第2話「闇祓い」



 Q.貴方はどうして闇祓いになりたいんですか?


 A.自分のチカラで防げる悲劇があると知ってしまったから、この身はそうした在り方を心がけるべきだと思ったからです。


「──心がける……べき?」

「はい」


 学院の看護室。

 ベッドを空ける日の早朝。

 エリクサー漬けの処置が終わり、〈カリオン〉に傷つけられたカラダは無事に治療を完了した。

 錬金術の奥義を以って精製された至高の霊薬は、見事、傷ひとつなくアリオンを完治させている。


 そのため、今日からは再び学生業を再開する許可が下りていて、アリオンにとって実に喜ぶべき朝だ。


 一方で、担当の看護師──ナースさんは、どこか残念そうに落ち込んだ雰囲気を湛えて、肩を落としている。

 まるで、アリオンが病床から去ってしまうのを未練がましく思っているかのように。

 少しでも長く、アリオンをこの場に留めようとしているかのように。

 早朝ゆえ小さな声で続く会話は、少しばかり時間を取られそうな話題をチョイスされていた。


 もっとも、医療に携わる素晴らしき職業、ナースともあろう女性が患者の快復を喜ばないはずはない。


 アリオンの直感は勘違いであり、実際はまったくの気のせいなのだろうとは思われた。

 騎士の鎧兜を被り、フルフェイス・ヘルムに真紅の看護服という、少々変わった出で立ちのナースさんではあったが。

 医の道を歩む人種というのは、闇祓いにも劣らない素晴らしき精神性の持ち主なはず。


 自身の直観を恥じ、アリオンは素直に会話を受け入れた。


「僕が闇祓いを志すのは、いま話した通り相応しい能力が備わっていたからです」

「でも、まるで義務のような語り口でしたが?」

「すみません。べき、なんて言ってしまうと、たしかにそう思われても仕方がないかもしれませんね」


 本当は闇祓いになりたくないとか、そんなワケじゃないんです。


「僕は心から、闇祓いになりたいと思っていますよ」


 やや苦笑をしながら、ナースさんに謝った。

 すると、年上の彼女は「……べつに、謝られるようなコトではありませんけど」と首を振り、


「けれど、言葉の真意は気になりますね」

「言葉の真意ですか」

「普通、心がけるべき、なんて言葉は義務感や理想をもとに語られますから」

「なるほど、たしかに」

「心がけの話なのであれば、わざわざ苦労して闇祓いになる必要は無い気がいたします」


 闇祓いというのは、およそ人間の希少種である魔法使いのなかでも、さらに希少とされるエリートを指す。

 魔法使いの出生率が、平均的な人口の村ひとつに対し一人だと仮定すれば。

 闇祓いは、およそ国ひとつに一人程度の数しかいないかもしれない。

 莫大な特権をエサに、例年、志す者は後を絶たないとされているが、大半が道半ばで心折られ。

 狭き門を潜り抜けられるのは、非常に少ないことが学院では有名だ。


「そうですね。まったく、ご指摘の通りです」

「でも、アリオン様は絶対に闇祓いになりたいのですよね?」

「ええ。僕は闇祓いになりたい」

「それは──どうして?」


 小さく小首を傾げる様子が、この女性の魅力のひとつだとアリオンは思った。

 仕事中はテキパキと働いて、言葉遣いも丁寧。

 デキる女性という印象が事実であるのに、時々ひどくあどけない仕草をする。


 問いに答えるのは、もちろん簡単だった。


 師から受けた薫陶を胸に、アリオンはただ自分が信じる道をそのまま言葉にする。


「──たとえば。そう、たとえば。エリクサーのように万病を癒し、あらゆる傷害を治せる才能を持った治療師がいたとします」

「ありえません」

「仮定の話なので」

「……すみません」

「ははは。えっと、それでですね? その治療師が自分の能力を知らず、もしも治療師ではない人生を選んで一生を終えてしまったとしたら」


 その場合、治療師ではない治療師は、人として幸せだったと言えるだろうか?


「僕はこう思います。不幸せとまでは言わないにしても、決して幸福の最大値を識る人生ではなかっただろうと」

「それは……やはり、自分の長所を活かせる道に進まなかったから、というコトでしょうか?」

「正解です。ですが、満点ではありません」

「む」


 意地悪な言い方を敢えてすれば、ナースさんは分かりやすく拗ねた雰囲気を醸し出した。

 アリオンは微苦笑しつつ、着替えを始める。

 患者服からエルダースの制服へ。

 今日のアリオンは女ではあるが、近くにいるのは女性であるナースさんだけで、間仕切りパーティションもあるから躊躇なくシャツも脱いだ。

 そのタイミングで、ナースさんが心得たりといった様子で、脱いだ肌着を回収していく。


「ん? 洗濯カゴには入れないんですか?」

「──このくらいなら、わざわざカゴを使う必要はありませんので」

「なるほど……?」


 たしか、他の看護師は衛生的な理由から、患者の衣類は常にカゴに入れて回収していた記憶だったが。

 特段、看護上のルールというワケでもないのだろうか?

 まぁ、そういう日もあるか。

 アリオンは特に気にせず、「そうですか」と流して着替えを続行した。


「それで、満点ではないというのは?」

「ああ。簡単な話です。誰かを救える能力を持っているのに、その能力を活かせないまま死んでしまうのは、どう考えても不幸せなコトでしょう?」

「……?」

「誰かを助けて、誰かを救える。そんな才能は稀有なものです。しかも、より多くを対象としたものは、まさに天からのギフトと言う他ありません」

「──ああ、ようやく理解しました」

「お、分かってくれましたか」

「はい。つまり、アリオン様にとって誰かを助けられるコトは、それだけで最大の幸福に値するのですね」


 微かに震えたような声音に、「ん?」と振り返りかけると。

 ナースさんは「素敵です。抱いてください」と、いつもの丁寧なトーンで告白してきた。

 あまりに自然な流れで放り投げられるので、アリオンは聞き間違いや冗談を言われたような錯覚に陥り──


(いや)


 すぐに首を振り、自らその思い違いを否定した。

 本当に不思議で仕方がないけれど、このナースさんがアリオンに好意を抱いているのは、二ヶ月ほど前から確認済みである。


「いつも言っていますが、いまの僕に貴方の気持ちにお応えする余裕はありません」

「はい。闇祓いを目指しているからですね」

「そうです。だから、僕が闇祓いになった後、その時にもまだ貴方の気持ちが変わっていないようであれば、改めて確認させてください」

「ふふっ! ええ、いつまでもお待ちしております」

「僕も男です。今でこそですが、魅力的な女性から大胆な発言をもらえば、正直に心が揺れます」

「私はべつに、女性のアリオン様のままでも構わないのですけれど」

「──そこも含めて、闇祓いになった後で確認させて欲しいのです」

「!」


 ナースさんはドキン! とした反応で後ずさった。

 間仕切りパーティションに背中がぶつかり、看護室全体に少し大きな音が響く。

 表情はヘルムのせいで見えないが、襟元から除く白い首筋は、真っ赤に染まって紅潮を教えていた。


「ふ、ふふふ、ふふふふふふふふふふふっ! ──ああ、本当に、素敵な人ですね?」

「光栄です。レディ・アイゼン」


 右手を胸元に添えて、軽く一礼。

 ここ二ヶ月あまりで恒例となった一頻りの流れが済んだところで、アリオンは「ですが」と漏れかけた溜め息をどうにか堪える。


「ですが、誰かを助け誰かを救うというのは、本当に一筋縄ではいかない」

「? アリオン様は、先日も多くの者を救ったばかりでは?」

「はい。その結果として、

「……アリオン様は、理想が高いのです。闇祓い自体、常人には目指すことすらハードルを感じる目標ですよ」

「それでも、エルダースに入学してから、こうして未熟を痛感しない日々はありません」


 魔法使いとして、アリオンはあまりにスロースタートを切ってしまったとほぞを噛まざるを得なかった。

 十七歳という年齢で学院に入学したが、下を見ると十一歳からエルダースでは入学が可能らしいのだ。

 そうなると、同年代のストレート組に比べた場合、アリオンは実に六年以上も後塵こうじんを拝している計算になる。


「〈カリオン〉を殺すのも、魔法ではなく剣を使いました。闇祓いへの道は、予想していたより遥かに険しく厳しい」

「アリオン様……」


 グッ、と拳を握りこんで唇を引き結ぶと、ナースさんが気遣わし気に名前を呼んだ。


「っと、いけない。下を向くのも後ろを向くのも、師匠に禁じられているんでした。こういうところが、僕が〝心がけるべき〟と言った所以なんです」


 アリオン・アズフィールドは、いまだ未熟。

 剣の腕だけは生まれ故郷でも鍛えていたから、それなりに使えるが。

 魔法や魔術、神秘に通じた超常現象全般には、無知を自認する新参者に過ぎなかった。


 だからこそ、せめて心根の在り様だけでも真に闇祓いに相応しいカタチをしているべきだと、日々自分に言い聞かせてもいるのだが。


 現実は簡単にはいかない。


 アリオンは師と違って、まったき〝光の使者〟とはなれていなかった。

 そのために、エルダースでは昼夜なく勉強の毎日……


 故国を脱してエルダースに来るまでの間、師の傍で目の当たりにした〝本物の闇祓いの姿〟には、依然として届かぬ己を自覚しているのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 闇祓いの仕事で一番多いのは、魔物や怪物の起こした問題を解決するコトだと師匠は言った。


「時にアリオンちゃん! キミは魔物と怪物の違いを知っているかな!?」

「いえ。知りません」

「それはいけないねェ! 純朴な田舎育ちもけがれがなくていいけれど、平和ボケな公国のノリはそろそろ捨てておくべきだ!」


 アズレア公国を脱し、エルダースへと向かう旅の道すがら。

 どうやらこの銀色男は、日常的にテンションがおかしいらしいと判明した徒歩での行程のなか。

 アリオンは世間知らずだとバカにされているようで、思わずムッとした。

 しかし、


「バカにしているんじゃなーい。キミは事実として世間知らずなんだ!」


 顔面に両手で指を指されての決めつけ。

 師曰く、アリオンの生まれ故郷は世界でも屈指の平和な国だったらしい。

 山麓を離れて、のどかな平野部。

 行商人も使う馬車道は、草原に囲まれた一本道で。

 天気は晴れ。

 風に乗って薫る草木の匂いが感じられた。


「言っておくが、世間はキミが思っているほど安穏としていない! 何故か!? それは人類が霊長の座にいないからだ! ドラゴンやエレメンタルと比べて、あまりに存在規模イデア・スケールが劣っているからだ!」

「……」


 霊長の座。存在規模イデア・スケール

 師匠はよく難しい言葉を使った。

 恐らく、魔法使いの世界では常識的なフレーズなのだろう。

 が、前後の文脈や話の流れから、アリオンも大体のニュアンスは察することができた。


 エルフ、ドワーフ、ニンゲンなど。


 この世界では〝人間〟という括りに多くのヒト型生物を含めているのだが、長寿種族であるエルフでもドラゴンには敵わない。

 自然現象に近い精霊などに比べれば、人間はすぐに死んでしまう。

 だから、この世界で人間は霊長の座にない。存在の存続生という観点で劣っている。


 端的に言えば、寿命が短くて弱いから。


「一方で! 人ならざる魔物! 怪物! ヤツらは人間よりも強い! 人間よりもしぶとい! そして人間を襲う! 悲劇をもたらす! キミにこの理不尽が分かるか!?」

「……話が逸れかけている気がしますが。あと、アリオンちゃんって呼ばないでください」

「おおっとそうだった! 要するにだねアリオンちゃん! 私たち闇祓いは、そんな魔物や怪物なんかにきちんと詳しくなって、適切な対処をできるようにならなきゃいけないのさァ!」


 何故なら、闇祓いとは一流の魔法使い。

 神秘の専門家。

 この世の闇を祓うに相応しい能力が、備わっていなければ容易く淘汰されてしまう。


「理屈は分かりました。それで、怪物と魔物の違いって何なんです?」

「──生き物か、生き物じゃないかだよ」


 ニヤリ、と妖しく口角を釣り上げて。

 陽の光の下でも変わらず浮世離れした風貌の男は、囁くように言った。


「怪物も魔物も、どちらも我々とは違う世界の住人だ! しかし彼らは、それぞれ別の世界からにやって来る!」

「?」

「異界にも種類があるのよ」


 困惑していると、TS魔剣であるクリフォミレニアが見兼ねたように短く補足した。


「神話とか伝説で、グリフィンだとかシーサーペントだとか、キメラ、ヘカトンケイル、グレイマルキン、フェンリル、ミノタウロスだとかの名前を聞くだろう!?」

「え、ええ……」

「言うなれば、それらが『怪物』だ! 神話の世界、伝説の世界から訪問する攻撃的有害生物ども! 物質種! だがしかし、ヤツらはこちら側で息の根を止めても死体を残さない! 残したとしてもごく稀で、カラダの一部だけだったりする!」

「死体を、残さない……? というと、どこかに消えてしまうんですか?」

「そ・う・だ! まるで幻だったかのように、本来の世界に帰っていく! だったら来るなよ! クソ迷惑な害獣どもめ!」


 ウガーッ!

 銀色の怪人は怒れる雄叫びをあげた。

 もしかしたら、躁状態なのかもしれない。

 だが、たしかに共感はできる。


 もともと別の世界の住人なのであれば、わざわざ違う世界にやって来て先住種族に迷惑をかけなくてもいいじゃないか。


 アリオンも素直に思った。


「けれど、怪物は魔物に比べればまだマシだ! 怪物は恐ろしいが、人が人として持つ力で対抗はできるからね!」

「生き物である怪物は、殺せば当然死ぬのよ」


 難しくはあっても、撃退不可能な存在ではない。

 古今東西の物語で、怪物が英雄に討ち取られる逸話はたくさんある。

 けれども魔物。

 魔物は大きく話が変わる。


「魔物は生き物じゃなーい! 幽霊とか吸血鬼とか悪魔とか妖怪とか! そういうから姿を現す非生物なのさ!」

「あの世、冥界、死後の世界、あるいは魔界、地底下界、地獄の住人」


 他ならぬ私もその眷属よ、と意思持つ無機物が笑った。

 ゾッとする微笑で。

 魔剣の意思で性別を変えられているアリオンは、もちろん恐怖を覚えた。

 アズレアの国境線を越えても、魔剣は一向にアリオンの性別を元に戻そうとはしない。


 ──ジワ、と。


 気が付かぬ内に、自分がとんでもない失態を犯している気分になって、焦りの汗も浮かんだ。

 それでも、ポン、と肩に置かれた師匠の手がアリオンを落ち着かせ、


「だから、闇祓いの仕事は、どちらかと言えば魔物絡みが多い──

「ハァイ」

「!?」


 そのとき、アリオンの性別が突然元に戻った。

 視点の位置が上がり、急に靴のサイズや腰回りの締め付けがキツくなり、歩幅が変わったことから前方に躓きかける。


「うわっ!?」

「そしてもう一度」

「ハァイ」

「!?」


 アリオンは再び女の子になった。

 体重が軽くなったアリオンを、背ぇ高のっぽは容易く腰に腕を回して支えてのけ、紳士的な手つきで転倒を阻止した。


「──あ、ありがとうございます……?」

「どういたしまして──と、要はこんな感じでね?」


 闇祓いは魔物や魔物に類する超常現象、魔法、とりわけ〝呪い〟にまつわる問題を解決するため、各地から救済を求められる。


「で、話はキミの特殊体質について向かっていくんだけど!」

「は、はぁ……」

「『白馬』であるキミは、生まれついての解呪体質者だ。この世の何も──ああ、白馬は除くよ? ──キミを呪うコトはできないし、どんな異界の徒が仕掛けた呪いであろうとも、キミの前ではしかない」

「でも、僕はどうすれば……?」


 神々の息吹ゴッドブレス、白馬の王子の加護。

 そんな冗談みたいな話を聞かされても、アリオンにこれまで自覚は一切無かった。

 何か発動条件のようなものがあるのだろうか? と、この時は理解が浅くて質問したのである。

 師匠は「ハッハー!」と両手を空にあげた。


「オイオイィ、体質だと言ったろう? 低級の呪いなら、キミは何もする必要がない」

「え、何も……?」

「強いて言えば、ただ近づくだけさ。肌で直接触れれば、どんな呪いも大抵は一発で蒸発するだろうからねェ」

「怖い怖い」


 魔剣にすら怖がられる。

 しかし、その割に魔剣の呪いを自力で解ける様子は無かった。

 先ほどから剣を握っているのは、アリオンにもかかわらず。


「そりゃあそうよ。私は魔剣クリフォミレニア。そんじょそこらの呪いと一緒にしてもらっちゃ困るわ」

「とか言ってるけど、クレアの呪いもキミが刀身にをすれば余裕で解ける」

「! キスで?」


 驚くアリオン。

 むすくれる魔剣。

 そんな一人と一本に、闇祓いは言祝ぐように叫んだ。


「そうだ! 白馬の王子様はいつだって囚われの乙女ダムゼル・イン・ディストレスを窮地から救う!」


 御伽話のお姫様を、眠りから目覚めさせるキッカケは?

 そう。いつだって白馬の王子からのキスだ!


「キミのカラダの中でも特に唇には、最強の解呪能力が備わっているんだよ!」

「僕の唇に、そんなチカラが……!」


 え、でも待って欲しい。

 闇祓いの仕事で一番多いのは、魔物や怪物の起こした問題を解決するコトだと最初に聞かされた。

 そして、聞いた感じ危険な仕事もかなり多いように思われた。


 怪物や魔物を、キスで撃退する……?


 ていうか、怪物と魔物にキスしろって……?


 相手は恐らく、十中八九、殺意ムンムンなのに……?


「──いや、無理じゃないですか?」

「然もありなん! だからこそキミには、エルダースに行って強くなって欲しい! それまではそうだな。私の仕事でも手伝ってくれよ!」


 そして、闇祓いの仕事の何たるかを学んでくれ。

 銀色の妖人に誘われるまま導かれるまま、アリオンはそれから、ある魔物と出会うコトになった。







「ここは通せません」「誰も通しません」「私は約束したのです」「約束を」「あの方から仰せつかった」「必ずこの門を守ってくれと」「だから帰ってください」「あの方は必ず戻ってくる」「約束しましたもの」「私が約束を守れば」「帰らないなら死んでください」「あの方も絶対戻ってくる」「だから」「だから」「ね?」「わかるでしょう?」


「──死ねェェェぇェェぇェェェェェ……ッ!!」


 ある都市に立ち寄る際、古戦場跡地だという丘を通らなければならなかった。

 疾うに朽ち果てた古城の残骸が広がっていた。

 城門の名残の前には、魔物──『門塞ぎの百足』と呼ばれる──が異形を晒して姿を現し。

 百足の胴体を除けば、どう見ても人としか思えない女の顔を持っていて。


「あれこそ、未練にしがみついた過去の亡霊の成れの果て!」

「ど、どういうことですか……!?」

! この世界には魔物に変わってしまう人間がいる! 私たち闇祓いは、時としてこの手の闇をも直視しなければならない!」


 放置すれば、必ず後顧の憂いを残す。

 撤退すれば、悲劇の禍根を見過ごしてしまう。

 死人はすでに出ていて、多くの者が今後も長くその顔を曇らせるだろう。


「ゆえにだ! ここに彼女が待ち侘びる〝あの方〟の遺品がある」

「! その手甲は……!?」

「事前に探し出しておいた形見の品さ。彼女の待ち人は戻らなかった。けれど、門の向こう側の少し奥で、力尽きたと伝わる騎士の墓があるんだよ。だからこれを元に、私はかつての幻像を結び出そう! キミの姿を、彼女には〝あの方〟に見えるようにする!」

「ッ、なぜ!?」

「なぜだって!? そんなの、決まっているだろうッ!」


 狂える死者の嘆き。

 未練に縛られた哀れな魂。

 呪いから解放してあげられるなら、安らかな終わりを与えられる。


「もちろん、あの程度の魔物なら私は力技でどうにでもできる。けれど、そんな手段が今回のケースで、真に闇を祓ったと言えるのか!? 違うだろう! アリオン・アズフィールド!」

「──!」

「闇祓いを志すのなら、覚えておくがいいッ! 人間を襲うカイブツやバケモノを退治しただけでハッピーエンドを迎えられるのなら、世界は遥か昔にもっとマシになっていた!」


 有無を言わさぬ、選択肢の突きつけだった。

 アリオンは生まれて初めて目の当たりにする魔物の異様と、師匠からの迫力に圧倒されて。


 ──それでも。


「……おっしゃる通りです。やります」

「ええッ!? 聞こえないぞッ!?」

「やります! 僕は、貴方の信念に心惹かれた! なら、ここで引き下がる臆病はありえない!」

「ンンンンッ、素・晴・ら・し・い! やれ!」


 背中を叩かれ、勢いよく『門塞ぎの百足』の前に身を踊らせた。

 バケモノはすぐさまアリオンに向かってきて、けれどその瞬間──腕にはめた〝あの方〟の手甲が光を放ち、


「ぇ──」


 古城跡地は、いつかの遠い記憶を復活させていた。

 立派に築き上げられた石造りの城。

 堅固さを誇る栄えある城壁。

 厳粛な門構えは、きっとさぞかし多くの外敵を跳ね除けたに違いない分厚さを保っていて。


「ああ……信じておりました。信じておりました! ██様!」

「ぁ」


 アリオンの目の前には、歓喜に涙を流す可憐な女性。

 百足の胴体を生やしていたとは思えない。

 ローブ姿の魔術師のような女の人がいて。

 アリオンはマントを翻して、今この瞬間、凱旋した騎士になっていた。


 ──何をしなければいけないのかは、すぐに分かった。


 これはきっと、死者を騙す行いだ。

 けれど、嘘でもいい。

 安らぎを与え、苦痛しかもたらさぬ呪いから解放できるならば。


「……ただいま、戻りました。長いこと待たせて、申し訳ありません」

「いえ! いえ! 私はただ、██様が無事であれば、それだけで……!」

「──ありがとうございます。もう、大丈夫。疲れたでしょう。一緒に、ゆっくりと休みませんか」

「……はい。おそばにおります。いつまでもいつまでも、永遠とわにおそ、ばに──」


 手を取り、握りしめる。

 すると、女性は安心した顔で目蓋を閉じて。

 異形であった時の凶気的な顔つきではなく、花の綻ぶような笑顔で透け始めた。


 その瞬間。


 気がつくと幻は終わっていて、『門塞ぎの百足』は消えていて。

 魔術師の杖と思しいものが、城門の前には寂しく突き刺さっていた。


「ぶっつけ本番の無茶振りだったのに、意外と、うまくこちらの意を汲んでくれたね?」

「──遺品は、同じ場所に埋葬してあげましょう」

「もっちろんだとも!」


 これが、闇祓い。

 アリオンが目指す理想。

 ただ人々を救うだけでなく、闇に呑まれたモノまで光で照らす暖かな道。


 なんて、すごい。


 憧れは止められなかった。

 自分も必ず闇祓いになるんだと誓った。


 師匠からは、それから何度か本物の仕事を通じて、薫陶も授かって。

 だからこそ、



 ◇◆◇◆◇◆◇



(僕は、まずは師匠に言われた通り、この学院で強くならなくちゃいけない──)


 力で捩じ伏せ、短絡的な解決手段を採るのではなく。

 可能な限り、誰もが救われる道を掴み取ろうとするならば。

 甘い理想と鼻で笑われぬように、たしかな実力を以って〝納得〟させる必要がある。


 けれど、けれど──


「……」


 ナースさんに礼を告げ、学院の看護室を後にして廊下を歩むアリオンは、ギュッ、と眉根を寄せて思う。


 腰に差した剣の重さ。

 特徴的な黒鋼のロングソード。


 魔法と魔術を学び、聡明な賢者賢哲を生み出そうという世界最高学府エルダースで。


 注がれる視線。

 四六時中、方々から向けられる数多くの眼。


 気のせいだと分かっていても、アリオンはつい邪推してしまう──


(本当は、もう……)


 バレているんじゃ、ないのか。

 一流の魔法使い、闇祓いを目指すと公言しておきながら。

 アリオンには実のところ……


(──魔力が、無いと)


 ゆえに資格も無いと。

 糾弾され、追放されるのではないかと、アリオンは疑心に駆られざるを得ない。

 故国での一件が、ささやかな人間不信という形で、ひそかに影を落としてしまっているから。

 しかし、しかししかし、


(いいや──だとしても、関係ない)


 アリオンは闇祓いになる。

 魔力が無くとも、他にやりようはある。


 そのためのプレゼントを、もう貰っている。


 ならば、何を引け目に思う必要も無いと。

 アリオンは堂々と、今日も目標に向かい邁進する。

 晴れやかな笑顔で。



「学籍番号37564番、アリオン・アズフィールドくん。調子はどう?」

「はい! 元気です!」



 クラスの朝会。

 担任の指導士チューターからの点呼と体調確認に、勢いよく答えるところから。


 そんなアリオンに、教室の隅では「まただ」「マジかよ」「超人か?」「アズフィールドさん……!」「今日もお美しいッ」と密かに声が出ている事実には、ひとりだけ気が付かないまま。



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