第5話「裸の少女」



 悲鳴が聞こえた。

 ならば為すべきことはただひとつ。

 アリオンは声の鳴り響いた方角へ走り、迷いなく現場に向かう。


 肉の扉、中層──

 下層へ通じる穿孔路前──


 ピンク色の洞窟内が、他のエリアに比べてわずかに開けた空間。

 少しだけ広いその場所で、駆け戻るアリオンが目撃したのは、石像の怪物ガーゴイルが粉々に破壊される光景だった。


「またか──〈カリオン〉ッ!」


 いつから現れたのか。

 何処から現れたのか。

 下層から中層へ上がって来たのか。

 それとも、階層は関係なく、異界の中ならどの場所からでも発生するのか。


 情報不足のため原因は分からなかったが、どうあれ──


 一週間前に殺した個体と同程度の威容。

 体長十メートルを越える巨大な触手の怪物。

 猛烈な臭気を漂わせながら、生肉や内蔵を思わせる体表をうねらせ、一匹の〈カリオン〉が三機の使い魔を力づくで圧砕していた。


 そしてそのすぐ前方には、ひとりの少女が壁際に追い詰められている。


 悲鳴の主は、間違いなくこの少女に他ならなかった。

 が、


「──!?」


 アリオンは驚愕する。

 アリオンは目を見開く。

 何故なら少女は、服を着ていない。

 一糸、まとわない。

 布の一切を身につけておらず、健全な青少年にはあまりに目に毒な裸体を、晒していた。


 〈異界の門扉ダンジョン〉になぜ、裸の少女がいるのか?


 肉の壁や床から発せられる光に照らされて、少女の肢体は淫靡な雰囲気を作り出している。

 プラチナの長髪と、透き通るような肌。

 豊かな曲線は、見てはならないという自戒を突破させるほどに女性らしい美しさに溢れていて


 ギ リ ッ !


 アリオンは歯軋りを鳴らすと同時に、舌の端を噛んで血を味わった。

 今この状況で、それは注意すべき事柄じゃない。

 紳士たるべき貴族の男としても、褒められる邪念じゃない。


 ──重要なのは、少女が顔を歪めている事実。

 ──恐るべき怪物から、必死に逃れようとしている事実。

 ──救いの手を差し伸べる誰かはいない。

 ──今この場に、アリオン以外に彼女を助けられるモノは無い。


 悲鳴を聞いて、恐らくすぐに人はやって来るだろう。

 下層には調査のため、アリオンよりも強くて賢くて凄い魔法使いや魔術師が派遣されているはず。

 だが一番最初に間に合ったのは、アリオンだけだ。

 ならば、この身はいったいどうする?


「……救うッ!」


 そうとも。それしか無い!

 今まさに少女へ伸びる醜い肉のうねり。

 アリオンは横から、真っ直ぐに刃を叩き入れた。

 “アクアリア”の呪文を唱え、滝の刃で分厚い肉の塊を両断する。

 通り過ぎざま、泣いている少女の眼差しがアリオンを捉える。


 玻璃色の瞳。次第に見開き。


 恐ろしいほどに造形の整った顔かたち。

 こんな少女が、曇らされていていいはずは無い。

 笑顔を取り戻さなければ。


「GYEAAAAッ!!??」

「──まずはひとつッ!」


 〈カリオン〉の触手を一本切り飛ばした。

 切り飛ばした触手は、断面からジュクジユクと音を立てて泡が溢れ、すぐに再生を開始する。

 が、〈カリオン〉はテンタクルスやローパーと違って巨体である。

 大きすぎる肉体を、すぐに完璧な元通りにはできないらしい。


 残りの触手は目算で二十九本。


 根元まで辿り着くのに最低限必要なカット数は、五本と計算。

 一週間前のアリオンは、〈カリオン〉の存在を知らず同級生を助けようとして不覚を取った。

 しかし、今のアリオンは〈カリオン〉を識っている。

 実際に目の当たりにし、動きを学び、殺し方を覚えている。


「クレアッ!」

「はぁい」


 魔剣から魔力の供給を受けた。

 そこに、〈カリオン〉が二本の触手を両側から挟み込むように、拍手クラップを仕掛けてくる。

 ニンゲンの体など、簡単に潰せる単純な質量攻撃。

 だから防ぐには、


「“ガイアテラ”──!」


 ドゴオォォンッ!

 かつて門塞ぎの百足という魔物が守っていた城門の最盛期を創り出して、身を守る。

 アリオンの眼には怪物の存在力が視えている。

 物理的な攻撃だけなら、同じく物理的な存在を創造するだけで上回れる。


 おかげで、奇しくも直線経路が空いた。


 致命の一撃へ至る隙の道。

 アリオンはすかさず走り、それを察した〈カリオン〉が根元のあぎとを隠すように他の触手を動かした。

 〈カリオン〉のカラダから、次なる触手が真っ直ぐに壁の合間に捩じ込まれる。その数は四。


 しかして実態は、肉の槍壁。


 横への逃げ道は自分で制限してしまった。

 けれど、後退の二文字は無い。

 アリオンの背中には救うべき少女がいる。

 ここでアリオンが上に飛んで回避すれば、触手は当初の目的通り少女を殺すだろう。


 真っ向から迎え撃つしかない。


「“衝撃インパルト”──ッ!」

「GYEAAAAッ!!!!」


 アリオンは一週間前の〈カリオン〉そのものをイメージした。

 身をもって知った巨大触手の暴力。

 それを、今回は衝撃波として押し出し、四本を止めて、その内の二本を階段状にズラす。


「──これで、五本だッ!」


 宣言と同時に、触手を踏んでアリオンは駆けた。

 怪物もまさか、自分の触手の上を走る人間がいるとは思わなかったのだろう。

 慌てて触手を壁の間から抜き取ろうと引き戻すも、逆にそれはアリオンを近づける悪手だった。


 触手系の怪物は、全方向に触手が生えているが全てを一方向に差し向けられるワケじゃない──


 触手一本ごとの長さも決まっているし、生えている箇所が逆向きなら、人間の関節や骨と同様、駆動範囲は自ずと制限される──!


 そしてアリオンには、魔力/存在力を視る特殊な眼があり。

 敵の攻撃の前兆が、色の濃さの変化や増減で察知できた。


 仮に赤外線撮影、サーモグラフィーなどを知っていれば、アリオンはそれらと似た視覚を得ていると語っただろう。


 したがって、〈カリオン〉が失策を悟ろうとも時すでに遅し。


 触手と触手の間に空いた僅かな空間。

 刻一刻と狭まる肉の圧力の間隙を、アリオンは少女の繊細な体躯を利用して疾風はやてのごとく突き抜けた。


 間一髪、カスリでもしていれば大怪我は免れない危険な賭け。


 けれど、視えているモノには余裕のある作戦で、怪物の顎の少し上。

 主要な臓器が集まっている根元の部分へ、見事到達。

 そのまま魔剣をグサリッ! と突き入れた。


「消えろ!」

「GYEEEAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA──!!??」


 断末魔の苦鳴。

 巨大な触手の怪物は、末期の叫びでカラダを震わせながらドシンッ! と息絶える。


 一秒、二秒、三秒。


 念のための警戒を行うが、状況は完全に戦闘行動の終わりを告げた。


 無傷──

 完全な攻略──

 小さな満足感──


 頷いて、肉の怪物から飛び降りて。

 アリオンはすぐに少女の元へ急ぐ。

 魔剣を鞘に戻し、剣帯に繋ぎながら、肩に留めている外套──エルダースの学生服の一部である──マントを外し。

 プラチナの長髪と玻璃色の瞳の美少女は、そんなアリオンをポカンとした顔で見つめていた。


 アリオンは目を逸らし、直視を避けつつマントを少女の肩に掛ける。


「これをどうぞ。それと、お怪我はありませんか?」

「……」

「……レディ?」


 少女はポー、とした顔でアリオンを見上げている。

 アリオンは焦った。

 まさか、どこか怪我をしていて意識が判然としていないのか。


「失礼」


 へたりこんでいる少女の前方に周り、膝を着いて目と目を合わせる。

 顔を近づけ、顔にそっと触れ、瞳孔の開き具合を確認する。


「ん?」


 特に異常は見られない。

 では、どこか出血している箇所はないか。

 目で見て、すぐに分かる外傷の類いがあるかと、首から下に意識を向け──


「み、見ないでくださいっ!」

「っ?!」


 少女がアリオンの顔を両手で挟み込んで、強制的に真上を向かせた。

 突然の勢いに、首がゴキリッ!! と嫌な音を立てた。

 痛みから一瞬、アリオンは白眼を剥きかけ意識が遠のくも、そこは根性で復活する。


「ぐ、ぬ──良かった。どうやら、ご無事のようですね」

「あっ、ご、ごめんなさい! 私ったら、助けていただいたのに……!」

「いえいえ。僕の方こそ、すみませんでした」


 立てますか? と右手を差し出しながら質問し、少女がおずおず頷く。

 立ち上がった少女の背は、アリオンとちょうど同じくらいの大きさだった。

 女の子状態のアリオンは身長が167cmなので、ニンゲンの女性にしては高い方の部類に入る。

 もっとも、元の性別に戻ればアリオンは180cmなので、本来なら見下ろす形になっただろうが。


「僕の名前はアリオン。アリオン・アズフィールドです。レディ、貴方のお名前は?」

「えっと……」

「ああ、僕は一年生です。今年入学したばかりですが、エルダースでは闇祓いを目指しています。貴族の生まれです」


 学院指定の学生服。

 エルダースではカフスボタンの種類で年次等が分かるようにデザインされているため、袖元を見せて身分が説明できる。


 学生の中には、どこかの国のロイヤル・ブラッドや学閥貴族の血統も珍しくないため、時には下々の人間とは話せないなんて文化もあるのだ。


 目の前の少女も、だからアリオンの身分を気にしたのだろうと。

 自身も貴族の血を引くため、特に不快になるワケでもなく先回りして答えた──が、しかし。


「……レディ?」

「……あの、ごめんなさい」

「? どうしました?」


 疑問符を浮かべるアリオンの前で、少女は申し訳なさそうに眉尻を下げて困惑していた。

 はて、何か困らせるようなコトを言っただろうか?

 アリオンも困惑しかけた、その時──


「その……?」

「────え?」

「というか、ここって学校? なんですか……?? ちょっと、いえだいぶ……悪夢みたいな場所に見えちゃってるんですけど……」

「────まさか」


 記憶の喪失??


 アリオンがハッとする傍らで、少女は困った顔で辺りを見回していた。

 心細さから迫り上がって来る不安と恐れ。

 途方に暮れ、立ち尽くすしかない──

 そんな様子が、全身からありありと滲み出ていて。

 迷子のような雰囲気が、アリオンの行動を即断させた。


「──では、レディ・アンノウン。僕に貴方を、助けさせてください」

「え?」

「貴方の問題が解決するまで、僕が貴方を助けます。もちろん、貴方がお嫌でなければですが」

「──え、ええ〜……? なんですか、いきなり?」


 少女の顔がほのかに赤くなった。

 そんなに恥ずかしいセリフを吐いている自覚は無いのだが、アリオンの言動はときどき周囲にこんな反応をさせる。

 女の子になってもそれが変わらないのは、ちょっとした驚きだった。


 とはいえ、なんですか? と問われれば答えは決まっている。


「貴方を助けたい。貴方を救いたい。貴方を守りたい。貴方を笑顔にしたい」

「……ん、んっ!?」

「貴方が泣いているのなら、その涙の原因を何がなんでも取り除いて差し上げたい。笑っていてください。華やいでいてください。貴方はとても綺麗なんですから、僕に貴方の涙を掬う許しをください」

「は、へ!?」


 ハンカチを取り出し目元の涙痕を拭ってあげると、少女はカァーーっ! と動揺した。

 マントのあわせの部分をギュッと握りこんで、ビクンと飛び跳ね。

 フワリと舞い上がったマントの端から、きわどい輪郭を覗かせつつ。

 目をパチパチさせて、アリオンから斜めに体を隠そうとする。


「──了承して、くださいますか?」

「ッ〜〜! あ、貴方、ちょっと変ですよッ!?」

「素直な思いを口にしただけです」

「す、すなっ!?」


 狼狽える少女に強く頷きを返し、


「それでは、行きましょう」

「何処に!?」

「安全な場所に」


 アリオンは了承は得たものと解釈し、出口への案内を開始した。


「ひょうぇわ!?」


 手を握ったら、少女はだいぶ愉快な声で驚いていた。


「……失礼。足元が滑りやすいので」

「こ、このくらい平気ですよ!?」

「でも、裸足だと厳しいでしょう」

「そんなコトは──アッ!」


 言ってるそばから転びそうになったので、アリオンは少女を抱き支える。


「──大丈夫、ですか?」

「あああありがとうございますッ!」

「──手、握っていても良いですか?」

「えっ、ええ!」

「──良かった。では、そのように」


 ドキン、ドキン、ドキン。

 弾む心臓の音が、手のひらを通じて感じ取れるくらい脈が忙しなかった。


(一応、今の性別は同じはずなんだけど……)


 魔剣クリフォミレニア曰く、アリオンの女性顔は中性的な美貌らしく、そのせいで緊張させてしまうのかもしれなかった。


 ──元の性別で同じことやってたら、余計に威力は上がるわね。

 ──そうかな? そうかも……


 と、そんなやり取りもあったり無かったり。


 ともあれ、これがアリオンと少女──後に『珪素の姫君』、『硝子の白鳥』などと呼ばれる──との出会いの一場面だった。


 この時の二人は、自分たちが殺し合う未来を知らない。



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