第2話 誓ってやらしいことはしていません

 昼休みに食堂へ向かう先生を誘拐するのはやめてください。

 最悪の場合、先生が学院に行きたくなくなってしまいます。


 多くの生徒たちが使用する、階段裏の薄暗い空間にて。

 近日中に学院の生徒たちへ向けてそんな注意喚起をしようと心に決めながら、僕は先ほどからこちらをジッと見下ろしている少女に尋ねた。


「ねぇ、エフェナ。なんでいきなり僕を誘拐したの? いや、事前に告知していればいいってものでもないんだけどさ」


「全部先生が悪いんですよ……私が授業を受けている間に、他の女と密会していやらしいことをしていたゼファル先生が……」


「そんなことしてないんだがッ!?」


 全く身に覚えのない疑いをかけられていることに驚きつつ、僕が首を左右に振って全力で否定すると、眼前のエフェナは光の消えた暗い瞳で僕の顔を覗き込んだ。


「とぼけても無駄……私、天使族……強いね」


「え、何その言い方」


「安心してください、先生」


 ガシッ! 力強く僕の両肩を掴み、エフェナは口角を上げた。


「私は別に怒っていません。知りたいだけなんです。私が授業を受けている間、研究室で誰と何をしていたのかを」


「……君が言っている、いやらしいことなんて何もしてないけど」


「嘘ですよね? その証拠に、先生の口内での唾液分泌量が平常時よりも1.3倍に増えていますし、お腹が鳴っていますよ」


「昼休みでお腹が空いてるからだよ」


「空腹でしたら、ここに私の卵が──」


「No,thank you」


 どさくさに紛れて食べさせようとしないでくれ。今朝断ったばかりでしょ。


「強情ですね」


「事実無根だからね。認めるわけにはいかない」


「あくまでも自分は無実と……ですが、ゼファル先生」


「なに」


「私はつい先ほど、顔を真っ赤にして廊下を走り去っていくシェルファ先生を目撃しました」


 ……あ。


「流石に気になってしまい、私は彼女を呼び止めて、何があったのかと尋ねました。当初は『何もないですよ』と誤魔化していましたが、私が誠意を込めたお願いと、ちょっとした贈り物をすると、シェルファ先生は一体何があったのかを教えてくれました」


「わ、賄賂……」


「彼女は、こう言いました」


 シェルファ先生の真似だろうか。

 一拍を空けたエフェナな恥ずかしそうな表情と仕草をし──。


「わ、私、大胆にも……ゼファル君のをしゃぶってしまいまして!」


「なんで誤解しか招かないような言い方するんですかシェルファ先生ッ!!」


 僕は頭を抱えて叫んだ。

 大事な部分が全部抜けてる。これだと、本当に卑猥なことをしたように受け取られるよ。しかも、彼女が顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしているのなら、なおのこと。


 これが広まってしまったら、良からぬ噂になってしまう。そうなったら、僕らの教員生活が危うくなってしまうぞ。

 頼むぜ……先輩。


「さぁ、先生。これでもまだ否定しますか?」


「語弊と誤解があるんだ。シェルファ先生の説明不足で──」


「言いふらされたくなかったら私の無精卵を食べて、私のお腹に有精卵を作ってください」


「脅迫するのか卑怯者め!」


「フフフ、女は愛のためなら悪魔にもなれるのですよ」


 キリッ! と凛々しい顔で言ったエフェナに呆れながら、僕はシェルファ先生が説明していない部分を語った。


「彼女が舐めたのは僕の指だよ。紙で切ってしまってね。彼女は竜の亜人だから、傷口を舐めて治してもらったんだ」


「あぁ、なんだ。そういうことだったんですか」


「あれ、すぐに信じるんだ?」


「良い女というのは、愛する人を信じるものですからね」


「誘拐してる時点で元も子もないと思うけどね」


「それは愛ゆえに」


「愛って便利だなぁ……」


 苦笑すると、エフェナは『でも』と不服そうに言った。


「無実ではありましたが、それはそれとして口止め料を要求してもいいですよね? 先生たちの秘密の」


「……致し方ない。何をお望みで?」


「今日の放課後、お時間をください」


 言って、エフェナはパタパタと嬉しそうに翼を動かし、望みを告げた。


「翼のマッサージをしてほしいんです。いいですか?」


「勿論、それくらいなら構わないけど……意外だ。てっきり卵を食べろと言ってくると思ったよ」


「断られることはわかりきっていますからね。それに、可能ならば先生には、産み立ての卵を食べていただきたいので」


「また無茶なことを……」


 何度も言っていることではあるが、生徒の産み立て卵を食べる教師なんて変態以外の何者でもない。もしもそんなことをして、それが知れ渡ってしまったら、僕は翌日の新聞の一面を飾ることになってしまう。そうなれば、末代まで笑いものだ。


 僕は絶対に生徒の卵は食べない。

 ここに誓おう。


 さて、そろそろ食堂に向かおう。

 と、僕は薄暗い階段裏から出ようとした時、エフェナが問うた。


「ちなみに、指を舐める以外は何もありませんよね?」


「何もないよ。ただ、研究室に置かれていた卵について相談しただけで──」


「卵?」


「ん? …………あっ」


 口が滑った。

 しかし、そう思った時には既に遅かった。

 ガシッ! と力強く僕の手首を掴んだエフェナは背中の大きな翼で僕の身体を覆い……逃がさない、という強い意思を感じる目で言った。


「貰ったんですか……私以外の女から」


「違う! 貰ったわけじゃないよ! 知らない内に研究室に置かれていたんだ!」


「食べましたか?」


「食べてないよ! 今も研究室に置いてあるッ!」


「……なら、良しとしましょうか」


 エフェナは放出していたドス黒いオーラを消滅させ、翼を折り畳んで僕を解放した。

 良かった。また面倒なことになるかと……。

 僕が安堵の息を吐くと、エフェナは不思議そうに僕へ尋ねた。


「でも、どうやって研究室に置いたんでしょう。施錠はされていたんですよね?」


「そこも謎だね。一応、卵の特徴的に海にルーツを持つ亜人のものだということはわかっているんだけど……現時点では、それくらいしか情報がない」


「ゼファル先生は本当に大変ですね。生徒から卵を押し付けられるなんて」


「卵を押し付けてくる生徒の筆頭が自分であるという自覚ある?」


「勿論ありますよ。最も先生に好意を伝えている健気な生徒であるという自覚は」


「間違いとも言えないのがムカつくなぁ……」


「それほどでも」


「褒めてないよ」


 トン、と僕はエフェナの額に軽く手刀を落とし、次いで、腕時計に視線を向けた。

 マズイ。もうすぐ食堂が閉まる時間だ。早く行かないと、昼食なしで午後の授業を行わなければならなくなる。

 ただでさえ空腹なのだ。それは困る。


「エフェナも昼食まだでしょ? 早く食堂行くよ」


「いや、私は……あ、その前に先生!」


「ん? なに──」


 踏み出した足を止め、エフェナの呼びかけに応じた瞬間──彼女は僕の右手を取り、その人差し指をパクッと咥えた。

 少し前にも見た、既視感のある光景。

 エフェナの突然の行動に身体が硬直する。しかし、そんな僕には構うことなく、彼女は僕の指を丹念に舐め──数秒後。

 プハ、と満足そうに指から口を離したエフェナは妖艶な表情で唇に舌を這わせ、僕の耳元に顔を寄せ、


「──上書き完了です」


 囁き、僕から離れて廊下を駆けて行った。

 ……一体いつから、あの子はこんなことをするようになったのだろう。


 胸中で呟き、僕は呆然と、エフェナが駆けて行った廊下の先を見つめ続けた。

 尚、我に返った時には食堂の営業時刻が過ぎていたことは、言うまでもないことである。

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