第16話
「ふと思ったんだけどー」
午後の裏路地。
ちょっと物足りない昼食を終えた後で、エリが言った。
「最後にお腹いっぱいになったのって、何年前だっけ?」
「何“年”前!? 単位のケタふたつくらい間違えてませんか?」
「うーん、そうだね……。2年前くらいじゃなかったかな」
「あの……すいません。涙がとまらないんですけど」
「泣かないでアイネちゃん、ほんの冗談だからっ」
「おふたりが言うとまったく冗談に聞こえません!」
平常運行の3人の中に突如として乱入者が現れたのは、その数分後のことだった。
「ハロー、最貧民の諸君! パンがないなら残飯(ざんパン)を食べればいいじゃない? その横でアタシはケーキをいただこうかしらぁ」
「はろ~。ところで夕緋ちゃんは、最後にお腹いっぱいになったのっていつ?」
相変わらずの悪態を受け流しつつ、エリが夕緋に問いかける。
それを受けた彼女は一瞬「は?」みたいな顔になり、
「……っていうか、ここ数年“お腹がすいた”ってことがないんだけど」
ぼそっと一言そう答えた。
その発言に、アイネたち3人は結構ガチで絶句する。
「……へ? なに言ってんの夕緋ちゃん?」
「年単位でお腹すいたことがないって……そんなことが本当にありえるわけ?」
「どういうことなんですか?」
みんなで質問ぜめにすると、夕緋は微妙に戸惑ったような感じで言う。
「そ、そんなにおかしいことかしら? 単純に、小腹が減ってきたらついついなんか食べちゃうから“空腹”ってほどの感覚まで至らないってだけのことなんだけど……。ほら、アタシの中学って私立だから校則がユルめなのよ。だからお菓子の持ち込みが黙認されてて……」
「ふうん、そんなもんなんだぁ……」
「未知の世界すぎて理解できないよ……」
「記憶喪失なのに軽くカルチャーショックです……」
ボソボソ言ってる三人を見下げ、しかし夕緋はなにかを思いついたのだろうか。
意味深な笑顔を浮かべながら口を開いた。
「そ、そうねえ……。明日の昼、もう一度この裏路地に来なさい。哀れなアンタ達に一流食材のフルコースランチをごちそうしてあげるわ」
◆◇◆
「ん~! おいしいっ。夕緋ちゃん最高!」
翌日の昼。
夕緋は本当にお昼をごちそうしてくれた。
自称フルコースの一品目は小さなタッパーに詰め込まれたお肉のサラダだ。
変な味でもするのかと思っていたら普通においしくてびっくりする。
いつものイジワルな夕緋ちゃんはいったいどこにいったのだろう……。
アイネは思い、沙知乃に軽く目配せした。
すると彼女も同意見らしく軽く小首を傾げてみせたが、いつまで疑っていても悪いのでお互いサラダに手を伸ばす。
むぐむぐ。
塩気のきいたサラダ菜にやわらかいお肉がよく合う。
このおいしさには悪意の欠片も見当たらなかった。
やっぱり、今回は普通にごちそうしてくれただけなのだろうか。
変な邪推してごめんなさい……。
と、アイネが思いかけた時、夕緋がおもむろに言葉を発した。
「アハハ、おいしそうでなによりだわ」
「うん、ありがとー」
「……ところで、アンタらが今食べてるそのお肉、いったいなんの肉だかわかるかしら?」
「え、わからないなぁ」
「そうでしょうねえ!」
夕緋が言った。
彼女はいつもの邪悪な笑みを浮かべて続ける。
「実は、そのお肉は食用ネズミの肉なのよッ!」
「へーそうなんだぁ。ネズミっておいしいんだねえ。……もぐもぐ」
「食べられる部分が少ないから、そこらへんの牛やブタより高級らしいよ。……ぱくぱく」
「あうぅ……。以前の私なら速攻で吐き出していた気がしますが、今ではこのくらい完全な許容範囲になってしまっているのが逆に悲しいです……むぐむぐ」
「ッ……!」
予想していた反応と違ったのか、夕緋は唖然とした顔でこちらを見ていた。
あー、もうわかった。
この人の今日の企みがわかってしまった。
さしずめこの後もゲテモノ食材のフルコースが用意されているのだろうが、残念ながらついこの前に味わった究極のジャンクフードに比べればどんな食べ物でも三ツ星クラスだ。
「アンタ達ねえ……。なんでそんな反応薄いのよ! ネズミよネズミ!? 少しは気持ち悪いとか思わないの?」
「え、なんで?」
「ふー。ごちそうさま美味しかったよ」
「まぁ姿焼きなら多少はウッとなるかもしれませんが、元がネズミだってわからないくらいに加工されてますしねえ」
「姿焼き……そ、そうね。ならこれはどうよ!」
言って、夕緋は自身のカバンから二品目のタッパーを取り出した。
「あは、今度はなにかなぁ~」
受け取ったエリがシリコンのフタをぺろっと開ける。
すると、そこに詰まっていたのは茶色い……バッタ?
「わ、なにこれっ! 虫が入ってるよー!」
「ふふん、これはイナゴの佃煮といってねえ、一部の地方では名物にもなっているれっきとした料理なのよ」
さすがに驚いた顔になるエリを見て、夕緋は満足げな笑みを浮かべた。
「さぁ、食べられるもんなら食べてみればぁ? 見た目は少々アレだけど結構美味らしいと聞いて――」
「ん! サクサクしてておいしい」
「そうでしょうねぇ? ……って、うぷ!?」
なんの抵抗もなく虫を口に含むエリを見て、夕緋は青くなって口をふさいだ。
“れっきとした料理”とはいえ姿煮である。つまりイナゴの形がほぼそのままに残っているため、はたから見ればやってること自体は虫食いだ。一応お嬢様の夕緋には見ているだけでもキツくなってくるものがあるらしい。
まったく自分で用意しといてなにやってんだか……。
「沙知乃さん、挑戦してみます?」
「そうだね、せっかくだし」
「では私も……」
さすがに少し躊躇はあったが、エリがあまりにおいしそうに食べるので眼を閉じて一匹食べてみる。
……ウン。良い感じだ。
口に含んだ瞬間に甘辛い風味がほんわりと広がる。
どこか懐かしいサクサクとした歯ざわりもグッドだ。
ひとことで言うなら乾燥エビみたいな感じだろうか。
「地味においしいですね」
「うん、見た目の割にやさしい味がする」
そんなこんなで2品目もあっさりとなくなってしまった。
空っぽになったプラケースを見つめながら、夕緋はなにやらボソボソとつぶやく。
「ぐ、こんなハズじゃ……。まったく、アタシとしたことがこの貧乏人どもの意地汚さを舐めすぎていたわ。ああもう、こうなったら最終兵器を出すしかないようね……。これだけは、できることなら使いたくなかったのだけど……」
彼女はいったいなにと戦ってるんだろう……。
そんなことを思いつつ、アイネは夕緋が持ち出した最終兵器とやらに眼をやった。
バッグの中から出てきたソレは、ポテトサラダにフランスパン、それに加えて異彩を放つ缶詰がひとつ……。
「今度はなにかなぁ、夕緋ちゃ……んッ!?」
なぜだかエリが素っ頓狂な声をあげたのでそちらを見やると、いつの間にやらガスマスク(!)で防備を固めた夕緋がそこにいた。
……もはやツッコむ気にもなれない。
「こ、これってまさか」
ガスマスクの夕緋に変わり、例の缶詰に反応したのは沙知乃だった。
「さっちゃん知ってるの?」
「う、うん……。これはシュールストレミングっていうニシンの塩漬けでね。世界一臭い食べ物ってことで有名なんだよ」
「ああ! それなんか聞いたことがあります! 家の中で開けると臭いが染み付いて住めなくなるとか、屋外でも風下に人がいる時に開封するとあまりの悪臭で訴えられるとか、冗談みたいな噂がいくつもあるんです」
「へ~、そんなスゴイものなんだ……」
「でも、オイシイらしいわよぉ?」
ガスマスクちゃんが横槍を挟む。
そういうことならその重装備にも納得できるが、なんというか、よくやるなぁ。
「おいしいの? じゃあ臭くても大丈夫だね! よーし、開けるよ!」
「ま、待ってくださいエリさん! これは今までのモノとは格が違うんですよ! そんな簡単に手を出さないでっ」
「でも、この機会を逃したら次はいつになるかわからないよ?」
「そ、それは、まぁ……」
チラリと沙知乃に眼をやると、彼女は無言でうなずいた。
身の危険よりも怖いもの見たさの好奇心(と食欲)が勝ったのだろう……。
アイネも覚悟を決めることにした。
「よし、オープン!」
夕緋から手渡された缶切りでギコギコと蓋をこじ開けると、明らかにヤバそうな臭いが漂ってくる。どう考えても食品が出すべきではない悪臭だ。
でも……、
「あれ、案外こんなもんですか?」
「んー? 確かにヒドイ臭いだけど、正直そこまででもなかったね」
「あ! っていうか私、この臭い最近嗅いだことがありますよ。ええと、ゴミ捨て場のスラムに行った時!」
そう。
ようするにこの臭いはゴミが腐った悪臭に近いのだ。
例のスラムのゴミ山は、街中から集められた大量のゴミがそのまんま廃棄されている。
つまり、生ゴミから医薬品まであらゆるものが日光で焼かれて腐敗するので、それはもうとんでもない臭いができあがっていた。
無論、街中に点在する小さなゴミ捨て場でもそのミニバージョンの臭いは味わえるわけで……。
結論。
悪臭は慣れる。
「さて、味のほうはどうなのかな」
臭いのほうは言うほどでもないことが判明したのでお次は味だ。
沙知乃が先人をきってポテトサラダをパンにのせ、その上にシュールストレミングの本体を盛り付ける。
そして恐る恐る口元に近づけ、
「あむっ。んッ……! けほっ!」
ひと噛みしたかと思ったら、瞬間、一気にむせ返った。
が、その後はさすがと言うべきか、気合いでもぐもぐしてゴクッと飲み込む。
その両目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ど、どんな味がしたんです?」
「ふう……。とにかく塩っ辛いよ、びっくりするくらい……」
「じゃあ不味いわけじゃないんですか?」
「不味いわけじゃないね。そういうものだと思って食べれば普通においしいんじゃないかな」
「なるほど……」
沙知乃のアドバイスを聞いたアイネは、同様にフランスパンにポテサラを盛り、例のブツをちょびっとだけ切り取ってトッピングする。
味が濃いなら量を少なくすればおいしいはずだ。
「はむっ……。あ、意外とイケますね」
ゴミの臭いがするわりに味は案外、良心的。
確かにやたらと塩気が強いが、沙知乃の言うとおり“そういうもの”と思えば悪くは……ないのかもしれない。
すすんで食べたいと思うかどうかは別として。
「おー、これは確かに……。辛いけどポテサラが進むよ……!」
エリもいつのまにか食べたらしく、後追いでサラダをパクパクかき込む。
「大人の味……というより上級者、いや超級者向けなのは確定ですが、うん……。続けて食べるとなんだかクセになりそうな気がします」
「これぞ珍味ってやつだね」
「あ、フランスパンもおいしい!」
なんだかんだでワイワイ言いながら食していると、ガスマスクの夕緋がジト眼でこちらを眺めて言った。
微妙に物欲しそうな顔にも見える。
「大人の味……珍味……。ねぇ、アンタ達、それってホントにその程度なわけ?」
「いえ……あくまで『前評判のわりには』ってだけで、強烈なことには変わりはないですよ。夕緋さんはやめといたほうがいいかと思います」
「……な、なによそれ、バカにしてるの?」
「そういうわけでは……」
「あーもう、うるさい! アタシにも一切れよこしなさい」
意地になったらしい夕緋がマスクを外すと、無邪気なエリがパンと一緒に“ソレ(シュールストレミング)”を夕緋の口元に差し出す。
「はい、ど~ぞ!」
「どれどれ……っむ、ぐはッ!?」
アイネが「あ……」と思った時にはもう遅く、悪魔の激臭を鼻先で嗅がされた夕緋はその場で卒倒してしまう。
「わぁ! だ、大丈夫?」
「ううぅ……」
ぐったりと寝そべる彼女を見つつ、アイネは思った。
たぶん、これが普通の反応なんだろう。
アイネたちがニブイだけで、世界一の称号は伊達じゃなかった。
そう。
何度も嗅いでいれば悪臭は慣れる。
慣れるのだが、慣れすぎてしまうのもそれはそれでどうなのか……と。
刹那に考え曖昧な苦笑いを浮かべるアイネだった。
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