02:思わぬ成り行き

 聖純は、反射的に居酒屋の出入り口を振り返った。

 入店してきた人物が八津嶋玄濤ではないか、と期待したからだ。

 しかしひと目見て、当てが外れたことを即座に認識し、失望した。


 そこにたたずんでいたのは、年若い一人の女性だった。

 八津嶋玄濤は男性で、年齢もひと回り以上年長だと、祖父から聞いている。入店してきた女性は、聖純と四、五歳程度しか違わず、まだ二〇代半ばと見て取れた。



 女性は、恐る恐るといった様子で、のぞき込むように店内の様子をうかがう。

 それから墨田と聖純の顔を順に見比べると、控え目に切り出してきた。


「すみません。もうお店、営業はじまっていますか……?」


「こりゃお嬢さん、いらっしゃい。もちろん営業中だよ」


 墨田は、カウンター越しに女性へ向き直ると、再度野太い声で応じた。

 接客の態度も相変わらず、良く言えば大らか、悪く言えば粗略だった。


「お一人様かい? 席は好きなところに座ってくれ」


「あ、その――実はわたし、こちらのお店のことは、お知り合いから色々評判を教わって。それで今日は是非、おちからを貸して頂きたくて伺ったんです」


 来店した女性は、ちょっと慌てた素振りで、用件を持ち出そうとした。

 墨田はそれを見て、「ほう……」とつぶやき、彼女に探るような視線を向ける。

 この年若い女性も、どうやら飲食する目的で来店したわけではなさそうだった。

 さりとて聖純の目には、自分と同じ司霊者のようには映らなかったが。



「うちの店に詳しい知人がおられるとは、けっこうなことだ。お嬢さんが教わった評判っていうのは、たぶんここで飲み食いしたり、易占したりすること以外の噂なんだろ?」


 墨田は、考え深げな面持ちになり、自分の下顎したあごを左手で撫でた。

 たしかめるような問い掛けに対し、年若い女性は神妙にうなずく。


「じゃあ何にしても、ひとまずそのへんの席に腰掛けな。今日は生憎、そっちの方面の専門家が店に顔を出していないんだが、差し当たり話だけでも聞かせてもらおうか」


 そう言って女性に席を勧めてから、墨田は次いで聖純の方を振り返った。


「あー、それで緋河の――セイジュンって言ったか。おまえさんはどうする? オレはちょいとこれから、こちらのお嬢さんの相手をしなきゃならない。今日は玄濤のやつもここへ来るかどうか怪しいから、何なら明日以降に出直してもらった方がいいかもしれんが……」


「……いえ。どうか差し支えなければ、もう少しこちらにお邪魔していたいのですが」


 聖純は少しだけ思案してから、墨田の提案を辞退した。

 いましがたまで店を出ようとしていたにもかかわらず、考えを改めたのは、無論いわくありげな女性が登場したせいだ。



 ――この女性はきっと、司霊者を頼るために来店したのだろう。


 それはほとんど確信に近い、聖純の見立てだった。

 この女性は、一人で易占居酒屋なる店を訪ねたが、目的が飲食でも、占いでもないという。

 さらにその居酒屋は、霊能者が出入りする場所で、聖純も祖父の口利きでやって来た。

 そうして年若い女性は、そのような店の関係者に相談を持ち掛けようとしている――

 さて、いったい司霊者の助力が必要な相談とは何か? 


 ――どう考えても、怪異絡みの事案に違いない。


 聖純は、密かに連想を進めて、奮い立つ思いがした。

 この居酒屋は、きっと怪異で困った人々が司霊者を頼って、様々な相談を持ち込んでくる場所なのだろう。

 しからばなぜ、祖父がこの場所へ行けと指示したのかも、ここに八津嶋玄濤が出入りしているのかも、すべて得心がいく。


 また一方で、一人前の司霊者を目指す聖純としては、怪異の事案で悩む人物と出会ったなら、それを放置して立ち去ることなど考え難かった。これから聖純は、祖父のみならず、父や兄にも劣らぬ、立派で正しい司霊者にならねばならないのだ。



 それゆえ聖純は、己の意思を真っ直ぐに訴えた。


「ひょっとしたら僕も、こちらの女性のおちからになれるかもしれませんので」


「ふうん、そうかい……。いや、何となく緋河の爺さんの孫なら、そんなことを言い出すんじゃないかという気はしていたが。玄濤がどう思うかは知らんが、やる気だけなら及第点だろうな」


 墨田は今一度、聖純の顔をしげしげと見てから、口の端に笑みを刻んだ。

 それから年若い女性の方へ、ちょっと待ってくれよ、とひと言断り、調理場の奥に下がった。次いですぐ、小上がりに近い通路を回り込むようにして、カウンターの向こう側から客席へ姿を現わす。


「なあお嬢さん。繰り返すが、今日は腕の立つ専門家が不在なんだ。しかし一応、同業者の新人だったら、今ここに来ている」


 墨田は、聖純のことを顎で指しながら、年若い女性に取り成すように言った。


「まあ、まだ見習いみたいなもんだから、役に立つかはわからんが。お嬢さんさえかまわないのなら、こいつも同席して話を聞かせてもいいだろうか。もちろんオレもこいつも相談された内容は、他所よそで一切口外したりしない」


 墨田が持ち出してきた話には、聖純もきょかれ、たじろがざるを得なかった。

 まさか他の客が助力を求める場に同席して、いきなり墨田が応対する様子を目の当たりにする機会が得られるとは、思いも寄らない展開だった。

 聖純は居酒屋の従業員ではなく、墨田と何らかの契約関係にあるわけでもない。それどころか面識を得たばかりなのだが、問題ないのだろうか。


 あるいは墨田とすれば、緋河家の人間なら信用できる、と考えているのかもしれない。聖純が司霊者としての成長を望んでいると知って、実地の学びを提供してくれているようにも感じた。

 ただし相手の女性にとっては、いずれも彼女の相談事と無関係な都合なので、同意する必要もないことなのだが――……



「はい、かまいません」


 しかし年若い女性は、案外すんなり申し出を受け入れてくれた。

 望ましいがますます意外な成り行きだ、と聖純は心中で思った。


「そちらの方も霊能者でらっしゃるんですよね?」


 相手の女性はたしかめるように言って、目だけで聖純の顔を覗き込んでくる。


「でしたら、むしろこちらから同席をお願いしたいぐらいです。たとえ新人さんでも、不思議な現象に理解がある方になら、わたしの身に起きたことを聞いて頂いて、ご意見をうかがっておきたいですから……」


「そりゃ良かった。じゃあ早速、そっちのテーブルで話を聞かせてもらおうか」


 墨田は深くうなずき、改めて聖純と来客の女性を手近な席へ着くようにうながす。


 店内の壁掛け時計を見ると、時刻は午後六時を回ろうとしていた。

 そろそろ普通の飲食店ならば、客足が増えて忙しくなりそうな時間帯だ。

 聖純は、相談中に他の客が入店してきたらどうするのだろう、と考えた。

 だが差し当たり、店舗の出入り口側を振り返ってみても、酒を求めて引き戸を開けようとする人の気配は、まるで感じられない。今日は土曜日だが、それと思えないほどさびしい状況だ。


 ひょっとすると、元々この居酒屋には来店客が然程さほど多くないのかもしれなかった。

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