気怠げ司霊者と迷える門人

坂神京平

第1章「すべての光は愛を語る」

01:易占居酒屋すみた

 緋河ひかわ聖純せいじゅんは、若干戸惑っていた。


 五月下旬の夕暮れ。目的地に到着してみると、予期せぬ店がそこに建っていたからだ。

 出入り口の上部には「易占えきせん居酒屋すみた」という、屋号を記した看板が掲げられていた。

 長屋造りの古風なたたずまいで、黒い外壁が日没間近の薄暗さと徐々に溶け合いつつある。店舗は建物中央のひと棟だ。左隣は昔ながらの煙草屋らしく、右隣は骨董品店のようだった。


「……たぶん、ここで合っているよな」


 聖純は、手元のメモ書きを見直し、付近の交通標識で住所を確認した。

 藍ヶ崎あいがさき鐘羽かねば南八条一七丁目。間違いなく、祖父から教わった場所だ。

 鐘羽の繁華街から外れ、じゃくとして怪しげな地域だった。周囲には細い舗装路が通り、古い雑居ビルや賃貸住宅が立ち並んでいる。

 聖純に世代的な馴染みはないが、何となく昭和後期の情景に思われた。


 スマートフォンを取り出し、目の前の居酒屋について検索してみる。

 しかし「易占居酒屋すみた」に関連するページは、ひとつとして出てこない。飲食店レビューサイトに登録されていないばかりか、地図情報サービスには店名さえ見当たらなかった。



 ――とにかく、道の真ん中でうろうろしていても仕方がない。


 聖純は意を決し、居酒屋の側に向き直った。


 ――ひとまず、ここの店の人に話を聞いてみよう。


 店の出入り口は格子状の引き戸で、隙間には磨り硝子がらすはまっている。

 そこから柔い光が漏れているのを見る限り、店内が無人ということはなさそうだった。

 午後五時半という時刻は、ひょっとするとぎりぎり営業開始前かもしれないが……。



 思い切って引き戸を開け、居酒屋の中へ踏み込む。

 店舗の内部は長屋らしく、長方形の細長い間取りだった。調理場と客席を仕切るようにして、カウンターが真っ直ぐ前方へ伸びている。そこに沿って、せまい通路が平行に奥まで続いており、片側の壁際にはテーブル席が四つ並んでいた。さらに先へ進むと、小上がりものぞいている。

 周囲を照らす淡い灯りは、和紙の笠を頂くLED照明らしい。長屋造りと言っても、さすがに行灯あんどんを使ったりしているわけではないようだった。


 とはいえ店内には、従業員も客も、人影がひとつも見当たらない。

 聖純は、単身佇立しながら、殊更に心細く、不安になってきた。

 元々、居酒屋という場所へ踏み入ることに慣れていない。いまだ学生の身分ゆえ、それらしい機会と言えば大学のゼミで飲み会に参加する際、全国チェーンの店で安く飲酒するぐらいだ。


「あのう、ごめんください」


 店舗の奥へ向かって、試しに呼び掛けてみる。


「どなたか、いらっしゃいますか」



 たっぷり一〇秒挟んだあと、調理場の奥から「――おう、ちょっと待ってくれ」という返事があった。低く、野太い声だった。

 ほどなくカウンターの向こう側にある暖簾のれんくぐって、かなり大柄な男性が店内へ姿を現す。

 おそらく背丈が一九〇センチ以上はありそうな人物だ。濃紺のポロシャツとデニムパンツで身を包み、腰には前掛けを帯びている。さらに頭部には、白い手拭いを巻き付けていた。

 年齢は三〇代後半ぐらいだろうか。骨張った顔付きからは、岩石のような印象を受ける。


「やあ兄ちゃん、いらっしゃい。初めて見る顔だな、今日は一人で来たのかい」


 従業員らしき男性は、愛想よくカウンター越しに声を掛けてきた。


「とりあえず何か飲むか。それとも易占に興味があるとか?」


「あ、いえ。こちらの店にはお客としてうかがったわけじゃないんです」


 聖純は、心持ち背筋を伸ばして名乗る。


「僕の名前は、緋河と言います。緋河聖純です」


「……緋河? ああ、ということは、おまえさんが緋河の爺さんの孫か」


 来訪者の名前を把握すると、相手の男性は得心した面持ちになった。

 聖純の立ち姿を、しげしげと頭から爪先までながめる。値踏みするような視線を向けられ、聖純は幾分気後れを覚えたものの、しかし不躾ぶしつけとは思わなかった。

 自分はこれから、ここで試され、将来の見込みを測られる立場にあると考えたからだ。

 それどころか今のやり取りで、きちんと相手に連絡が伝わっていることに安堵していた。



 だから聖純は恐縮しつつも、この男性が自分のたずね人であるかを問い掛けてみた。


「ええと、それじゃ貴方が八津嶋やつしまさんですか」


「いや、残念ながらオレは違う。オレの名前は墨田すみた貫太郎かんたろう、この店の主人だ。まあこれでも一応は八津嶋やおまえさんと同じ、の血筋の者だがね」


 墨田と名乗った男性は、薄く笑みを浮かべながら、緩い所作でかぶりを振った。


司霊者しれいしゃ」――

 民間陰陽道における法者ほさ祝師ものもうし禰宜ねぎ太夫たゆうをはじめとし、より広義には霊媒や拝み屋などを含む、霊能者全般を指す呼称である。


 どうやら墨田も、素性は聖純と同類らしいが、人違いだったようだ。

 しかも居酒屋の従業員としては、単なるいち店員ではなく、店主だという。墨田の風貌は正直なところ、居酒屋の主人や司霊者よりも、ラグビー選手と言われた方が遥かにしっくり来そうに見えるのだが。


 しかし聖純は、内心の印象を口に出すことなく、神妙に頭を下げた。


「そうですか、すみません。ここへ来れば八津嶋さんに会える、と祖父から聞いていたもので」


「なるほどな。たしかに八津嶋のやつなら、うちの店にちょくちょく出入りしているよ。たまさか今日のところは、まだ来ていないが」


 墨田は、鷹揚おうように謝罪を受け取りつつ、腕組みして言った。

 ここに八津嶋が出没すること自体は、たしかなようだった。

 祖父から教わった住所には、間違いはなかったらしい。



「それでは、八津嶋さんはいつ頃こちらへお見えになるでしょうか」


「さあ、そいつはオレにもちょっとわからんね」


 聖純が改めて訊くと、墨田は少し困った様子で渋面になった。


「あいつは何しろ気まぐれで、酷くだらしないところのある男だからな。たしか明日になれば顔を出すというようなことを言っていたと思うが、それもどこまで当てになるか……」


 溜め息混じりに見立てを述べつつ、たずね人の為人ひととなりが端的に語られる。



「そもそも仕事に限らず、あの男――八津嶋玄濤げんとうは、万事に気怠けだるげな司霊者なんだよ」



 聖純は、そうですか、と生真面目に応じる一方、だんだん不安になってきた。

 立派な司霊者を志し、優秀な先達へ弟子入りするため、祖父の勧めでここを訪ねたのだ。

 音に聞こえた八津嶋の司霊者は、にもかかわらずいつ姿を見せるか知れない。そればかりか、墨田の話を信用するなら、いささか人間性にも自堕落な部分があるようだった。

 対する聖純は知人のあいだでも、自他共に認める堅物だ。今後門人になったとして、性格的に上手く折り合っていけるかも、わずかに自信が揺らぎはじめていた。



「……もし今日も明日も、しばらく八津嶋さんがお見えにならないようでしたら」


 聖純は困惑し、思わず迷える心情を吐露してしまった。


「いったい僕は、どうすれば良いでしょう。先達に教えを乞うため、こちらへ伺ったのですが」


「さあて、オレにかれても参るね。そりゃ玄濤はろくでなしだが、司霊者としての腕前は一級だ。緋河の爺さんが評価しているのもわかるし、あいつより上等な霊能者はそうざらにいない。まあだからと言って、師匠として人格的に相応しいかは別の話だが」


「でしたらいっそ、墨田さんが僕を指導してくれませんか。墨田さんも司霊者なんですよね?」


「おいおい、馬鹿を言っちゃいけない。墨田の家は司霊者の血筋と言っても、八津嶋はおろか、緋河と比較してもずっと劣っているって、まさかわからんのか。オレがおまえさんを指導なんかしたら、あの爺さんから大目玉を食らうよ」


 思い付きで頼んでみたものの、すぐさま墨田に断られた。

 苦笑交じりの声音で、暗にたしなめるような口調だった。


 もちろん聖純にとって、墨田の反応は予想通りだし、固辞する背景にしても理解できた。

 緋河家は司霊者として、元来かなり格付けが高い血筋だ。他は霊能者を輩出する家柄として、大抵格下に当たる。歴史上の身分的な面だけで言えば、八津嶋も足元に及ばない。

 ゆえに墨田家も例に漏れないことは察していたし、そもそも教えを乞うに相応しいなら、聖純の祖父はあらかじめ言及していただろう。

 しかし八津嶋との面会場所にこの店を指定しながら、墨田について特段触れていなかった点を踏まえても、師と仰ぐべき人物として想定されていないことは明らかだった。祖父は少なくとも、それを望んでいないとわかる。


 しからば、どうして墨田に教えを乞おうとしたのか? 

 それはひとえに聖純が自らの進む道に迷い、いくらか将来に自信を喪失しているせいだった。

 たとえ墨田家が格下でも、彼個人よりは才気ある司霊者かもしれない、と考えたわけだ。

 ひるがえってみると、このとき聖純はそれほど思い詰めていた。



 ――今日はいったん辞去して、次の機会に出直そうか。


 姿を見せるかどうかも不明なたずね人を待って、延々居座れば迷惑だろう。

 ここまで来てもちろん無念だが、また日を改めて再訪するのが上策と思われた。

 仮にまた次も会えなかったとしても、「三顧の礼」までは故事にならうつもりだった。



 だから聖純は、その旨を墨田に伝えるべく、言葉を発し掛け――

 ところが言葉にするよりも早く、意に反して口をつぐんでしまう。


 丁度そのとき、店の出入り口で引き戸が開いて、新たな人物が入店してきたからだ。

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