第7話

 別の日。

 アイネ達3人は表通りで物乞いをしていた。

 といっても、歩道の端っこにちょこんと座って適当にだべっているだけなのだが。


「む~、なんだか恥ずかしいです……」

「だいじょーぶだって。みんなやってるし」


 言って、エリはバーガーショップのロゴが印刷されている空っぽの紙コップを無意味に動かす。この中にお金を入れてもらうのだ。


 エリの言う「みんなやってる」はさすがに大袈裟だとしても、都会を歩けば似たような事をしている人達とすれ違うことは珍しくない。

 なのでまぁ、確かに日常的な光景ではある。

 故に、道行く人々もそれほど変な目では見てこないのが救いと言えば救いだった。


「慣れきたらもっと積極的にいこうね。適当に歩きまわって声かけたりとかー、信号で止まってる車の窓叩いたりとかー」

「こんなことに慣れたくないですよぉ~」

「すると、アイネくんはゴミ漁りのほうが向いているかな? だったら適当なゴミ捨て場を見つけて空き缶や鉄を――」


 そこまで言って、沙知乃は急に口をつぐんだ。

 何事かと思い彼女の視線の先を見ると、車線を挟んで仁王立ちしている派手な美少女が眼に入る。

 少女もこちらに気がついたようで、嬉しそうに近寄ってきた。

 そして、開口一番こう言った。


「ハロー、負け犬の諸君! そのお洋服いつも着てるけどお気に入りなの? あ、ごめんなさーい。着替えが少ないだけなのかしらぁ?」


 出た。

 性悪金髪の夕緋さんだ。

 「あーあ」みたいな表情を浮かべる沙知乃を横目に、アイネは適当に返事をした。


「こんにちは夕緋さん。今は平日のお昼ですけど、どうしてこんなところにいるんですか? 例のお嬢様学校に居場所がないって本当だったみたいですね」

「昼休みなのよ! アタシは外食派なの! アンタ達と違ってお金いっぱい持ってるからね! どぉ? 羨ましいでしょ?」

「あは、そうだね。毎日ごはん選び放題なんて羨ましいよぉ~」

「でしょう 羨ましいわよね? 憧れるわよねぇ?」

「うん、羨ましいよ! 憧れるよ! さすが夕緋ちゃん!」

「そうでしょうね。…………じゃ、アタシはこれで失礼するわ。アンタ達みたいなゴミに構ってるほど暇じゃないし」


 そう言って夕緋はあっさりスタスタと踵を返した。


 自分から近づいてきた癖に「ゴミ」とか「暇じゃない」とかほざいていたけど、きっと気にしたら負けなのだろう……。

 げんなりするアイネだったが、ダイヤのメンタルを持つエリは朗らかな笑顔で夕緋の背中に声をかけた。


「うん。まったね~」


 元気よく手までふってるし、この人の暴言スルー力はこれはこれで異常の域のような気が……。

 アイネがそんなことを思った時、夕緋の足が信号待ちでもないのにピタッと止まった。そこから数秒静止して、パッとこちらを振り返り、早足でツカツカ戻ってくる。

 再び3人の前に詰め寄った夕緋は、顔を真っ赤にして叫んだ。


「どーして怒らないのよッ! ばかっ!」


 よくわからないがご立腹らしい。

 ホントになんなんだこの人……。


「……へ? どうしてって言われても困るけどなぁ」


 エリが小首をかしげながら答える。

 そりゃそうだ。


「あのぉ、私が思うにですねー夕緋さん。なんで怒らないのかって、そりゃあ、貴方のことを無意識化で格下だと思ってるから、何を言われても気にならないってだけの事じゃないですか? 幼稚園児に挑発されても『微笑ましいな』って思うだけなのと同じ理屈ですよ」


 “怒らないことに怒る”という謎の心理もこのあたりに原因があるのかもしれない。本人が自覚しているかどうかはともかくとして。


 アイネが言うと、夕緋はスゴイ形相でエリを睨んだ。

 エリはぶんぶん首を横に振って否定を表す。 

 その様子があまりに必死なので、アイネは「余計なこと言っちゃったかな」と微妙に反省した。


「それで、夕緋くんは結局、わたし達にどうしてほしいの?」

「え、」


 沙知乃の問に夕緋は言葉をつまらせた。


「そうだよ! 夕緋ちゃんはどうすれば満足するの?」

「え? えーと……、それは……」

「それは?」

「い、言ったらやってくれるの?」

「んー。友達としてできるくらいのことなら」

「そうね……。じゃ、こういうのはどうかしら」


 夕緋はおもむろにかがみこみ、エリ達3人と視線を合わせる格好になった。


「アンタがアタシに妙に優しく……じゃ、なくて、妙に馴れ馴れしくしてくるのは、お金を恵んでもらおうとしてるから、ってことにしましょう。内心ではアタシが憎くてたまらないけど、お金のために心を殺して媚を売ってくるって感じね。……で、アタシはそんなアンタに小銭をくれてやって、アンタはそれを喜んで受け取るんだけど、後になって悔しさのあまりに拳を握りしめて涙を流す、みたいな? そういうのやってよ」

「……ごめん。ぜんっぜん意味がわからないんだけど」


 夕緋の長い語りの後にエリがぽつりと即答した。

 その頭上にはふんわりしたクエッションマークが浮かんでいる。


「なんと言いますか、もうイメクラの領域ですね」

「イメクラってなにかな?」


 沙知乃が真顔で聞いてきた。


「えと……。ざっくり言えば、変態さんの特殊な願望を部分的に再現してくれるえっちなお店って感じでしょうか」

「そうなんだ……。よくわかったけど、アイネくんのことがまたちょっと怖くなってきたよ。わたし」

「そ、そう言われてみれば、なんで私こんなこと知ってるんでしょう? 一応記憶喪失なのに……」


 下世話な知識がサラッと出てくる自らの頭に軽く絶望を感じてしまう。

 と、クエッションマークと格闘していたエリがそれらを弾き飛ばして言い放った。


「んーと、つまり、夕緋ちゃんは変態ってことでオッケー!?」


 一瞬の沈黙が場に広がる。

 シンプルながら適切なまとめだな、とアイネは思った。

 見かけによらずエリは地頭がいいのかもしれない。


「お、オッケーなわけないでしょッ! ばかっ! 底辺ッ! 貧乏人っ!」


 少しの沈黙の後、夕緋が思い出したように叫んだ。

 図星なのか顔真っ赤だし、本当に余裕がないんだろうなこの人……。


「違うの? わたしはエリと同意見だけど」


 沙知乃が表情の読めない顔で言うと、夕緋は「アンタねぇ……」とぷるぷる拳を震わせた。

 思わず「私もそう思います」と便乗しそうになるアイネだったが、それだとなんか3vs1で弱い者いじめしてる感じになっちゃいそうな気もしたので、むしろ夕緋をフォローすることにした。


「いえ、このメンバーで一番変態なのは私ですとも。なんてったって言い出しっぺですからね」

「え、そうなの?」


 エリが素朴に聞いてくる。


「そう……だと思います」


 答えながらチラッと夕緋に視線を移すと、幸か不幸かバッチリ眼と眼があってしまった。


「……ッ!」


 これが悪かったのだろうか、夕緋は察したようだった。

 察してしまったようだった。


「うぅ、気を使われた……。こんな、こんな貧民風情に、このアタシが……」


 で、この前と同じようにちょっと泣きそうになっている。

 本当に情緒不安定というか、泣いたり怒ったり忙しいお方だ。

 傲慢なくせして自信がなく、また中途半端に感覚が鋭いのも悪いほうに作用しているのかもしれない。


「も、もうアンタ達なんかしらないっ! いいもん、これからラーメン食べに行くから! 並盛りが普通の店の大盛りくらいの店に行くからっ! アンタ達の一週間分くらい食べてやるからああぁ、せいぜいお腹すかせてなさいよ、ばあぁーかッ!」


 謎の宣言を叫びつつ、夕緋は走り去っていってしまった。


「あ、待ってよぉ。……って、行っちゃったね。はぁ、いいなあラーメン……」


 のんきにつぶやくエリを横目にアイネは思った。


 今度夕緋さんに会ったら、なるべくやさしく接してあげよう……。


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