第2章

第6話「看護室で」



 謎の全裸少女を保護してから、三日が経った。

 あれから、アリオンは学院側と事態の共有を行った。


「またか。またなのか。またオマエなのかアリオン・アズフィールド」

「またです。またなのです。また僕の方が早かった」

「アァン? チッ、今回は怪我もないようだから不問とするが、せめて現場で我々の到着を待つぐらいはしろ」


 ほんの数分だったろうが、と小言を漏らすのは、エルダース常駐の〈異界の門扉ダンジョン〉調査部隊員。

 最近では肉の扉の〈カリオン〉騒動も担当している顔馴染みのドワーフで、ゴリゴリでムキムキな完全なる肉体派。

 怪物退治の専門家を名乗る魔法使いの男性だ。

 アリオンが学院に来てからというもの、この髭モジャマッスルとは何かと縁があった。


 というのも、エルダースの〈異界の門扉ダンジョン〉で何かトラブルが発生した場合、本来なら対処に当たるのは調査部隊の仕事。


 行方不明になった学生の捜索や、必要であれば救助も彼らが行い。

 それを、アリオンはこのところずっと、先回りするような形で片付けていた。


 種族差別になるので大声では言えないが、ドワーフは少し足が遅いのである。


「ハァ。オマエが優秀なのは俺たちも分かってるが、だからと言って何でもかんでもオマエひとりで解決しようとされちゃ、何かあった時に大変なんだぞ?」

「そうですね。すみません。でも、今回の件は女性への配慮を優先するべきだと思ったんです」


 年頃の少女が裸マントの状態で毛むくじゃらの大男から視線を受けるのは、かなり可哀想だった。

 アリオンは紳士として、一応の理由を述べる。

 ドワーフはしかめっつらになった。


「人を何だと思ってんだ」

「もちろん、勇敢なる魔法戦士だと思っています。尊敬すべき先達で、ちょっと盗賊顔なのが玉に瑕なんですよね」

「……チッ」


 大男が斜を向いて拗ねる。


「まぁいい。ともあれ、調書はこれで充分だ。例の記憶喪失娘は、しばらくのあいだ保護観察ってコトで上とも話はついてる」

「はい。身元の特定はまだ難しいんでしょうか?」

「ああ。なにせすっぽんぽんだったんだろ?」


 個人を特定できる物品が無く、当人の記憶も無いとなれば名前も分からない。


「エルダースにゃ、たくさんの学生がいるからな。顔と種族から聞き込みをやって、学籍情報を総当たりしていくのも骨が折れるわ」

「なるほど。では、結果が出るまでは僕が彼女の面倒を見ても?」

「あー……そうだな。とりあえず、身の回りの世話程度なら任せられるか」

「ありがとうございます」

「なんでそこで、嬉しそうに笑うのかが分からん」


 アリオンが笑顔で感謝を述べると、ドワーフは「さすが、あのリュツィフェール・レンミンカイネンの弟子だ」と呆れた様子で肩を竦めた。

 人助けが大好きな人間なんて、普通は胡散臭くて疑いの眼差しを注がれる。

 けれど、アリオンの師匠は魔法世界でかなりの有名人だったらしく。

 彼の弟子だと名乗ると、アリオンはしょっちゅうのリアクションをもらった。


 光の使者──リュツィフェール。


 あの男の薫陶を受けに受けた弟子なら、然もありなん──といった具合に。


(眉を顰めたり頬を引き攣らせながら語られるのが、地味に何とも言えないけど……)


 何にせよ、学院側から許可も与えられた。

 アリオンはこれで、喜んで彼女を助けるコトができる。


 〈異界の門扉ダンジョン〉棟の取り調べ室を後にし、アリオンは真っ直ぐに病棟へ向かった。


 記憶喪失の少女は、この三日間、身体検査や各種診断を受けているからだ。

 しかし、それもさすがに三日が過ぎれば終わる。


 一昨日の時点で、彼女は記憶を喪失している以外に目立った傷病が無かった。


 学院の病棟にいる治療師や薬師からも、今のところ経過観察以外に取るべき処置は無いと話も聞いている。

 本当は彼女の友人なり知人なりが名乗りを上げるのを期待もしていたのだが、それらしい人間はあいにくと姿を現す気配を見せない。


 孤独の不安に苛まれる彼女を、放ってはおけない。


 そんなワケで、アリオンは第一発見者としての責任から、少女をしばらく引き取るつもりだった。


「でも、名前が無いのは不便だ……」

「名無しちゃんでいいんじゃないの?」

「さすがにそれは」

「そう。じゃあ、プラチナちゃんとか」

「犬か猫だと思ってる?」


 魔剣クレアの提案は、冗談なのか真剣なのか分からない。


「失礼ね。私はいつだってよ?」

「うん。とりあえず、ふざけてるのは分かった」

「ふふふ」


 なんて、下手をしたらだいぶ奇妙な独り言とも誤解されかねない会話をしながら、アリオンはカツカツと足音を鳴らす。

 エルダースの敷地内では、各校舎区画を繋ぐ道をレンガで舗装していた。

 今日は休日であり、レンガ道を少し逸れた芝生の上では、多くの学生が和やかな余暇を謳歌している。


 素晴らしい。


 なんて平和で心穏やかな風景。


 木漏れ日の下でサンドイッチを食べているエルフの女学生などを横目にしながら、アリオンはニコニコ頬を綻ばせた。

 世界とはいつも、斯くの如くあるべしと頷きながら。



 ◇◆◇◆◇◆◇


 

 さて、そんなアリオンが病棟に訪れる前。

 当の少女は看護室で、最後の身体検査を行なっていた。


 衝立で覆われた半個室。

 白色の簡素なベッドと小さな戸棚の横。


 少女は青色の下着姿で、ナースと二人きりだった。


「えっとあの……これ、本当に必要なんですか?」

「ええ、必要ですよ。学生服を注文するのに、もろもろの数値は測っておかないといけませんから」

「でで、でもっ! どうして看護師さんが測るんです!? 普通、こういうのは仕立て屋さんがやるんじゃ!?」


 やや上擦った声が響くのは、少女が羞恥心を堪えているからだった。

 部屋の中にいるのは女性だけ。


 一人は、プラチナブロンドと玻璃色の瞳が特徴的な、十代後半ほどの少女。


 青色の下着姿で、どういうワケかまたしても裸に近い格好をしている。

 同性の前とはいえ、肌を晒す状況に恥ずかしさが止まらない様子だ。


 一方で、もう一人はそんな少女を楽しそうに見つめる二十歳くらいの女性。

 紅色の看護服に身を包んだアッシュブロンドのナースで、巻き尺を持ちながらクールな表情を湛えている。


「これも身体検査の一環です。どうせ測るなら、仕立て屋さんに二度手間を取らせるのも迷惑ですから」

「だだっ、だけど……!」

「何を恥ずかしがっているんです? そんなに立派なものをお持ちなのに」

「りっ!? だ、だから恥ずかしいんです!」


 少女は自身の胸を押さえて、耳を真っ赤にした。

 ナースさんの言う通り、少女は年齢の割に恵まれた発育をしている。

 透き通るような美貌と肌。

 なのに、丸みを帯びた輪郭はとても女性らしさに満ちていて、端的に言えばおっぱいが大きい。お尻も大きい。

 どちらも瑞々しい巨桃を思わせた。


 ナースさんは自身の胸や腰回りを見下ろす。


「私も平均よりは圧倒的に上の方ですが、貴方のそれはより絶対的な数値を叩き出すでしょう。この手でぜひ測らせてください」

「な、なにか私欲みたいなのが混ざってないですか!?」

「まさか。これも仕事です」

「うっ! じゃ、じゃあせめてッ、自分で測りますからっ!」

「ダメです。それではきちんとした計測ができません。ほら、腕を上げてください」

「!? ちょっ、ひゃあぁぁぁ!」


 少女はくすぐったがりだった。

 ナースさんの手が肌に触れた瞬間、過敏なまでにビクンと跳ねる。


「……困りましたね。そんな反応をされると、ものすごく意地悪したくなるのですが」

「ものすごく意地悪!?」

「安心してください。私はもう操を立てています。どんなにそそられても、貴方に食指を伸ばすコトはありません」

「! もしかしてそっち系の人ですか!」


 少女がビックリした顔で、慌ててナースさんから距離を取った。


「うぅぅ! なんなんです? なんなんです? もしかしてこの学校、そういう人が多いんですか?」

「そういう人が何を指すのか分かりませんが、ご安心を。べつに私は同性愛者じゃありません。両性愛者です」

「分かってるじゃないですか! それに、何も安心できない……!」


 上位互換が出てきた! と少女は恐れ慄いた。

 しかし、ナースさんは「すみません。本当にそんな気は起こしませんよ」と少女に謝る。

 胸の前で両手を当てて、


「私、恋をしているんです」

「……えっ!?」

「貴方ももうご存知だと思いますけど、アリオン様が好きなんです」

「アリオン様って……えっと、あの黒髪の?」

「はい。アリオン・アズフィールド様。素敵な人でしょう?」

「……えっと……たしかに綺麗な子だとは思いますけど……」


 少女は記憶喪失でも、同性愛者ではなかった。

 だから、ナースさんがいきなり自分と同じくらいの歳の女の子が好きだと告白してきたのに、戸惑いの方が大きく困惑した。

 そんな少女の反応に、ナースさんは微笑を溢しつつ、


「もう少しすると、アリオン様が貴方を迎えに来ます」

「え、迎え?」

「学院の判断で、貴方はしばらくのあいだ保護観察されますから」

「あっ、はい! たしか、身元が判明するまでは──」

「貴方は〈異界の門扉ダンジョン〉から現れた謎の記憶喪失者です。一通りの検査が済んで、ニンゲンという結果は出ていますが、

「……はい」

「ですので、本来ならこのまま隔離棟で半軟禁の流れに落ち着くところでしたが、アリオン様が保護観察官の役目を名乗り出て引き受けてくださったんです」

「え、あの子がですか?」

「はい。まぁ、学院もそれほど貴方を危険視してはいないのでしょう。アリオン様は学生で一年生ですが、そんなアリオン様に身の回りの世話を預けるくらいです」


 身元が判明するまでの暫定的な期間。

 少女の身柄は、アリオン・アズフィールドが保護する。

 と言っても、実態としては転校生の学校案内的なものだ。

 学生寮での過ごし方や日々のもろもろを、


「正直に言いましょうか?」

「え?」

「貴方がすごく羨ましい」

「え、えっと……」

「でも、貴方はまだアリオン様を詳しく知らないんですよね」

「っ、はい! そうなんですよ!」

「ふふ。たしかに、よく知らない人といきなり一緒に過ごせと言われても、困ってしまう気持ちは分かります──そこで」


 ナースさんは少女の両手を握り、熱く宣言した。

 静かだが、とても熱のこもった語調で。


「私から貴方へ、アリオン様について深くご説明しようと思います。アリオン様の素晴らしさ。アリオン様の尊い人となり。これを聞けば、貴方もきっとアリオン様を尊敬せずにはいられなくなるコト間違いありません。嬉しいですね?」

「──わぁい」


 がっしりとした握力に、少女は「あ、これなんかヤバいかも」と思った。

 なんというか、ナースさんの顔が蕩然としていて急に饒舌になったし、宗教勧誘じみた同調圧力を秘めていたからだ。

 思っただけで、逃げられる余裕は無かったが。


 というか、まだ半裸のままだし。


 アッシュブロンドのクールビューティーは、ぴえんと目を潤ませる少女の心情を知ってから知らずか。

 アリオン・アズフィールドについて語り出す。


「私、ティアーナ・ファタモルガーナが白馬の王子様に出会ったのは、二ヶ月前のコトでした」

「白馬の王子様」

「ふふふふふふ。バカな女のくだらない妄想だと思いますよね? でも現実なんです」


 これは恋と呪いと戦場の御伽話。


「貴方と違って、私はエルダースで魔物と見なされていました」

「!」


 戸棚に置いていた鉄の兜。

 騎士のフルフェイス・ヘルムを手に取りながら、女は語る。


「貴方は、知っていますか? 『血塗れ赤兜と血染花レッドキャップ・ヴァンパイアヴァイン』の伝説を」



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