第2話
「と、いうわけで、この娘が昨夜知り合った新しいお友達……アイネちゃんだよ~」
朝日の差しこむ大都会の路地裏で、エリは高らかに宣言した。
簡素なキャミソールに半ズボン、それにすり減ったビーチサンダルを履いた女の子だ。どれもピンク系でかわいいのだが、擦り切れてボロボロなのがなんか悲しい。
髪は茶色のセミロングで、年齢は……中学校に上がるか上がらないかくらいだろうか。
「さっきからうるさいよ……、こんな朝からどうしたの……?」
ムニャムニャ口調で返事をしたのは、エリと同い年くらいの女の子だった。
ざっくりと切りそろえられたグレーに近い黒髪が特徴的で、元は真っ白だったであろうタンクトップに灰色のプリーツスカートを身に着けている。
足元はサンダルすら履いていない素足であるも、全体的にモノトーンな印象が落ち着いていて可愛らしい。
彼女はぺしゃんこのマットレス(というよりただの汚れたスポンジ)の上に寝転がりつつ、眠そうな半眼でエリを見やった。
現在この路地裏にいるのは、アイネを含めて3人だ。
「アイネちゃんは記憶喪失なんだって。なんか面白そうだよね」
「面白がらないでくださいよぉ」
「ふあぁ……」
「ねえ起きてよー。さっちゃん、沙知乃ぉー」
沙知乃(さちの)と呼ばれた少女は短めの髪を撫でつけながら起き上がり、ぺたんと座ってアイネをじーっと観察してくる。
優しそうな黒い瞳はちょっと寂しげな風合いがあった。
「アイネくん……だっけ? すごくかわいいね……」
それだけに、この一言はわりと結構な予想外だった。
「そ、それはどういう意味で、でしょうか!?」
「ん? その服とってもかわいいなって」
……服?
あ、そっちですか。
頬を染めつつ、アイネは自らの衣服に視線を落とした。
フリルのついた滑らかなワンピースは幼さを残しつつも上質な風合いがあって、言われてみれば結構良いモノなのかもしれない。
すると、自分はわりとお金持ちだった?
なんかそんな気もしてくる。
「確かに、お二人のそれと比べるとシルクとボロぞうきんくらいの差がありますよね……」
「あは、アイネちゃんは意外と毒舌なんだね~」
え? 毒舌?
その言葉を聞き、ようやくアイネはハッと気づいた。
自分は今、すごく失礼なことをサラッと口に出してしまったのではないだろうか。
「ごめんなさい、ごめんなさい……。悪気はないんですが、なんというか、まだ頭が混乱していて……」
「そんなに謝らなくても大丈夫だよ。ともかく、本気で困ってるならとりあえず警察に行ってみればいいんじゃないかな?」
ペコペコ頭を下げていたら、沙知乃が苦笑いで助言をくれた。
警察。
確かにそれが、今の現状を打破するための一番良い方法なのかもしれない。
しかしアイネは本能の部分でそれを拒否した。
警察という言葉を聞いた瞬間、心の奥からムカムカするような、イライラするような、じんわりとした不快感がこみ上げてくる……。
そのことを2人に話すと、意外にもすんなり納得してくれた。
なんでだろ。
と一瞬思うも、すぐに解答にたどりつく。
目の前の2人は路上で暮らす貧民娘……今風に言えばストリートチルドレンなわけで。要するに、貧しい最底辺層なんて国や警察から見れば“いらない子”なのだ。
助けてくれることもないではないが、基本は邪険に扱われるので印象が良いわけもない。
……それにしても、こういう常識っぽい知識は覚えてるのに、どうして自分に関連することだけは靄がかかったように思い出すことができないのだろう?
アイネは小さくため息をついた。
「でもさー、記憶を失ってまで警察を憎んでるってことは、アイネちゃんは少なくも“普通の市民”ではなかったってことなのかな?」
「その可能性はありそうだね。服も髪も綺麗だから、わたし達みたいなのとは方向性が違いそうではあるけれど……」
そう言って、沙知乃はアイネのほっぺたに軽く触れた。
「ふぇ、なんです?」
「その傷、なにか覚えはある?」
「傷、ですか?」
慌てて自分の頬に触れてみると、なんだかちょっと感触が違う部分があった。
現在進行形で血でも出ているのかと思ってびくっとなったが、どうやら古傷というやつらしい。皮膚がつっぱっているような感じがする。
「マンガに出てくる悪い海賊さんみたいな切り傷だね。結構派手だし」
「そんなにヒドイんですか。もしかしてグロかったりします?」
「ん~、初対面の時は少し引くかもしれないけど、カワイイ顔にそういうのがあるってのも逆にチャームポイントだと思うよ」
「なんかだんだん、私がこれまでに歩んできた人生がどんなものだったのか心配になってきましたよ……」
沙知乃が最初、自分の顔を妙にじーっと見つめていたのはこれが原因だったのだろうか?
アイネは今更になって思った。
どちらにせよ、これでまた警察に行きたくない理由が増えてしまったような気がする。
「……それで、アイネくんはこれからどうするつもりなの? 帰るべき場所も行くべき場所もわからなくて、公僕のやっかいにもなりたくないんだよね」
「そ、そうですね……。そうなります」
口に出して、アイネは改めて自分の置かれた境遇のヤバさを自覚した。
「え~? だったら選択肢はひとつしか残ってないじゃん。なんかしら自分のことを思い出すまで、あたし達と一緒に路上で暮らそう!」
「や、やっぱりそうなっちゃいますよね~」
“曖昧な記憶”が告げている。
昨日までの自分は決して貧民ではなかった。
むしろ、そういう人たちを外から眺めているような立場だった。
可哀想と思ったことはある。
助けてあげたいと思ったこともある。
物乞いされて鬱陶しいと思ったこともあれば、気まぐれでお菓子やお金をあげたことだってあるかもしれない。
いや、きっとあるのだろう。
でも……そういう人たちは所詮自分とは無関係な存在だと思っていた。
ただ眼に入るというだけで。
同じ国に住んでいるというだけで。
決して自分とは交わらない、見えない壁を幾重(いくえ)も隔てた異世界の存在だと思っていた。
それがまさか。
なにがなにやらわからぬうちに、自分も“そっち側”の人間になってしまうことになるなんて……。
「アイネくん。やっぱり、辛い……ものなのかな。こういうのって」
沙知乃がどこか曖昧な口調で言った。
今の自分は、いったいどんな表情をしていたのだろう……。
「正直、よくわかりません」
彼女の問いに、アイネはゆっくりと言葉を選んで答えた。
「でも……これだけは確かに感じるんです。記憶を失ってから、最初に出会ったのがおふたりでよかったって」
アイネはふんわりと笑ってみせた。
どういうわけだか涙も零れそうになる。
特に悲しいわけでもないのにまったく不思議な感覚だった。
短い時間に色々なことが起きすぎたのかもしれない。
それを見たエリと沙知乃はお互いに顔を見合わせて、やさしい声音で言葉を発した。
「大丈夫だって、そのうちどうにかなると思うよ!」
「ん。根拠はないけど、そんなに悪いことにはならないじゃないかな」
「うぅ……おふたりとも、ありがとうございますぅ……」
「ほらほら泣かないの~」
2人の少女はうずくまるアイネを抱きしめて、そっと背中をさすってあげた。
このようにして、アイネの新たなる日々が幕を開けた。
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