第10話

 雨ふりの日。

 アイネ達はコンクリートの橋の下で雨宿りをしていた。

 沙知乃がふやけた女性誌(そこらへんに捨て置かれていた)を読んでいるので、エリはなんとなく暇そうだ。

 だからだろうか、アイネを見やって口火を切った。


「ねぇねぇアイネちゃん」

「なんですか?」

「ちょっと傷つくかもしれない事言っていい?」

「へ? ……ど、どうぞ」


 アイネはちょっと心配になりながら答えた。

 するとエリはチラリと足元に目をやって、それから言った。


「足がくさいっ」

「……え? ええ~!」


 予想斜め上からの指摘だった。

 くだらないと言えばくだらないが、絶妙なところをつつかれてわりと本気で落ち込んでしまう。

 そんな中、追い打ちをかけるかのように雑誌から顔を上げた沙知乃が呟いた。


「そうそれ、わたしも言おうとしてた」

「え……」

「あ、さっちゃんも思ってたの?」

「うん」

「あぅ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……。まさか自分の身体が原因でお二人に不快な思いをさせていたなんて考えてもみませんでしたぁ」

「いや、アイネくん自体は悪くないと思うんだ」

「そうだよ、原因はこれっ」


 エリがびしっと指をさす。

 その先にあるのはアイネの足元……つまりこの件の元凶だ。


「素足に直接革靴なんて履いてたら、誰だってこうなるって!」

「……ッ!」


 指摘されてはじめて気がつく。

 そうだ。

 今の自分は素足に革靴という出で立ちだった。

 思い返せば記憶喪失になってからずーっと履きっぱなしだったわけで。


 いくら自分の匂いとは言え指摘されるまで気がつかないというのもかなりアレだが、それよりも……。


「記憶を失う前の私はいったい何を考えていたんでしょうか?」

「ん~。尋常じゃなく急いでたとか? それこそ靴下はく時間もないくらい」

「だとしたら、いったいどういう状況だったのでしょうね……。なんか怖いです」


 アイネはとりあえず革靴を脱いで素足になった。

 今まで蒸れ蒸れだったぶんだけ一気に爽快感が広がる。気持ちいい。

 束縛から開放された生足をプラプラさせつつ雨の音を聞いていると、エリがまたもや衝撃の一言を放つ。


「そーいえば、あたし“ちゃんとした靴”って履いたことないなぁ。さっちゃんもでしょ?」

「……? まぁそうかも」

「え、どういうことですかっ?」


 思わず叫んで、アイネは二人の足元を見る。


 ビーチサンダルのエリと、

 素足の沙知乃。


 大袈裟に驚いたアイネだったが、瞬時に「あ、そうか」と納得した。というより思い出した。


 この国には四季というものが存在せず、常に暑い。

 つまり、安全面や歩きやすさなどを度外視すれば、一年通してビーチサンダルでもさほど困ることがないのだ。

 スニーカーや革靴より圧倒的に安く買えるという事もあり、貧民たちの履き物と言えばそれ一択と言っても過言ではない。

 もっとも、それすら手に入れることができずに素足のままで道路を歩く少年少女も多いのだが……、


「それはちょっと恥ずかしいです……」


 第一、危ないし。

 石とかガラスとか踏んだら痛そうだし。

 かといってジトジトした皮靴に戻るというのも気がすすまない話だった。


 どうするべきかと考えていると、エリが自分のサンダルを差し出してきた。


「新しいのを手に入れるまで、これ使いなよ」

「え? でもそれじゃエリさんが……」

「いやぁ、あたしは慣れてるから大丈夫だって。ね、沙知乃?」

「ん? ウン」


 雑誌に眼を落としたまま沙知乃は適当に生返事する。


 ともかく、アイネの心の中を読んだかのようなエリの好意に、彼女は軽く感涙した。

 はじめて会った時からわかっていたが、エリさん、なんて優しい人なんだ。


「ありがとうございます……」


 すり減ったサンダルをぎゅっと抱きしめアイネは言った。


「あは、そんな大袈裟にされたら逆にどーしていいかわからないよぉ」

「そ、そうですよね。ごめんなさい」


 さっそく履いてみると、なんだか妙にしっくりとくる。

 足の大きさが同じくらいなのだろう。

 と、いうことは、逆もしかりというわけで。


「エリさん。試しにちょこっと私の皮靴試してみます?」

「え? えと……。 ん~、それはいいや」


 小さめの声でごにょごにょ言って、すーっと視線をそらすエリ。

 彼女にしては珍しいことだ。

 それはつまり、件の皮靴がよっぽど“アレ”だと言うことを間接的に表わしてもいた。


「そんなに、ヒドイんですか……?」

「ち、違うよっ。ほら、今って雨降ってるし? だからちょっとやめとこうかなー、みたいな?」


 一応否定はしてくれるものの、言ってることは意味不明だ。

 明らかに焦ってるっぽいのも胸が痛い。


「やっぱりくさいんですね……、私……」

「だ、だからそれはアイネちゃんじゃなくてその靴が悪いんだから、そんなに落ち込むことないだってば~。ね? 沙知乃もそう思うよね?」

「……え? ウン」

「むぅ」


 またもや生返事の沙知乃にエリは腹を立てたみたいで、少しだけ頬を膨らませ、おもむろに例の皮靴をつかみとる。

 そうしてから雑誌に夢中の沙知乃の背後へと回り込み、ばっと鼻先に押し付けた。


「あぅぐッ! な、なにするのエリっ……!」

「さっちゃんが構ってくれないからだよー」

「そんなッ……。ぐぇ」


 ふたりはモゴモゴともみ合っていたが、それも数秒のことだった。

 

 だらーん、と。


 異臭を吸い込んだらしき沙知乃が地面にぺったり倒れてしまう。

 マンガだったら不調を表すドクロマークや縦の線が描かれていそうな有様だ。

 これにはエリもさすがにマズイと思ったらしく、慌てて沙知乃を助け起こした。


「だ、大丈夫?」

「うぅ……。エリのばか……」

「ごめんね。やりすぎちゃったかなぁ」


 誤魔化すような笑顔を浮かべ、エリは一瞬……ほんの一瞬だけチラリとアイネに眼をやった。

 明らかに何かを言いたげで、しかしモノ言わぬ刹那の視線。

 それを受けたアイネは顔を真っ赤にして叫んだ。


「な、なんですか!? そんな意味深な眼で私を見ないでくださいよー!」




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