第13話

「今日もいい天気ですねぇ」

「そうだね~」


 暖かな陽の光に照らされながら、エリとアイネはのほほんと言った。


 ああ、なんて平和なのだろう。

 不思議なくらいに平和。

 不気味なくらいに平和。

 

 将来どころか明日の食事の保証もないのにこのまったり感はなんなのか。

 それは確かに良いことなんだとは思うけど。

 でも……と、アイネは頭のどこかで考える。


 なにか違うのだ。

 どうにもしっくりこないと言うか、こうもだらだらと日々を過ごしていると“足りない”気分になってしまう。


 そう。

 例えるなら牛丼にかける七味のような、

 ラーメンにかける化学調味料のような、

 背徳的旨味成分とでもいうべき刺激……。


「ん? どうかしたのアイネくん」


 アイネの微妙な表情を察したのか、沙知乃が小首を傾げてこちらを見やった。


「ええ、なんというんでしょうか。この平穏にどこか違和感をおぼえてしまう自分がいるんですよ」

「平穏……なのかなぁ」


 沙知乃がぼやいた。

 確かにこの路上生活、平穏とは少し……いやまったくかけ離れているものの、そういうことじゃないのである。


「うーん、もしかしたら、そろそろ記憶を取り戻さないといけないと思って焦ってるとか?」

「……あぁ、確かに」


 アイネは妙に納得した。

 記憶にはないが、本能的な部分でわかっていることがひとつある。

 それは、自分には生き別れた家族がいるということなのだ。

 彼らはきっと今もどこかで自分を心配しているのだろう。

 だからこそ、いつまでも路上にはいられない。

 記憶を取り戻して元いた場所に帰らなくては……。


「ふ~ん。なんだかよくわからないけど、だったら今日はいつもと違う場所に行ってみよっか。その“物足りない”っていう感覚の正体がわかれば、過去のアイネちゃんと繋がるポイントを見っけられるかもしれないしね!」


 言うと同時、エリは南の方向を指差した。



        ◆◇◆



 その後、アイネがやってきたのは貧民たちの集落だった。

 廃品やビニール、錆びついたトタンを中心に建築されたボロ小屋が、巨大なゴミ捨て場を取り囲むように所狭しと立ち並んでいる。

 地理的には首都の内部にあるので「ごちゃごちゃとしたボロ屋街の100メートル後ろにはスタイリッシュな高層ビル郡がちらほらと……」なんていう光景も見れてしまうスゴイ地域だ。


 いわゆるスラム街というやつではあるも、映画なんかでよくあるような『アウトローな人々が行き交う殺伐とした危険地帯』というよりは、『貧乏な人々が寄り添ってできたちょっと大きな集まり』という感じなので、それほどアブナイ感じはしない。

 と、いうか、アイネと同年代の子供たちも普通に遊んでいたりするので雰囲気はむしろ和やかだ。

 しかし……、


「あ、悪臭がぁ……。思うんですけど、スラムの人たちってなんでわざわざこんな所に住んでるんですか? よりにもよってゴミ山のふもとって……」

「あは、それは反対だよ」

「へ?」

「普通の場所……例えば公園なんかに小屋を作ったら文句言われて追い出されるじゃん? だから、みんなが嫌がって寄り付かなさそうなところをあえて狙うんだよね」

「な、なるほどー」


 ちゃんとした理由があるんだなぁ。

 なんてことを思いながらゴミゴミした小道を歩いていると、確かに色々なものが眼に入る。

 鉄くずの換金所にはじまり、服を洗っている女の子(金ダライと洗濯板が現役!)、怪しげな香りのただよう料理の屋台があるかと思えば、野ざらし状態で稼働しているカラオケセットなんてものまで。

 うーん、様々だ。

 様々なのだけれど、これといってピンとくるものがないのもまた事実だった。


「ねーねー、せっかくだし歌っていこうよ~」

「そうですねえ……」


 カラオケのマイクに吸い寄せられそうなエリを横目に、アイネは生返事しつつ歩みを進める。

 すると、


「あ、あれは……」


 彼女の視線が道端の一角を鋭く捉えた。

 そこにはちょっとした人だかりができていて、なにやらみんな小道具を使ったゲームに興じている様子だった。

 近づいてよく見てみると、トランプ、サイコロ、コインにカップ……?


 つまり、要するに、それすなわちギャンブルだ。


「おおお~! なにか、なにかが蘇ってきそうな気がしますよ~!」

「ああ、賭け事かぁ。あたしこれ勝てたことないだよね。途中までは調子よくても結局最後はスッちゃうんだよ。沙知乃はどう?」

「やったことないな。向いてないと思うし……」


 “ギャンブル”とか“賭け事”というと大袈裟だが、所詮は素人同士のとりあい。

 本質はあくまでお遊びなのだろう。

 が、リアルマネーをかけるとなればやっぱりガチになるもので、ゲームに興じる人々の顔は皆それなりに真剣に見えた。


「よーし、やりますよ!」

「え~、でもお金あんまりないよ? もし負けたら今夜のご飯は良くて残飯――」

「大・丈・夫です! 10倍にして帰ってきますからッ!」

「え、あ、う……うん」


 引き気味なエリからなけなしのお金を受け取ると、アイネは人だかりの中に飛び込んでいった。



 ――2時間後。

 結論から言えばアイネは好調だった。

 大勝ちとまではいかないが、現在の持ち金はエリから手渡されたぶんの約3倍……。

 持ち前のセンスと天運で、チンチロやポーカーなど多様なゲームに手を出してはなかなかの戦績をあげている。


「ねぇアイネくん、こういうのって絶対この辺でやめといたほうがいいやつだよ。せっかく勝ってるんだからさ」

「あたしもそう思う! だってこれだけあれば今夜は、えーっと、なにが食べられるかなぁ~?」


 エリと沙知乃が後ろから茶々を入れるも、テンションの上がっているアイネは意に介さない。


「なに言ってんですかッ! だからおふたりは駄目なんですよ! せっかく流れが良いんだから、ここは迷わず進むべきでしょ!」

「え、でもぉ。負けたらせっかくの儲け分が、」

「負けることを考えるから負けるんです! 今は勝つ流れなんだから勝ちますって!」

「アイネちゃん! さっきから言ってるその“流れ”ってなんなの!?」

「運命の潮流、あるいはツキのご機嫌、とでもいいましょうか。とにかく大切なものです」

「意味がわからないよ~」


 3人がモメていると、いかにも場馴れしていそうなディーラーのお姉さんが苦笑いしながら聞いてきた。


「で、結局どーするのよ? やるの? やらないの?」


 扱っているギャンブルは、『お姉さんが投げたコインを彼女自身がキャッチして、どちらの手にコインが入っているかをプレイヤーが当てる』というシンプルなものなのだが、そのキャッチの時に両腕をバッ!とクロスするのが実に手慣れていてカッコイイ。

 もちろん、普通に眼で追っていてもどちらの手でコインを掴んだかなんてわからないから、単純に勝率50%のギャンブルとなる。

 アイネの勝ち数もそれを体現するかのように、3勝3敗とイーブンだ。


「当然、やりますッ!」


 叫んで、アイネは全財産を目の前に置いた。

 必然と言うべきか、後ろのふたりも騒ぎはじめる。


「え、ええ~! そこはせめて儲けたぶんだけにしてよぉ! 負けたら所持金ゼロなんだよー!?」

「はぁ? 勝ったら2倍になるんですが?」

「わあんっ。なんか眼がみょーにキラキラしてて怖いんだけどぉ!」

「あ、アイネくん! やめて、ちょっと冷静になって!」

「やめません! 破綻あってこそのギャンブル……! このドキドキ感こそが至高なんですから! さあ勝負ですよ、お姉さん!」


 バックのふたりを振り切って、アイネは高らかに宣言した。


「なかなか見どころがあるじゃないか。じゃ、行くよ」


 言うと同時、お姉さんはピーンとコインを天にはじき、

 バッ!

 両手をクロスさせ落下するコインをどちらかの手に握り込む。


「さ、さっちゃん、見えた? コインはどっちにあるの!」

「うう、無理だよ……。外さないでねアイネくん……」


 やたらオロオロとしているふたりを尻目に、アイネはあまりにもあっさりと……お姉さんの右手首をつかんだ。


「こっちです!」

「へえ、即決とはずいぶんと潔いな」


 ニヤリと笑ったお姉さんが右手を開こうとしたその刹那、


「こっちが“カラ”です」


 アイネは一言そう付け加えた。

 瞬間、お姉さんの表情が僅かに曇る。


「おいおい、これはコインが入ってるほうを当てるゲームだぞ」

「……え? だったら入ってない方を当てても同じことじゃないですか」

「なに言ってんだよ、駄目に決まってるだろ」

「どうしてです?」

「そう決まってるからだよ!」

「だから、なんでですか?」


 言って、アイネは周囲を見回す。

 すると、近くで見ていた見物人の面々も似たようなことを呟きはじめた。


「確かになんでだ?」

「うん。そこはそんなにこだわる所でもないよな」

「そ、そうですよね? 皆さんもそう思いますよね……? お姉さん、まさか、カラのほうを当てられると都合の悪いことでも……あるんですか?」

「ッ……」


 お姉さんは一瞬キッとした表情になるも、すぐに「はぁ~」っとため息をついて、


 「わかったよ……」

 

 と、諦めたように吐き捨てた。

 これが本日のラストバトル、その勝敗が決した瞬間だった。



        ◆◇◆



「ふい~、それにしても焦ったよぉ! 最後のアレ、本当に勝てるなんて思ってなかったからさ~。まぁ50%なんだろうけど、アイネちゃん、今日は本当にツイてるんだね」


 遊び終えての帰り道、ほくほく顔のエリが言った。

 しかしアイネはゆっくりと首を横に振って答える。


「それは少し違いますねえ、エリさん」

「ん?」

「彼女はズルしてたんですよ。決まってるでしょ」

「……え? えええ~! どういうことなの? ズル?」

「つまり最後の勝負の時、お姉さんのどちらの手にもコインはなかったってことなんです。あれだけ手慣れてたんだから、それくらいのテクニックはあって当然ですよ。だから、普通にやってたら100%負けてました。逆に言えば、彼女がズルするって事がわかっていれば……さっきの方法で100%勝てます。そういう戦いだったんです」

「……!」


 ぽかんと口を開けているエリと沙知乃を一瞥し、アイネは続ける。

 自分でも驚くほどスラスラと言葉が流れ出てきた。


「こういう“ズル”っていうのは、まずバレないことが大切ですからねえ。お姉さんだってここぞという時にしか使わないんですよ。毎回やってたら当然バレますから。だから、あの時はあえて全財産を賭けたってわけです。お姉さんの“ズル”を誘い出すためにね」

「うぅん……。で、でもさ、なんでお姉さんがズルするような人だってことがわかったの? そもそも正直な人だったら今の話って全部ダメってことになるじゃん」

「それは……そうですね、どうしてでしょう?」


 アイネはポツリと呟いた。

 なんだろうこの感じ。

 自分でもよくわからない。

 記憶にはないけど、身体に刻み込まれているような感覚だ。


「眼を見ればわかるというか、雰囲気でわかるというか……。まぁ要するに、私のカンってやつですね!」

「なんのかんの言っても、結局最後はそこに落ち着くんだね……」

「ええ、だから言ったじゃないですか。失うかもしれないし得るかもしれない、破滅あってこその賭け事だって。そのドキドキ感こそが至高なんだって。……フフ、 なんだか今日は少しだけ過去の自分を感じることができた気もしますし、またやりたいですねえ。ギャンブル……。今度はお遊びじゃ終わらせませんよぉ、流血沙汰になる程度までエキサイトしたら……うふふ」


 アイネはうっとりしたような笑顔を浮かべたが、そんな彼女を見たエリと沙知乃は互いに顔を見合わせた。

 それから声を合わせて言った。


「もうぜったいダメっ!」

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