第7話「鉄血の恋」



 ティアーナ・ファタモルガーナの生まれ故郷は、黒鉄くろがね諸島だ。

 エルダースほどの広大な島ではなく、ごく普通の──いや、小さな島々が寄り集まって出来た小国家群で、どこも鉄鉱石の採鉱で成り立っていた。


 農耕や畜産は大して上手くいかず、痩せた土地では船に乗って魚を捕るか、他所の島に行って侵略を行うしかない。そんな歴史を持っていた。


 しかし、ティアーナの生まれる二代前の君主の統治下。


 黒鉄諸島はついに統一され、そこに住む人々は〝鉄人〟と呼ばれる一つの国の同じ民族になる。

 それには理由があり、結論から言えば共通の敵が出現したためだった。


「ゴブリンって聞いたコトがありますよね? 薄緑色の肌と、尖った鼻を持つ


 エルフ、ドワーフ、ニンゲンと同じ広義の〝人間〟である。

 この世界ではヒトガタの生物をおよそ三つの区分けで分類しており、


 人間道はエルフ、ドワーフ、ニンゲンなど。

 亜人道はワーキャット、マーマンなど。

 怪人道はゴブリン、オーク、トロールなど。


 これらはこそ違えど、同じ『人界』──人が住む世界で生きていると考えられている。

 だが、怪人道の種族だけはその名の所以の通り、人かどうかも怪しいと嫌悪され、人間道、亜人道の種族とはたびたび争い事や揉め事が絶えなかった。

 そんななか、ゴブリンは比較的知性も高く、扱う道具にはフォークソードなどの独自の進化を遂げた武器もあり、文化性も高かったが。


「所詮はゴブリン。怪物的な性質は生来のものです」


 黒鉄諸島はある日突然、海を越えてやって来たゴブリンたちに襲われた。

 血錆に汚れ、薄汚れた鉄兜を被った部族だった。


「それこそが、『レッドキャップ』──私の故郷では今でも恐るべき脅威として語られる夷狄いてきです」


 レッドキャップはゴブリンのなかでも、特に残虐で非道だった。

 ヤツらは人間を食い、女子供を捕らえては血を絞り取り、血錆で汚れた鉄器を好んで愛用していた。

 殺した敵の血で洗った武器や防具を、戦士の誇りや栄誉だと考えているようだった。


 乳飲み子や老人まで、何人もの鉄人がレッドキャップの被害に遭った。


 血の洗礼と呼ばれる邪悪な儀式で、いったいどれほどの血がヤツらの道具を洗うためだけに流されたか分からない。


 黒鉄諸島は団結し、共通の敵を滅ぼすべく戦線を構築するに至り。

 鉄人とレッドキャップの、とても長きに渡る戦争が始まった。


「私も、十六の頃から戦争に参加しました」


 黒鉄諸島では男も女も関係ない。

 戦える者は皆が生存のために立ち上がり、押し寄せて迫るレッドキャップと戦う。


 主な戦場は入り江だ。


 夷狄は海からやって来て、ティアーナたちが住んでいる王国に忍び込む。

 そのため、沿岸部には要塞が築かれて、侵入を目論むレッドキャップをたくさん迎え撃った。

 時には要塞を奪われるコトもあり、そうなれば内陸でどうにか戦線を盛り返し、再び要塞を取り返す。


 一進一退。


 鉄人とレッドキャップの戦力は、ほぼ互角だった。

 レッドキャップは数が多いらしいが、海を越えて訪れる分、島に上陸を果たす頃には少なくない疲弊を抱え。

 黒鉄諸島側は数が少なかったが、地道にコツコツ防備を固め、外国との鉄鉱石貿易で物資の確保にも成功、体力に余裕があった。


 ティアーナの初陣は内陸の城砦での防衛戦で、そこでは物資の補給線を守るため、大事な作戦を任されていた。


「若い女の騎士ですから、レッドキャップは好んで狙います」


 つまり、いざという時の囮。

 ティアーナは戦場で特に目立つように特徴的な鉄鎧を身につけ、レッドキャップを引き寄せる役目を負っていたのだ。

 最初のうちは、上手く作戦が機能して勝利を収めた。

 信頼する仲間たちが、ティアーナを危険に晒した分、確実な大反撃をレッドキャップに叩き込んだからだ。


 けれど、そんな作戦がいつまでも上手くいくはずはない。


「ある時、私は腕を斬られて剣を持てない体になりました」


 日常生活程度なら問題ないが、重い物を持っての激しい運動は不可能。

 つまり戦闘に参加できなくなり、幸い命は拾ったものの、ティアーナは騎士ではなくなってしまった。


「と言っても、そう落ち込むほどの話ではありませんでした」


 なぜなら、腕を斬られ窮地に陥ったティアーナだったが。

 その命を救ったのは国の中でも英雄とされていた青年で、若かったティアーナは一目で心を奪われた。

 安全な内陸で傷の回復とリハビリをしながら、


「私は彼にもう一度会うため、従軍看護師として戦場に戻る決断をしました」


 そして実際、一年後には戦場に戻った。

 看護師として治療師の助けをしながら、また何処かで、彼に会えないものかと。

 皆が真剣に戦っているなか、不純な動機を抱える自分を恥じつつ。

 しかしそれでも、初めての恋心に突き動かされて。


「祈りが通じたのでしょうか。私は彼に再会できました。まぁ、小さな島々ですから二年も戦場を巡れば会えるとは思っていましたけれども」


 再会した時、彼は怪我をしていた。

 ティアーナが看護をするコトになった。

 驚いたコトに、告白は彼からされた。


「女の身で勇敢にレッドキャップを引き付けていた私の姿に、彼もまた惹かれるものを感じていたそうです」


 二人はそれから、程なくして婚約関係になり。

 ティアーナが十九歳の誕生日を迎える年、互いの親類からも祝福されて夫婦になる予定だった。


「けれど──」


 けれど。


「結婚式の三ヶ月ほど前、ある戦場で私は呪われました。いえ、正確には取り憑かれたと言うべきなんでしょうか……」


 黒鉄諸島に、あるがやって来たのだった。


「──『血塗れ赤兜と血染花レッドキャップ・ヴァンパイアヴァイン』」


 戦場で咲く吸血植物。

 大地に流れた数多の流血を吸って、死者の怨念や未練まで吸い込んで。

 多くの戦死者が出た戦場跡地に発生して、昼間は普通の樹木、草花と変わらない。

 だが夜になると、血に飢えた魔物としての本性を露わにして蠢き出す。

 周囲を通りがかったモノを捕らえて巻き付き、管状になった枝や根を突き刺しては血を啜り取る。


 そんな魔物を、世界では『樹木子じゅぼっこ』と呼ぶ。


 またの名を、『吸血蔦蔓ヴァンパイアヴァイン』とも。


 戦死者の多い戦場では、非常によく発生する魔物だ。

 ただ、植物系の魔物であるため、移動はできない。

 海を越えて別の土地に根を下ろすなんて話は、備え持つ特性──逸話法則からも外れている。


 では、何故──


 何故、その魔物は黒鉄諸島に──


 答えは単純。


「その個体は、種を運ばせたんです」


 というか、そもそもの疑問に最初に注目するべきだった。


 レッドキャップたちは何故、黒鉄諸島にやって来たのか?


 何年も何年も、世代が替わるほどの月日。

 怪人類が如何に人かどうかも怪しいとはいえ、ゴブリンには狡猾な知性がある。

 種族保存の本能や、単純なコストパフォーマンスについて、少しでもまともに考えることができれば。

 レッドキャップがいつまでも黒鉄諸島に固執する理由は無い。


 野蛮で邪悪な種族だから、愚かなのだと見なすのは危険な思い込みだ。


 だいたい、どうしてこれだけ戦争が続いているのに程度が滅びない?


 レッドキャップたちは何処からやって来ていて、どれだけの勢力を誇っているのか?


 黒鉄諸島の鉄人は、守りを固め続けるのではなく、を狙って叩きに行くべきだった。


 もっとも、人種が異なれば、顔の造形の細かい違いなんかには中々気が付きにくいもの。

 種族が異なれば、なおさらに個々の特徴は分かりにくい。


 だから鉄人たちは、誰も、誰も気がつけなかったのだろう。


 あるいは、憎しみや恨み、恐怖などの大きな感情から、レッドキャップというだけで敵を一括りにして纏めてしまっていた。


 誰だって、気がつける余地は何時でもあったのに。


 敵について、少しでもきちんと向き合っていれば。

 自分たちの島にやって来るレッドキャップたちが、その実、に早くに気がつけていたはずだった。


「私たちの本当の敵は、最初からレッドキャップではなく吸血蔦蔓ヴァンパイアヴァインだったんです──」


 蔦蔓ツタカズラと聞いた時、人はどんな植物を想像するだろうか?

 恐らくだいたいの人は、古民家や廃屋などの壁。

 そこに張り付いた、おびただしい量のツルをイメージするはずだ。

 幼い時に自然豊かな場所で遊んだ記憶があれば、マキヒゲ状の吸盤なども目にした覚えがあるかもしれない。


「でも、こういった蔦植物、蔓植物が生すについて」


 具体的にどんな実なのか、パッと聞かれて答えられる人間は少ないに違いない。

 少なくとも、農民や農家、自然豊かな土地の生まれでもない限り。

 蔦蔓が葉っぱを連ならせている姿は容易く想像できても、実を生している姿はイメージできないはずだ。


 けれど、ある果物の名前を出せば、その疑問にも答えは与えられる。


 葡萄ブドウ


 人の文明圏では、古来より数多の利用法で親しまれてきた植物。

 そのまま生食しても良し、乾燥させてレーズンにするも良し、ワインにして酒を楽しむのも大いに良し。


 葡萄は、実は蔓性の落葉低木で、その実がどんな形をしているかは多くの者が知っている。


 まんまると丸い果実が、房になって垂れ下がっている姿。


 葡萄に限らず、他にも多くの蔦植物、蔓植物が類似の実を生すのは知られている。


 ──では。


「戦死者の血を吸って育つ吸血蔦蔓ヴァンパイアヴァインが、同じように実を生したとしたら?」


 赤くて丸い、血の塊。

 けれど、そこから落ちて大地に転がるのは、戦死者という名の腐乱した果実。

 自然界における植物種が、生存競争において驚異的な繁殖能力を誇るのは珍しくない。


 ある植物は風に種を運ばせ、ある植物は虫に花粉を運んでもらう。


「黒鉄諸島を襲うレッドキャップは、つまり全員ともだったんです」


 種自身に遠くまで移動する能力があれば、風や虫に頼る必要は無い。

 広範囲に種を運んで増えるコトが目的なのだから、人間的なリスク判断能力は持っていないし、どれだけ種を潰されても自然界とはそもそういうもの。


 レッドキャップたちに自意識はなく、残虐な振る舞いはすべて生前の焼き回しに過ぎなかった。


 魔物はレッドキャップの攻撃性を、自身の効率的な成長に役立てるため利用/再現していただけだったのだ。


「──『血塗れ赤兜と血染花レッドキャップ・ヴァンパイアヴァイン』は、斯くして黒鉄諸島に子孫コピーを根付かせたのです」


 血染花の名は、レッドキャップを実らせる前段階。

 血のように赤く、鉄の匂いを香らせる花を咲かせていたため。


 気がついた時には遅かった。


 ティアーナは知識も無かったのに、植物ならば燃えるだろうと安易な考えから、魔物に火をつけてしまった。

 それは正しい退治方法ではなかった。

 子孫を殺すコトはできでも、海の外にいる本体から怒りを買って、ティアーナは呪われてしまったのだ。


「風に乗って付着したアレの灰。そのとき私は鉄製のヘルムを被っていたのですが、以来、ヘルムの内側からはレッドキャップの血がひとりでに流れるようになったんです」


 血はヘルムの隙間から、ダラダラと零れて勢いを増して。

 ティアーナの顔面からは、その血を吸おうと吸血蔦蔓ヴァンパイアヴァインの蔦蔓が伸びた。


「想像できますか? 血濡れた鉄兜を被って、その内側から触手が溢れている女の姿が」


 黒鉄諸島では忌み嫌われる怨敵にも似た出で立ちで。

 女としてはあまりに致命的な、美しかった顔を損ない。

 しかも、ヘルムを外すコトも呪いを解くコトもできない。


 本体の居場所を、ティアーナたちは誰一人として知らないから。


「私は、けれど、大丈夫だと自分に言い聞かせました──家族も、友人も、愛しい彼も、私には皆がいるから、きっと支えてもらえる」


 だって、そう信じて尽くして来た。

 黒鉄諸島の鉄人は、団結力で夷狄に抗い。

 男も女も関係なく、戦場では背中を預け合い、真の絆で結ばれている。

 親は子にそう教え、子は親になった後で自分の子にそう伝え。


 命を賭さねば仲間を守れない。


 そんな過酷な土地だからこそ、愛の素晴らしさが輝く。

 恋の尊さが、胸を弾ませる。


「──そのはずでした」


 戦場から帰ったティアーナを待っていたのは、残酷な現実。


 ──おのれ、おのれレッドキャップ!

 ──私たちの娘は死んだ……

 ──こんな、こんなモノがあの子のはずはない!

 ──バケモノだ。

 ──バケモノだ!


 そして、婚約は破棄された。

 ティアーナがどれだけ自身の生存を訴えても、彼らの目に映るのはレッドキャップへの憎悪と恐れ。

 愛を約束したはずの彼からは、バケモノと罵られ背中を向けられた。


「私は、何のために戦って来たのか、分からなくなりました」


 帰るべき家を失い、頼るべき仲間を失い、愛すべき伴侶を失い。

 もはや黒鉄諸島に居場所は何処にも無く、追われるように海へと投げ出され。

 暗く冷たい水底へ、呑まれて消えるだけの最後だと思った。


 けれど、運命は何の慈悲なのか。


 ティアーナは奇跡的にも大陸に漂流し、命を拾った。

 拾っただけで、生きる希望は無かった。

 心はどんどん真っ暗闇に落ちていって、やがて気がつくと、ティアーナは自分が魔物のチカラを使える事実に気がついた。


「恐らく、その時にはもう私のなかで、誰かを信じるという気持ちがほとんど掻き消えてしまっていたからだと思います」


 ティアーナは呪った。

 自分を裏切った何もかもを。

 黒鉄諸島、鉄人、家族、友人、戦友、婚約者。


 オマエたちは死ぬまで魔物と殺しあっていればいい。


 いいや、殺し合え!


「自分でも何故そこまでの体力があるのか不思議でしたが、私はそこから争い事や揉め事の起こりそうな場所を探して、ついにとある戦場に辿り着きました」


 戦場に向かった目的は、言うまでもなくただひとつ。

 魔物が喜ぶ糧を、戦死者の流血を、エサとして与えてレッドキャップを生み出すため。

 ティアーナのヘルムには吸血蔦蔓ヴァンパイアヴァインの幼生が蠢いていて、大地に流れた血の水溜まりに、顔を近づけて飲ませてやれば、レッドキャップを生み出せると確信があった。


「あいにく、計画はそこで止められてしまいましたが」


 呪われた騎士兜を被る怪しい女。

 様子のおかしい不審な余所者がいると、誰かが然るべき場所に駆け込んだのだろう。


 〝まだ魔物ではないが、この女は遠からず魔物に堕ちる〟

 〝見ろ、血を飲もうとした。だが殺すのは惜しい〟

 〝レッドキャップを利用する吸血蔦蔓ヴァンパイアヴァインか〟

 〝珍しい事例ケースだな〟

 〝サンプルとして、エルダースに持ち帰ろう〟


「魔法使いなのか魔術師なのか、そこはよく覚えていませんが、彼らは私を気絶させるとこの学院に運び込みました」


 勘違いしないでもらいたいが、魔法使いも魔術師も皆が善人なワケではない。

 魔物や怪物の脅威に立ち向かい、人々を悪しき超常現象から救う闇祓いなどの仕事があるせいで誤解されやすいが。


 魔物や怪物の脅威に立ち向かう決意は、人によって千差万別。


 闇祓いのなかには復讐を誓って超常現象を追い続ける者もいるし、まだ魔物ではなくても魔物の影響を受けているなら、その人間をどんな風に扱ってもいいと考えている非人間もいる。


 だから、ティアーナはエルダースで、貴重な実験サンプルとして扱われていた。


「ヘルムの破壊を試みれば呪いはどう反応するのか? 流れ出る血は人間のものかレッドキャップのものか? 顔が蔦蔓化しているのに、どうやって主要な感覚を維持しているのか? 取り憑かれている人間に吸血衝動は? このまま魔物に堕ちるなら、その瞬間は記録にできるだろうか?」


 ティアーナは呪った。

 誰も彼も、ありえないくらいに勝手なコトばかり。


 ──いいでしょう。そんなにも私を馬鹿にしたいのなら、お望み通り見せてあげます。


「鉄血の地獄を思い知るがいい──」


 魔物の呪いが強まっていたからか、この時になるとティアーナには魔法が使えた。

 魂の奥底から、ある一つの呪文が浮かび上がって、自ずと唱えていた。


 “血に狂う赤の軍サングィナム・レギオ


 すなわち、ティアーナの人生で半分を占める黒鉄諸島での戦いの光景。

 対峙して来た数多のレッドキャップを、鉄という鉄から無限に召喚・自身の周囲一帯を〝戦場〟という異界に設定する魔法である。


 この魔法が発動された場合、飲み込まれた者は強制的に騎士か戦士か看護師の役を当て嵌められる。


 つまり、剣の振るい方を知らず槍の構え方を知らず弓の撃ち方を知らず傷の手当の仕方を知らず、摩訶不思議な術理や神秘に頼るしか能の無い者は無力になる。


「二ヶ月前のエルダースが、どんなふうに混乱に陥ったか? ふふふ、出来れば実際に見せてあげたいくらいでした」


 だけど。


 だけど。


 そこに、白馬の王子様が現れた。


 悲鳴と怒号。

 恐慌に満ちた研究棟。

 力なく倒れ伏す多くの大人。

 広がっていく赤色は惨劇を意味し。

 人に仇なす魔物を退治するため、魔法の特性を見抜いた闇祓いの指示で、刻一刻と駆けつける衛兵や傭兵たち。


 ティアーナを見つめる目が、どれも敵意と弾劾に染まった真紅の渦中で。


「アリオン様は私に、手を差し伸べてくださいました……!」


 ──どうしたんですか? 何か辛いコトが?

 ──よろしかったら僕が、話をおうかがいします。

 ──貴方が問題を抱えているのなら、その問題を解決するお手伝いをさせてください。

 ──誰かを傷つけるのは良くないですね。今ならまだ、間に合います。

 ──どうか僕に、チャンスをくれませんか? 美しいひと。


 対話なんて、誰もが選択肢に考えていなかった。

 ティアーナ自身も、誰かに助けられたいなどとは思っていなかった。


 どうせこの言葉も、ティアーナを騙すため。


 耳心地の良い甘い言葉を囁いて、ティアーナを殺すのが目的に違いない。

 その証拠に、少女は腰に剣をいていた。

 鉄製ならば、ティアーナの魔法がすぐにも影響をもたらすはず。

 そうではない時点で、普通の剣ではない。

 黒色のロングソードは、何か得体が知れない。


「騙されません。私が油断したら、貴方はその不気味な剣を振りかざす。そんな浅知恵が、まさか通用するとでも? ──せせら笑った私に、アリオン様は言いました」


 ──どうしたら信じてもらえますか? レディ。


「その瞬間、私はものすごく腹が立ちました。だって、そうですよね? 魔物に呪われて取り憑かれて、とっくにこっちの顔は台無しなんです。ヘルムを被っていても、明らかにバケモノだと分かる状態で、なのに女扱い?」


 美しいひと。レディ。

 そんな言葉は癇に障った。

 言っている相手が、間違っている。

 いや、それとも敢えておちょくっているのか?


「ほら、アリオン様は綺麗じゃないですか。自分よりも歳下で、可愛くて綺麗な女の子──そんな子が、まるで舞踏会の華、貴公子みたいに歩み寄って来たんですよ?」


 馬鹿にされていると思うのは、当たり前だ。

 内心で嘲笑っているんだろうと、腸が煮えくり返る思いをしたのも当たり前。

 だから、


「だから、言ってやりました。私が美しい? 私がレディ? 人の気も知らないで、ふざけた言葉を吐かさないで。こんなバケモノが、いったい誰から愛されるって言うの!? と」


 レッドキャップをけしかけて、目障りだと殺そうとした。

 アリオンはそれらを、すべて斬り倒した。

 戦場で育ったと言っても過言ではないティアーナをして、目を見張る戦いぶりで。


 こんな女の子が、残虐非道レッドキャップに勝つ?


 たったひとりきりで、邪悪な軍団に真っ向から立ち向かう?


 まるでそれは、かつてのティアーナのような勇姿で。

 しかも、レッドキャップを斬り倒したアリオンは、心から安堵した様子で言ったのだ。

 見惚れるほどの笑顔。

 戦場にはまるで似合わない、光溢れる爽やかな表情かおを浮かべて──


 ──良かった。では、証明するのは簡単ですね。僕が貴方を愛せます。


「もちろん、嘘だと思いました。それどころか、この女の子はどこまで人を馬鹿にするんだと、ますます頭に血が上りました」


 ティアーナはヘルムを爪で掻きむしって、爪が割れるのも気にせず怒鳴った。


「なら、貴方は私に口付けられますか!? ──返事は即答で、出来ると断言されたんです。さすがに唖然としました」


 困惑するティアーナに、けれどアリオンはニコニコと近づいて。

 その歩みが一向に速度を緩めないので、ついに戸惑い始めたティアーナが初心な少女みたいに「ぇ、ぁ、ちょっ」と動揺を晒すと、


「アリオン様は私のヘルムを、そっと優しく脱がせてくれて──どうして脱げたのかも分からなかったんですが──アリオン様の手が触れると、ヘルムは簡単に取れたんです。でも」


 血塗れ赤兜と血染花レッドキャップ・ヴァンパイアヴァインの呪いは強かった。

 ヘルムを外しても、ティアーナの顔には血をしたたらせる大量の蔦蔓が蠢いていて。

 奇怪で下等なウジムシやヒルを連想させて。

 本当に口付けをするつもりにしても、何処が唇なのかも分からない状態だった。


「それでも……それでも……アリオン様は躊躇うコトなく唇を重ねてくださいました……!」


 ティアーナの後頭部を左手で支え、右手は背中を抱き締めて。

 誤解や勘違いが発生する余地など無いほど、しっかりと力強い口付けをしてくれた。


「ファーストキス、だったんです」


 ティアーナは驚いて、もうそこからは一歩も動けなくて。

 ただ唇を通じて伝わる優しい体温に、涙が人知れず流れ落ちた。

 呪いは解けて、魔法は泡のように弾けて消えて。


「どうして?」


 どうして、このひとは私にキスできたんだろう?

 どうして、このひとは私を助けようとするんだろう?

 分からなかったティアーナは、短く何故? と問うだけしかできなくて。


「アリオン様は、貴方の笑顔が見たかったから、と言ったんです。私の涙を掬って、ニッコリ微笑みながら」


 これで恋に落ちない女が、果たして地上にいるだろうか?


 ティアーナ・ファタモルガーナは、アリオン・アズフィールドに恋をした。


「それ以来、私はアリオン様を見ると、今でも顔が熱くなって恥ずかしくなるので、このヘルムが手放せないんです」


 レディ・アイゼンという呼ばれ方は、そんな事情を知らないアリオンからの渾名だ。

 呪いが解けたティアーナは、ただのニンゲンに戻った。

 しかし、帰る場所はもう何処にも無い。

 アリオンの傍にいたい。

 エルダースで看護師として働くようになったのは、そういう経緯だった。


「だから、アリオン様は白馬の王子様なんです」


 貴方も、油断していると心を奪われてしまうかも。




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