第4話

「エリさんの髪って綺麗ですよね」


 ある日の昼下がり。

 適当に街中をふらつきながら、アイネが言った。


「え、そーかな?」

「そうですよー。ほら、細くて、柔らかくて……」


 そう言って、肩甲骨くらいまで伸びたダークブラウンの髪に手を触れてみる。

 さらさらの髪はアイネの5本の指の間を素直な流れでこぼれ落ちた。

 ちょっと無造作にハネてはいるけど、なかなかに滑らかな触り心地だ。


「素敵です……。絶妙にグラデーションっぽい効果がかかってるのもイイですよね。じっくり見ると髪の色が少しずつ違っているっていうか。どうしたらこんな風になるんですか?」


 それも、黒髪の人が茶色に染めてしばらく経った時みたいなプリン型の横グラデではなく、ちゃんとしたグラデーションになっているのだ。

 つまり不自然なところがない。


「んー? なんでだろ?」


 エリはさして興味もなさそうに自分の髪をくるくるいじった。

 この人は自分の見た目にあまり関心がないのだろうか。

 せっかくカワイイのにもったいないことだ。


「人の身体ってファンタジーですね~」

「水を指すようで悪いけど、ガッカリ雑学でいいなら答えるよ」


 ほがらかな気持ちで人体の神秘について考えていると、横から沙知乃が言ってきた。


「ガッカリ雑学ですか。本当は聞きたくないんですが、気になるので教えてください」

「アイネくんは正直だね……。

 で、ええと、エリの髪色の話だっけ。

 染髪剤も使ってないのに微妙に色が変わっているのは、要するに、髪に色素が送られていないことが原因なんだよ。

 色素がたりないから、たまに本来の色より薄い色で生えてくる髪の毛がある。その結果として全体がグラデーションっぽくなることも……まぁ、なくはない。って感じかな? ここまで綺麗に見えるのはかなり珍しい例だとは思うけど」

「へえ、なるほどですねー。でも、どうして髪に色素が行かないなんてことが起きるんです?」

「それはもちろん、常日頃から栄養不足だからだよ」

「……すいません。泣いてもいいですか?」


 ガッカリを通り越して悲しい雑学になってしまった。

 つらい……。


「ところでなんだけど、最近ちょっと前髪がじゃまなんだよね」


 そんな流れを断ち切るようにエリがぼやいた。

 くいくい前髪を引っ張ると、確かに眼に落ちかかっている。


「あ、確かに……。じゃ、さっそく髪を切ろう!」


 それを見た沙知乃が妙にテンション高めに言った。


 ふうむ。

 どうするつもりなんだろう。



        ◆◇◆



 数分後。

 3人がやってきたのは高速道路の下にある貧困層のたまり場だった。


 エリたちは毎日ふらふらと寝る場所を変えるタイプなのだが、路上生活者の中にはある程度の拠点を決めて暮らしている人たちも多い。

 やわらかい表現を使えば永続的なピクニックという感じだろうか。

 少年少女からその両親まで、結構色々な人たちがダンボールやビニールシートの上で生活している。

 そんな中には当然のように、金ダライやタオルなどの日用品がごちゃごちゃ無造作に置かれていた。


「こんにちは。……あ、ハサミ発見。ちょっと使わせていただきますね」


 そんな中から銀色のハサミを見つけた沙知乃は、軽い調子で宣言した。すると間もなく「オッケー」みたいな声が聞こえてくる。


「みなさん優しいんですね」

「助け合わないと色々大変だからねぇ」


 エリと雑談していると、やたら張り切ってるっぽい沙知乃が濡れたタオルを持ってきた。

 それでもってエリの頭をくしゅくしゅと拭く。

 軽く髪の毛を濡らした後は、プラスチックのクシをささっと通して……なんか本格的だ。


「……いたっ。いたいよさっちゃん!」

「ごめんごめん、エリの髪は細いからクシに絡まりやすいのかな」

「もー。そういうのいいから早くチョキチョキやっちゃってよぉ」

「駄目だよ。エリは可愛いんだから、丁寧にやらないと」

「んむ……」


 親友に褒められて気恥ずかしいのか、エリはちょっとだけ赤くなった。

 髪をいじる沙知乃とされるがままのエリの姿は、毛づくろいをするウサギの姉妹みたいな感じでとっても和やかな光景に見える。


 

 で、散髪が終わったのはその数十分後の事だった。


 エリはなにかと暇そうにしてたが、カットの仕上がりは上々に見えた。

 というか、錆びついたハサミ一本でここまでできるのは普通に見事だ。

 もしかしたら、エリの綺麗なセミロングは沙知乃の手によって維持されているのかもしれない。


「それにしてもすごいですねー、沙知乃さん」


 アイネが言うと、沙知乃はいつもの曖昧な笑みを浮かべながら答えた。


「ふふ。これはわたしの趣味みたいなものだからね、良いモデルが身近にいてくれて嬉しいよ。……あ、そうだ。アイネくんもどうかな?」

「切ってくれるってことですか?」

「うん。アイネくんさえよければ、そのふわふわのくせっ毛を切らせてほしい」

「そ、そうですね~。どうしましょうか……」


 アイネはどっちつかずの返事をしながら考える。

 今のアイネには過去の記憶がない。

 それはつまり、今の髪型に特別な思い入れもないということだ。

 故に、


「思いきったイメチェン的なことをするなら、今なのかもしれません……」


 沙知乃のハサミが入ったら、自分はどんな風に変わるんだろう?


 たぶん、変な感じにはならないと思う。

 それは今のエリを見れば明らかだ。

 沙知乃自身のぱっつん系な髪型だって、ざっくりしてはいるがきっと細やかなこだわりがあるに違いない。

 そんなことを思っていると、沙知乃がふと思い出したように言った。


「あ、ついでだから自分の髪も切っちゃおうかな……」


 瞬間。

 前髪を人差し指と中指で挟んでチョキッ。

 後ろ髪をひとまとめにしてチョキチョキ。


 灰色に近い黒髪がはらりとコンクリの地面に落ちて、ふーっと一息つく沙知乃。

 この間、約2秒だった。


「……で、どうする? アイネくん」


 ぽかんと口をあけているアイネに、沙知乃は言う。

 それがあまりに何事もなかったかのような感じなので、アイネは思い切り叫んでしまった。


「『どうする?』じゃないですよ沙知乃さーんっ。自分の時はなんでそんなザツになっちゃうんですか!? それでもカワイイっていうか似合ってるのがなんかすっごく複雑なんですけどお~!」


 自分のことに関してはやたらと疎い2人だった。

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