?」
「翼のマッサージ、するんだろう?」
「あ、はい! よろしくお願いいたします」
エフェナは言われた通りソファに座り、少し緊張した様子で背筋を伸ばした。
「ちょっとだけ緊張しますね。殿方に……自分の大事な部分を好き放題にされるというのは」
「別に好き放題するわけじゃないし、あまりにも誤解しか招かない言い方をするのはやめなさい」
「わかりました。二人だけの秘密、ですね?」
「いや、秘密にする必要はないけど言い方を──あぁ、もういいや。さっさと始めよう」
これ以上喋らせると変なことを言いかねない。
この後は用事もあることだし、早くマッサージを始めてしまおう。
ただ、その前に。
「先に忠告しておくよ、エフェナ」
「忠告ですか?」
「うん。僕の翼マッサージは──飛ぶよ」
ニヤリと笑って前置きした僕はエフェナの隣に腰掛け──グリッ、と彼女の美しい翼の付け根を指先で強めに摘まんだ。
途端。
「ひゃん──ッ!?!」
エフェナは驚きと困惑、そして快感が入り混じった嬌声を上げた。
「な、なんですか、今の──」
「はいはい。ちゃんと説明してあげるから、暴れないの」
「あ……はい、すみません」
頬を赤く染めて恥じらい、口元を手で覆うエフェナ。
あれだけ大きな反応をするということは……相当疲れが溜まっているらしい。よく解さないと。
グッ、グッ。
ゆっくりと、丁寧に、絶妙な力加減で翼の付け根を揉み解しながら、僕は解説した。
「天使も竜も、有翼種の亜人の翼は基本的な構造が同じだ。で、翼の中で最も筋肉と神経が密集していて、尚且つ疲労が蓄積しやすいのがこの付け根だ」
「そ、そうなのですね……んっ」
「次に翼角と前縁。飛行する際にはよく動かすし、地上を歩いている時でも、普段から翼の重さ全てを支えているのだから、疲れるのは当然だね。ただ、これらは自分で触ることが難しい位置にあるから、マッサージとかのケアを怠る子は結構多い。最低でも、週に一度はしたほうがいいんだけど」
「た、たし、かに……っ、私も、自分では、したこと──ぁ、ない、ですねっ」
「そうだろうね。この凝り具合を見ればわかるよ。かなり固い」
慣れた手つきで的確にツボを刺激しつつ、解説を続ける。
「それに、翼のマッサージは素人にできるものじゃない。さっきもいったけど、ここは神経と筋肉が密集している。素人が下手に力加減を間違えて触れば、それらが傷ついてしまう。最悪、翼の機能が制限されることになってしまう」
「せ、先生は……なんでこんなに、上手なんですかぁ」
「僕を誰だと思っているんだ」
快楽に身も心も弛緩した様子で問うてきたエフィアに、僕は得意げな顔を作って返した。
「僕は亜人研究の第一人者。亜人の研究で、史上最年少で博士号を取った専門家だよ? 何処をどの程度の力加減で、どのように触れれば一番気持ちよくて、なおかつ疲れを取ることができるのか。そういうことはよくわかってる。ある意味、君たち以上に君たちの身体について知見があるんだから」
「く、悔しい……でも感じちゃうッ!」(疲れが取れていくのを)
「フッフッフ。このマッサージが終わった頃にはきっと、君は思わず空を飛びたい衝動に駆られるだろうね」
「そ、そんなに……あ、そこ、凄くいい……」
「ここ?」
僕は翼角の側面を人差し指と親指で挟み、先ほどよりも強く押し込む。
すると……。
「はう──ッ!!」
ビクンッ! と大きく身体を震わせたエフィアはそんな声を零した後、全身を弛緩させ、ぐったりと僕のほうへ倒れ込んだ。
その表情は……風呂に浸かっている時のようにとても安らかで、気持ちよさそうだ。
「先生……もっと、感じさせてください」(疲れが取れていくのを)
「いいけど……とりあえず、言い方と声、何とかならない?」
バレたら大問題になりそうなことを黙っていてもらう代わりに、バレたら大問題になりそうなことをさせられている。
これでは本末転倒なのでは……。
そう思いながらも、僕はエフィアの翼マッサージを継続した。
彼女の大きな嬌声がどうか、誰にも聞かれていませんように。
そう切に願って。
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