第12話

 ある日の夜、アイネと沙知乃は狭苦しい路地裏でエリの帰りを待っていた。

 今日はいつもより多めにお金が手に入ったので、代表してエリが買い出しに行っているのだ。


「今更ですけど、エリさんひとりに託してよかったんですかね……。なんか不安です」


 アイネがぽつりと呟いた。


 数分前に、「あたしにまかせて!」とかなんとか言って慌ただしく路地裏を飛び出していったエリだったのだが、いったいなにを買うつもりなんだろ。


「エリは気まぐれだからなぁ。ちなみに、アイネくんはどんなものを食べたかったの?」

「えと、私は――」


 言いかけた時、「ただいまー」と、せわしなくエリが戻ってきた。

 その手には豪華版のカップラーメンがひとつだけ抱えられている。

 既にお湯が入っているのか、フタの隙間から白い蒸気がもわもわしていた。


「いやー、ギリギリ買えたよぉ。これ前から食べたかったんだよね~」

「……なに考えてんですかエリさーんっ!」


 のんきなことを言い出すエリに、アイネは思わず大声をだした。

 沙知乃は苦笑いを浮かべ、エリはきょとん顔でこちらを見ている。


「どしたのアイネちゃん」

「色々とザツすぎますっ! いったいどういう頭の使い方をしたらこの結論に至るんですか!? しかも『ギリギリ買えた』ってことはもう残金ゼロってことなんですよね? ついでに言えばそのへんのコンビニで買ったでしょこれ! 数分で戻ってこれるってことはっ」

「そうだけど? ああ、フォークはちゃんと3人ぶんあるから大丈夫だよ!」

「そういうことじゃないですよぉ……」


 要領を得ないエリにアイネは涙ながらに言った。


「エリさん……。私達、ただでさえお金ないのにどうしてこんな無駄使いしちゃうんですか?」

「え?」

「私だったらですねー、おいしさ、栄養、腹持ち、この3つの要素を考慮して、一番コスパの良さそうな食べ物を業務スーパーとかで買ってきますよ。それが合理的な選択ってものじゃありません?」


 アイネの言葉に、しかしエリは考える素振りすら見せず即答した。



「ん~。アイネちゃんの言うこともわけるけどー、そんな風にセコセコやっても面白くないじゃん」



「ッ……!」

「お金がある時くらい、思いきって普段食べられないようなものを食べようよ」


 その言葉に、アイネは軽く衝撃を受けた。

 鋭い槍でぷすっと刺されたかなのような感覚だ。


「た、確かに、それも一理あるかもしれないですね……」


 アイネは思った。

 合理でなく感情。

 平均でなく一点特化。


 まとまったお金があったとしても、もやしだの食パンだので数日分の食事を水増しするより、一日だけでも高価なカップ麺を食べちゃおう……。


 的な、そういう考え。


 もちろんこれが完全な正解とは思わない。

 でも、どちらが楽しいかと問われれば――。


「あ、そろそろいいかな?」


 唐突に、エリが言った。

 3分経ったのだろうか。


 アスファルトの地面に置かれたカップ麺。そのフタをペリッとはがすと、香ばしいかおりが路地裏いっぱいに広がった。

 透明なスープにつやつやした麺が浸っていて、結構大きなチャーシューもちょうど3枚浮かんでいる。

 鼻歌交じりに後入れ調味料が投入されると、それはもう完璧においしそうなラーメンになった。カップ麺と言えどさすがに一級品は違う。


 手のひら返してアイネはごくっと喉を鳴らした。


「で、では公正に三等分に――」

「も~、アイネちゃんてば細かいなあ。そーゆーのいいから早く食べよう、麺が伸びちゃうよ!」


 ほいっ、とフォークを渡されて、多少困惑するアイネ。

 しかしながら他のふたりはもう食べ始めちゃっているので、ちょっと慌てて手を伸ばす。

 ひとつのカップ麺を3人で仲良くつつくのは、少し奇妙な感覚だった。


 ずるずる。


 うん。

 おいしい。

 腰のあるノンフライ麺にこってりしたスープが絡み合い、力強くも繊細な旋律が口の中でふわりと広がる。

 この生活はじまって以来の味わいだった。


 ああ……おいしすぎて泣きそう。


「おいしいです……」

「そうだねー。……って、アイネちゃん?」


 涙を見られてしまったのか、エリが心配そうな声をあげた。


「いえ、大丈夫です……。とても良い味で感動してるだけですから」

「え、そこまで!?」


 エリは軽く驚いて、しかしすぐにニコッと笑った。


「だったらもっと食べなよ。はい、あーん」


 で、なにを思ったのか自分のフォークで麺を引き上げアイネの口に近づけてくる。


 あーん。

 ぱくっ。

 ずるずる。

 もぐもぐ。


「おいしいです~」

「あは、よかったね。また食べられるようにがんばろーね!」


 エリの言葉にアイネはこくりとうなずいた。


 ああ、なんだろうこの気持ち。

 お高めのカップ麺ひとつでここまで幸せになれるなんて、嬉しいような悲しいような……。


 微妙に複雑な気持ちになりながら黄色い麺をちゅるちゅる啜(すす)る。


 お腹いっぱいとは言えないけれど、今夜はぐっすり眠れそうだった。



◆08 クリスマスの思い出



「そろそろクリスマスだねー」


 夜の歩道をぶらつきながら、先頭を歩くエリが言った。


 夜とは言っても都会の中心部であることに変わりはないので、この時間でも結構明るく賑やかだ。

 車の流れも早いし、この時期特有のイルミネーションがあちらこちらに飾られている。

 街はクリスマス一色という感じだった。


「そうですねー」


 アイネは普通に相槌をうち、隣を歩く沙知乃を見やる。

 彼女は今日集めたビンやら缶やらの廃品(引き取ってくれる場所に持って行くと小銭がもらえる)が詰まったゴミ袋をサンタっぽい感じで担いでいた。

 が、そのネタを掘り下げるのはあまりに虚しい気がしたのでアイネは別口の話題を探した。


「そういえば、この国って一年中暑いのになんでサンタは冬服バージョンのままなんでしょうか?」

「ああ、言われてみると確かに変だね。どっかの南国ではサンタと言えば海水パンツ姿がお馴染みの所もあるみたいだから、要はオリジナルを尊重してるんじゃないかな。ローカライズの才能不足とも言えるけど」

「おおー、さすがさっちゃん博識ぃ」

「古新聞古雑誌の知識ですか? 暇になるといつも読んでますもんねー、小学校すら中退の最底辺なのにすごいですよ。あれ、扱い的には一応休学とか不登校なんでしたっけ。一応義務教育ですし」

「……アイネくん。キミからたまに夕緋くんの面影を感じることがあるんだけど、気のせいってことで流していいかな?」

「へ?」


 あ、これまたやっちゃったパターンかな。

 自覚なく人を傷つけてるパターンかな、と青くなりかけたアイネだったが、絶妙なタイミングでエリが横槍を入れてきた。


「それはそうとさー、小学校って最初はみんな行くじゃん? あたしも入学はしたし……。でも卒業する人って結局何パーぐらいいるの? 微妙に気になってたんだよね」

「8割くらいじゃなかった?」

「あ、そんなもんなのかー。ならあたし達もわりと普通だね」

「下位20パーセントは決して普通ではないと思いますけどね……」


 と、いうか小学校も卒業しないと最終学歴ってどうなるんだろ。

 小卒の前だから……幼卒?


「もー、どうしたのアイネちゃん? さっきからなんか暗いよ、嫌なことでも思い出しちゃったの?」

「そういうわけではないんですが、なんと言ったらいいんでしょう。華やかムードの街中をゴミなんか背負って歩いていると、わりと本気で悲しくなってくる瞬間があるんですよ……」

「あー」


 沙知乃は首を縦に振り「はいはい、それね」みたいな感じで肯定っぽい意を表してくれる。

 反面、エリはふわふわしたはてなマークを頭上に浮かべて独特な答えを返してきた。


「ふぅん……。かわいそうに、ホームシックなのかな?」

「んなわけ……、いえ、案外そんなものかもしれないです」


 アイネは妙に納得して答えた。

 帰るべき場所もわからないのにホームシックとはおかしな話ではあるのだが、心の深くに刻まれている“曖昧な記憶”のせいでわかるのだ。

 自分は以前……ほんの少しだけ前までは、豊かなクリスマスを楽しむ側の人間だったと。


 ああ、昨年の今頃、自分はなにをしていただろう。

 25日のプレゼントを楽しみにしながら、お父さんお母さんと一緒に七面鳥でも食べていたのか。

 そしてある意味恐ろしいことに、それはたぶん、事実なのだ。


「せっくだし、なんか明るい話しようよー」

「明るい話……。テーマは?」

「クリスマスの思い出、とかどう?」

「やめましょう! 暗くなるのが目に見えてますよそれ! 私達の元にサンタさんは来ない系のエピソードとか聞きたくないんですって!」

「……? よくわかんないけどアイネちゃん流石にネガティブすぎ! クリスマスになんかトラウマでもあるの? 年に一度の大イベントなんだから雰囲気だけでも楽しまなきゃ損だよ!」

「わ、私はですね~。街の人々がきらびやかなイベントを楽しんでいる最中(さなか)に、自分は最底辺を這いつくばってなきゃならないという、このどーしようもないギャップに耐えられないんですよぉ……」

「……それ、今度夕緋くんに会ったら聞かせてあげなよ。きっと喜ぶと思うよ。彼女」


 沙知乃がどこか虚無的な笑みを浮かべて言った。


「えぅ……。逆に聞きますけど、エリさんはサンタも来ないクリスマスのどこがそんなに好きなんですか?」

「えー? どこって、そんなのいくらでもあるじゃん。

 イルミネーションはキレイだし、

 ゴミがたくさん出るから換金品も手に入れやすくなるし、

 みんな浮かれてるから物乞いもイージーモードになるでしょ……そうそう! 当日とイブならてきとーにクリスマスソングでも歌っとけばいつもの倍くらい貰えちゃうんだよ!

 ほら、いいことばっかり!!」

「ああ、せっかくだから便乗しとくと、去年はプレゼントももらえたんだよね。なんか海外の人がボラティアに来てたみたいで、わたし達みたいなのに服とか食べもの配ってたよ」

「ッ……!」


 エリと沙知乃の言葉を聞いて、アイネはゆっくりと瞳を閉じた。

 数秒じっくりと考える。

 それからぱっと開眼して言う。


「クリスマスって最高のイベントですね!」



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