第3章

第11話「呪文の意味」



 穏やかな昼下がりに、種々のハーブが秋風に乗って香っている。

 エルダース魔法魔術賢哲学院、憩いの場。

 ガーデン・テラスでは暖かな陽射しに見守られて、幾人もの学生が余暇を過ごしていた。


 白いテーブルと白い椅子。


 それを囲む鮮やかな緑。

 今日は平日だが、カリキュラムによっては空きコマができて暇な人間もいる。

 エルフ好みの庭園では、空いた時間をお茶でも飲みながらのどかに過ごしている者や、ベンチに座って読書に耽る者、あるいはウトウトと午睡にまどろんでいる者たちがいた。


 天気の良い日は日向が暖かい。


 エルフは神話では、木漏れ日から生まれたと云う。

 だからかは分からないものの、エルダースにいるエルフたちは、天気の良い日には大抵が外出を好んでいる様子だった。


 金髪碧眼で長髪長躯。


 ガーデン・テラスにはエルフたちの姿が最も多い。

 が、もちろんエルフだけがガーデン・テラスを利用しているワケじゃない。

 数は少ないながらも、ドワーフやハーフリングなどの姿もあるし、アリオンとサラも席をひとつ使って片隅にいた。


 テーブルの上には湯気をくゆらせるティーカップが二つ。


 一週間前、商店街で買ったハーブティー。

 ティーカップ自体はテラスで働く妖精ブラウニーから借りた物だが、中に注いでいるのは魔法瓶に入れて寮から持ち込んでいた。

 サラはミント系の爽やかな味のもので、アリオンはジンジャー系の少しだけピリッとするような味だ。


 当初購入した目的は、夜寝る前にハーブティーでも飲めば緊張が和らいで、リラックスして眠れるんじゃないかと期待したからだったが。

 商店街に行った際に二人ともどれを選んで良いのか分からず、店員に勧められるまま色んな種類を購入する流れになり。

 結果的に、二人で消費するには少々多すぎる茶葉を買ってしまった(カモられた)ため、ここ一週間は朝も夕もなくハーブティー三昧なのだった。


 入店時、アリオンはサラの前で男の見栄を張り、サラは純粋に色んな種類のハーブに目を輝かせてしまったのが反省点である。


 閑話休題それはさておき


「んー、これも違う。こっちも違う」


 テーブルにはハーブティーの他にも、五、六冊の魔導書グリモアが置かれている。

 その内の一冊を手前にして、サラはペラペラとページを捲り続けていた。

 しかし、対面に座るアリオンにも聞こえる呟きの通り、目ぼしい呪文は未だに見つかっていない。


 サラの記憶は依然として戻っていない。


 正確には、のだが、身元の特定に繋がるような根拠には乏しいと言える状況だった。

 アリオンはジンジャーハーブティーを一口啜りながら、捲られるページの速さが一定のリズムになっているのを指摘するべきか悩む。


 サラがページに落としている目線も、どことなくボンヤリとしてしまっているし。


 時折り思い出したようにティーカップに手が伸びるも、ミント系の爽やかな風味を以ってしても、今のサラにはいまいちシャキッとした感覚をもたらせていない様子だ。

 書かれている呪文についても、あまり本腰を入れて読み込んでいるとは思えない。

 文字を読むというより、絵を見ている感覚でページを捲っているのではないだろうか?


 つまり、頭に入れていない。


 けれど、視線自体は魔導書に集中しているので、姿勢ポーズだけなら真面目にも見える。


「……」

「うーん、これもちがーう。やっぱり、こっちもちがーう」


 アリオンはさりげなく、自分のティーカップとサラのティーカップを入れ替えてみた。

 すると、サラがそのうちにやはりティーカップに手を伸ばし、そのまま気がつかずに一口啜る。

 口に運ぶ直前、ミントではなくジンジャーの香りがしたはずだが、どうやらそんなことにも気がつかないくらいにボンヤリしていたようだ。


「──あれ?」


 サラは口の中に広がった味に不思議そうな顔を浮かべて、目をパチクリ。

 リズムを乱した異変の正体を探ろうと、ようやく手元のカップに意識を逸らす。

 なので、アリオンはすかさず言ってやった。


「レディ。それは僕のティーカップです」

「ブフッ! あ、あれ!? なんで!? ご、ごめんなさい!」

「謝罪には及びません。入れ替えたのは僕ですから」

「──!? なんで!?」


 サラは「意味が分からないんですけど!」という顔でアリオンに愕然とする。

 けれど、アリオンだってイタズラ目的でこんなことをしたワケじゃない。


「目は覚めましたか? 今のでだいぶ意識がクリアになったみたいですが」

「寝てる時に水をかけられたくらいに心臓に悪かったんですけど!?」

「初心なレディには、まさに効果覿面でしたね」


 微笑むと、サラは「っ」とたじろいで顔を赤くする。

 この一週間で、アリオンもサラの性格についてだいたいのところを把握していた。

 アリオンは比較的、自分は察しは良い方だと自認している。

 だから、サラがアリオンにドキドキしているのは理解していたし、こうすれば簡単に慌てふためくだろうな、というのも予想できるようにはなっていた。


 そして実際、サラは予想通りのリアクションをする。的中率は今のところ、八割程度の感覚である。


 もっとも、サラもサラでアリオンが意図的に仕掛けているのは見抜いているのか。

 恨めしげなジト目とともに、決まって「女たらし! キス魔!」と小声で罵ってくる。


 もちろん、アリオンには一切のダメージが無い。


 むしろ、自分の言動が女性の心を掻き乱している証拠だと考え、男としての自信に繋がっていた。

 TS状態のアリオンは男扱いされることがほとんど無いので、こうやって異性をからかえるのは自分の性別を思い出せて安心する。

 サラには申し訳ないとは思う。

 が、たまに同性から愛の告白を受けたり自然と気を遣われたりすると、アリオンはひどく虚しくなるのだ。


 だからこそ、エルダースでも同性とはなるべく交流していない。


(思考が脇道に逸れたな……)


 アリオンはサラに意識を戻した。


「先ほどから、あまり意味のない時間を過ごしている気がしたので、僕なりに眠気覚ましを図ってみました」

「眠気覚まし……私、そんなに眠そうでしたか?」

「少なくとも、集中力は欠いていたように見えましたね」

「うぅ……でも仕方がないじゃないですか! 四日前に“硝子ヴィトリアス”の呪文を見つけてから、何も進展が無いんですよ!?」


 テーブル上の魔導書を並べながら、サラはひとつずつタイトルを読み上げる。


「『鉱物系基礎呪文辞典』、『鉱物系応用呪文辞典』、『宝石にまつわる代表的神秘の収録書』、『魔法の石飛礫はどうして飛んでいくのか』、『大地の奇跡に宝石職人・鍛治師が向いている理由』──最初は読み物として普通におもしろかったので集中も続いたんだと思います。けど」

「けど?」

「“硝子ヴィトリアス”の呪文以外、ぜんぜんピンと来ないんです!」


 サラは「“硝子ヴィトリアス”」と唱えて卓上に手を翳した。

 すると、パキリ、バキッ、という硬質音を経ながら、テーブルには精緻な造形の硝子彫刻が生み出される。


「──白鳥」


 美しい鳥の姿。

 翼を広げ、水面から飛び立つ瞬間。

 波のさざなみや舞い散る羽根の一本まで丁寧に。


 記憶喪失であるにもかかわらず、魔法としてこれだけ見事なものを創り出せるなんて。


 アリオンが思わず嫉妬するほどの魔法の腕。

 サラには恐らく、芸術の才能があった。

 彫刻師か細工師か、まだ正しい前歴を特定できるほどの確信は抱けていないものの。

 玻璃色の瞳の少女には、それに近しい過去があったに違いない。


 そう思ってアリオンとサラは、二人で鉱物関係の呪文に焦点を当ててみた。


 硝子から派生して鉱物関係に明るい学生だと分かれば、サラは鉱石学専門の学生だと特定できると考えたのだ。

 しかし、残念ながらこの様子では……


「うーん。もしかすると、レディは硝子オンリーの特化タイプだった可能性がありますね」

「です! 白鳥以外を創ろうとしても、いまいち同じクオリティにはなりませんし!」

「でも、そうなるとまた一から考えないと」


 硝子で白鳥の彫刻を創り出せる。

 これだけのヒントを頼りに身元を推測するのは、なかなかに困難だと言わざるを得ない。


 キーワードは硝子と白鳥の二つ。


「差し当ってアテがつくのは、鉱石学と動物学ですけど、鉱石学はハズレな可能性が高い」


 鉱石学を学ぶ学生なら、硝子以外にも得意な鉱物系呪文があっていいはず。


「じゃあ次は、白鳥の線から動物系……」

「鳥類関連の呪文で絞ってみますか?」

「私、バードウォッチングが趣味だったんですかね?」

「それも白鳥専門の」


 うら若き美少女が、果たして本当にそんな趣味を持っているのか?

 バードウォッチングが趣味の方には大変失礼極まる疑念を挟み互いに首を傾げつつも、アリオンは「作戦を変えてみますか」と頷く。


 だが、あまり期待はできない予感がしていた。


(──硝子の白鳥)


 これはもしかしなくとも、サラが個人的に体験した〝人生〟に由来している魔法ではないだろうか?


 サラの人生はサラだけの人生。


 つまり、他人とは共有していない、共有不可の出来事をもとに──


 〝


 ──と完結してしまっているなら。

 それは他人とは違う独自の人生観で、独自の価値観。

 他人にはまったく推し量れない個人の心の在り様だ。


 硝子で出来た白鳥なら、まだ良い。


 何処かの置物屋か硝子細工店に行けば、きっと似たような商品は存在する。

 サラがその品物に特別な思い入れがあったとすれば、記憶喪失下でもこれだけの超常現象を起こせるのにも納得はできる。


 けれど。


(もし──もし、この白鳥が魔物や怪物だったとしたら?)


 硝子のカラダを持つ白鳥。

 そんな存在が実在していて、サラは過去に遭遇した経験があって。


 だから、魔法で同じような存在を創り出せる──


 そういう可能性も、大いに有り得るんじゃないか──?

 アリオンは薄々、そんな気がしてならなかった。


 不安にさせてはいけないため、サラには言わない。


 人ならざるモノの影響が、自分の人生の根幹にまで染み付いているかもしれないなんて、人によってはショッキングな話だ。

 思い出したくない悲惨なトラウマが、少女の奥底に眠っていないとも限らない。

 アリオンはこのあたり、慎重に事を見定めるつもりでいた。


 怪物学や魔物学の文献を漁るのは、とりあえず鳥類系の呪文を調べさせてからでいいだろう。


「そろそろ次の授業もありますし、魔導書の返却と借り出しはその後ででいいですか?」

「あ、はい。もうそんな時間なんだ」

「──嬉しいです。僕との時間を、名残り惜しく思ってくれるんですね?」

「……違います! 今のぜんぜん、そういう意味じゃありません!」

「でも、魔導書には集中していなかったんですよね? ってコトは、レディは僕に集中していて時間を早く感じたんじゃありませんか?」

「すすすすごい自信ですね!? 違いますから! ぜーんぜーん違・い・ま・す・か・ら!」


 サラが図星だったのか、白い肌をまたもや赤く染めて吠えたその時だった。


「あの! ちょっといいですか!?」


 二人の席に、エルフの女子生徒が近づいていた。



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