第14話

「ねぇ見て見て~!」


 ある日の昼下がり。

 適当な路地裏でくつろいでいると、どこかに行っていたエリが満面の笑みで帰ってきた。


「どうしたんですか?」

「それがね! ゴミ箱の中からこんなの見つけちゃったんだよー」


 自慢げに差し出されたその右手には、きらりと輝く小さな指輪が握られている。

 銀色のリングに、透明感のある赤い石がはめ込まれた一品だ。


「わぁ、綺麗ですね!」


 アイネは言った。

 一見するとルビーだが、そんなものがゴミ箱の中にあるはずもない。はめ込まれた赤い石はせいぜいが色のついたガラス玉だろう。

 だがそれでもリングの部分は金属製だし、駄菓子のオマケについてくるようなオモチャの指輪あたりと比べると重厚感があるのも事実だった。

 新品で買ったらカップ麺三十個分くらい値段はしそうだ。

 雑誌を読んでいた沙知乃も興味ありげにチラチラこちらを伺っている。


「どう? 似合うかな?」


 嬉しそうに指輪をはめようとするエリだったが、その時、物陰から何者かが姿を現した。


「ハロゥ貧乏人の諸君! 今日はアンタ達にとっても良いものを見せてあげるぅ。じゃーん!」


 テンション高めに登場した彼女……夕緋ちゃんは、こちらのペースなどお構いなしにエリ達の鼻先へ右手をすぅっと突き出してくる。

 何事かと思ったアイネだったが、そこで軽くびっくりした。


 銀のリングに、赤い宝石。

 なんと夕緋の右手には、エリの指輪とよく似た指輪がはまっていたのだ。

 

「どう? 美しいでしょう? 今日、お姉さまから譲り受けた本物のルビーなのよ」

「へー、そうなんだ。あたしとおんなじだね!」


 エリが自らの指輪を夕緋に見せると、夕緋は一瞬ムッとしたような表情を浮かべる。

 しかしそれからすぐにニヤリと口元を緩めた。


「はぁ~? アンタのはただのガラス玉でしょ?」

「でも同じくらい綺麗だよ?」

「それはアンタらの眼が節穴だからよ。ハァ、この輝きの違いがわからないなんて本当に可哀想……。まぁ、アンタにはそのガラクタのほうがお似合いなのかもしれないけどぉ?」

「んむ……」

「あら、気を悪くしたならごめんなさいねえ。でもありがたく思いなさい、本物のルビーをこんなに近くで見せてあげているんだから。あ、見るのはいいけど触らないでよ、汚れちゃうから」


 いつもの調子で悪態をつきつつ、エリの眼前にルビーをチラつかせる夕緋ちゃん。

 エリは珍しくむっとしたのか、ただ黙って夕緋の指先を見つめている。


「ほぉら、きらびやかでしょう~?」


 その様子を見て調子に乗ったっぽい夕緋ちゃんは、何を思ったかルビーをはめた指でエリのほっぺたをつんつんした。

 しかしその時、その瞬間、


「ッ!」


 あむっ……と。

 眼の前にチラついていたその指先に、エリがパクリとくいついたのだ。


「ひゃ、ひゃあんッ!」


 夕緋は素っ頓狂な悲鳴をあげて、パッチィーン!とエリを平手打ちする。

 すると、エリもエリで、


「あふぁっ」


 と間の抜けた悲鳴を漏らすと汚い地面にべったり倒れた。

 しかし問題はここからだった。

 なんと、指輪が転がったのだ。

 それも2つ。

 エリの持っていたガラス玉と、夕緋のはめていた本物のルビー。これらが一連の衝撃ですっぽぬけ、コンクリの地面でかち合ってしまった。

 つまり、パッと見そっくりな指輪が2つあるという状況なわけで……。


 ――あれ?

 これって、エリはもちろん夕緋が見てもどっちがどっちか簡単にはわからなくない?

 無論、手にとってじっくり見比べればさすがに見分けはつくだろう。

 が、宝石本体のみを見て判断しろと言われたら……?


「あー! なんてことするのよ馬鹿ッ!」


 叫び、夕緋は指輪に手を伸ばす。

 が、ここでアイネが鋭い一声を放った。


「待ってください夕緋さんっ!」

「な、なによ」


 夕緋が気圧された隙を狙って、アイネは2つの指輪を手にする。

 それからリングの部分を隠し、宝石の部分だけを見せつつ言った。


「さて、どちらが夕緋さんの指輪でしょうか?」

「はぁ? そんなもの見ればすぐに――」


 2つの指輪に手を伸ばす夕緋だったが、しかしアイネはそれを遮り、


「ダメです。宝石の部分だけを見て決めてください」

「はぁ? な、なんでよ!」

「……え? なんでって、さっき自分で言ってたじゃないですか? “この輝きの違いがわからないなんて可哀想”とか“違いがわからないのはエリさんの眼が節穴だから”とか……」

「だ、だから?」

「つまり、夕緋さんならわかるはずなんですよねぇ? 宝石の部分だけを見ればすぐにでも。ルビーか、ガラス玉かなんて簡単に……」


 アイネはゆっくりと静かに言った。

 すると、夕緋の顔がみるみるうちに青ざめていく。

 そんな様子を見ていた沙知乃が「悪魔だなぁ……」みたいなことをボソッと呟いた。


「それで、どうなんですか?」

「わ、わわわかるけど!? けど、なんでアタシがそんなことしなきゃいけないわけ!?」

「ああ、逃げるんですね? まぁ別にいいですけど。偉そうな事言ってる割にその程度なんだぁってみんなに思われるだけですし」

「……う、ふざけないでよッ! 誰がアンタら最底辺相手に逃げ出すもんですか!」


 叫び、夕緋はアイネの持つ2つの指輪を凝視した。

 その額には球状の汗が浮かんでいる。

 エリを馬鹿にした仕返しのつもりだったが、例によってだんだん可愛そうになってきた。


「こ、こっちで……」


 数分唸って考えた後、夕緋は弱々しい声音で右の指輪を選んだ。

 実を言うとアイネにもどっちが本物かなんてわかっていないが、こっちサイドとしてはどちらを持っていかれたとしても問題ない。

 アイネは「そうですか」とだけ答えてあっさりと右の指輪を差し出した。


 夕緋はそれを受け取ると、何か言いたげにアイネを見つめる。

 その表情は複雑で、焦っているようにも怒っているようにも、はたまた泣き出す一歩手前のようにも見えた。


「どうしたんですか?」

「なんでもないわよッ……!」


 立ち上がり、夕緋はサッと踵を返した。

 しかしその動きはぎこちなく、数歩あるいては立ち止まってチラチラとこちらを伺ってくる。それを繰り返しながら進むものだから、いつまでたっても表通りにたどり着けない。

 未練がましいというかなんというか、やはり自分の判断に確信が持てていないのだろう。

 しかもだんだん泣きそうになってるし……。


 まぁ、もう少し様子を見てみるか。

 そう思って手元に残った指輪に視線を落とすと、パッと伸びてきたエリの手がその貴金属を掴み取った。

 そしてちょこちょことアイネの元へ歩み寄り、彼女の右手にもうひとつの指輪を握らせる。

 それからふんわりと笑って言う。


「あは、心配なんでしょ? 大丈夫だって~! ほら、両方とも持っていきなよ」


 ああエリさん。

 どんだけ天使なんですか貴方。


「な……なんでよ、アンタ、どうせまたアタシのこと馬鹿にして……」

「ほらほら、泣かないの!」

「ぐす……、な、泣いてないしぃ……」


 メソメソする夕緋の背中を軽く叩いて、エリは赤い指輪を空に掲げた。

 2つの指輪は陽の光を受けて美麗に輝き、じめ……っとした裏路地にほんの少しだけ華を添える。


 綺麗だなぁ。

 ガラス玉も。本物のルビーも。どちらも綺麗。

 本当はそこに差なんて何もないんじゃないか……。


 と、アイネはひとりそんなことを思った。

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