第10話「手掛かり」



 ヴィルヘルミナの自己紹介が終わると、話はサラの記憶喪失問題に移った。


「記憶の呼び水にエルダースの授業を? だったら、呪文を調べてみたらどうかしら?」

「呪文を調べる?」

「そ。魔導書の呪文を片っ端から当たってみて、気になる呪文があったら実際に唱えてみるのよ」


 ヴィルヘルミナ曰く、サラが魔術師ではなく魔法使いという仮定で手掛かりを求めるなら、魔法の特性を利用しない手は無いという意見だった。

 魔法は呪文の詠唱者の意図した通りの現象を創り出す。


 なら、〝なんとなく気になった〟程度の感覚で、イメージも漠然としたまま呪文を唱えたとき。


 そのとき創り出される現象・事物は、詠唱者の深層心理や潜在意識を反映させたものになる。


「もちろん、意味の分からない曖昧な結果が出てくる場合もあるだろうけど、そうなったらその呪文は〝ハズレ〟だったってコトよ」

「ハズレ」

「どんな魔法使いにも、得意としている呪文はあるわ」


 当然だ。

 アリオンの場合、魔法使いとしての経歴は一年にも満たない浅いものだが。

 それでも“アクアリア”の呪文などは、慣れの問題もあって得意と言える。

 〈カリオン〉を殺す際に使用した滝の刃然り。


 慣れ──


 すなわち、自分の人生から記憶を引っ張り出した回数。

 故国アズレアの山中で、あの滝はどれだけ勢いが強かったか。

 どれだけ重い水量が流れていたか。

 大雨が降った日はどれくらい増水して、逆に天気の良い日はどれくらい清澄だったか。

 飛び跳ねる水飛沫、濛々と烟る水の気。

 足を滑らせ溺れたのか、動物の死体がよく下流に流れ着いた。


 想い出は深く、心に強く衝撃を残している。


 だから、呪文を唱える度に毎回そんなエピソードを掘り返していれば、呪文魔法は自ずと研ぎ澄まされて洗練されていく。

 何事も繰り返し反芻したものの方が、心と体に馴染みやすい。


 で、あるならば。


「気になった呪文でも、唱えてみてパッとしない結果だった場合は、不得意な呪文だったってコトですね?」

「うーん。不得意というより、単純に不慣れって判断した方が適切かしら」


 深層心理、潜在意識に根付いた人生観。

 そこから繰り出される魔法は、他の呪文の魔法よりも明らかに輪郭を濃くして色彩も鮮明なはず。


「記憶を喪失していても、いや、記憶を喪失しているからこそ、普段は意識しない部分まで心の存り様が反映されるんじゃない? アタリの呪文を引き当てたら、サラさんがどんな人物だったのかを推測するのに、かなり役立つ情報になると思うわ」

「おお……さすがです先生! 僕には無い視点でした!」

「でも、どの魔導書から始めていけば……」


 書庫棟内の蔵書は、恐らく万を余裕で超えている。

 ヴィルヘルミナの研究室に来るまでに目にした圧倒的な書物の数に、サラは圧倒されて当惑している様子だった。

 総当たりと簡単には言うが、本気で片っ端から紐解いていこうとすれば年単位の時間がかかるかもしれない。

 ヴィルヘルミナは笑った。


「難儀ね。どの魔導書から始めていけばいいかなんて、そんなの興味のあるタイトルからでいいに決まってるでしょ?」


 どんな本を読むのも、どんな本を手に取るのも、あくまで読み手の自由。


「本はただそこにあるだけ。誰かに開かれて、誰かに読まれるまでは、本は置き物と変わらないもの。だから、?」

「私が……?」

「そう。本から何を受け取って何を受け取らないか。本を読むか読まないかの選択も自由なら、その取捨選択だって貴方の自由なんだから」


 読書とは、そもそもそういうもの。


「読んでみてジンワリ心に染み入るものがあったなら、それは貴方にとって得るものがあった証。自分の人生に、受け入れてもいいと思える感動があった証拠。

 反対に、読み終わった後でもまったく引っ掛かるものがなくて、違うな、合わないなと眉を顰めたくなったなら、その本は貴方の人生に必要なかったか、あるいはまだその時ではなかった証拠」


 作家にとっては残念だけれど、そういうときは本は閉じてもらえれば良い。

 せっかく開け閉めできる形なのだから、後はバタンと閉じて棚に仕舞い込むでも、いっそ鍋敷き代わりにするでもご自由に。


「あ、でもアレよ? わざわざ作家に文句の手紙を寄越すとか、それ作品に関係ないだろって感じの攻撃的な批判を投げるのはダメよ? それもう敵だから。理性で納得できる部分があっても、心で殺したくなる不倶戴天の敵だから」

「先生。話が逸れていませんか?」

「あらやだ私ったら」


 うふふふふふふふふ。

 ヴィルヘルミナは大人の愛想笑いで誤魔化した。

 焚書ものの魔導書を執筆してしまったせいで、ヴィルヘルミナは過去にひどい批判を受けたらしい。


 悲しい事故でも、世間はいつだって好き勝手に他人を扱き下ろすものだ。


 ともあれ、後半はともかく、前半の言わんとしている意味はサラにも伝わった。

 アリオンも「とりあえず、後でカテゴリから確認して行きましょうか」とサラに微笑み二人とも頷き合う。


 魔法にも種類があり、アリオンが得意としている“アクアリア”は五大元素系のカテゴリに入り、そのほかにも動物系や鉱物系、植物系など千差万別。

 書庫棟内では細かくコーナーが区切られているので、まずは大雑把に系統から興味関心を確認していくのが良いだろう。

 ヴィルヘルミナも頷いて、


「ま、今日はまだ始まったばっかりなんだし、とりあえずは私の授業を受けて放課後になってから、そのあたりはよろしくね」

「はい! もちろんです先生!」

「よ、よろしくお願いします……!」


 三人はそれから、普段とは少しだけ異なる時間を共に過ごしたのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 ──夕方になると、ヴィルヘルミナはメガネを外し一人になった研究室で腰を下ろす。


「……ふぅ」


 茜色の日差しが窓辺から首筋に暖かい。

 今日の個別指導は予定を変えて、改めて魔法の基礎周りを復習する形に変えた。

 二人の助けになるよう、なるべく複数種類の呪文を例に授業を進めてみたが、どこまで助けになれたかは分からない。


 今日一日での所感では何とも言い難いが、ヴィルヘルミナ目線だとサラは鉱物系の呪文に意識を惹かれていたようにも見えた。


「でも、あれくらいの歳の子は、キラキラした宝石とかアクセサリーとか大好きだしねー。ていうか、私もまだ好きだし」


 魔法で好みの宝飾品を創り出して身を飾ってみるのは、女魔法使いなら誰でも一度はやってみる通過儀礼だ(創造した宝飾品が、偽物と分かっているせいで安物臭くなるのも共通のオチ)。


 背もたれに身を預けながら、ヴィルヘルミナは「まだ分からないかしらねー」と身体を揺らして独り言を呟く。


 しかし、


「そういえば、二人には言わなかったけど……」


 サラにまつわる問題は、何も記憶喪失だけじゃない。

 学院は〈異界の門扉ダンジョン〉との関係も考慮に入れて調査を進めている。

 検査ではサラはニンゲンという判断で、怪物や魔物である可能性は残っている。


 人狼やシェイプシフターなど、世界には人間そっくりに変身する人外が存在するため、サラがその手のプリテンダーでないかは確証が取れるまでは安心できない。


 もちろん、既知の人外に関する検査はすべて済ませているが、そもそも肉の扉は謎の多い〈異界の門扉ダンジョン〉だ。

 異界としてあれほどの存在力を確立させながら、異界の大原則であるヌシの存在を確認できないという矛盾。


 テンタクルスやローパーといった比較的危険度の低い怪物ばかり現れるからといって、学院では長いこと初心者向けの異界として開放されているが……


学院ここもべつに、良い人間の集まりってワケじゃないしね」


 ティアーナ・ファタモルガーナの件然り。

 何か陰惨な意図が絡んでいないとも限らない。

 現在、学院は肉の扉の下層を封鎖し、〈カリオン〉発生の原因を調査中だが。


 中層に現れた〈カリオン〉は、サラを襲っていた。


「あるいは、彼女と一緒にいた」


 下層には調査部隊員が何人もいたから、下層からではなく中層にいきなり現れたのは間違いないと考えられている。

 あいにく、一介の指導士チューター兼魔導書学研究者に共有されているのは、そこまでの情報だが。


 エルダースが肉の扉のの調査に、本腰を入れて調査を開始したのは間違いない。


「神話学や伝承学は私的にちょっと畑違いなんだけど、魔導書学にも関係がないとは言い切れないのよねー」


 古代の魔法使いが残した魔導書には、神話の時代の魔法が記されていたりもする。

 アリオンが関わっているのだ。

 サラの問題は、なるべくなら早く解決してあげたい。


「っていうか、保護観察の都合で若い男女が一つ屋根の下とか、そんな青春は先生許さないんだから」


 ヴィルヘルミナは自分を嫉妬深いと自覚している。

 アリオンがそんな不埒な考えを蓄える人間ではないのは百も承知しているが、そんなアリオンと身近に接した女がどうなるのかは身を以て思い知っている。


 このままでは、アリオンに好意を寄せる女がまたしても増えてしまうだろう。


 椅子から立ち上がり、書棚の方に向かって古い魔導書を何冊か見繕う。

 ヴィルヘルミナは自分もまた、サラの正体に繋がりそうな手掛かりを探してみることにした。


 二人に言ったのとは違うアプローチ。


 肉の扉に関係がありそうな、神話や伝説にまつわる分野から。



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