第4話 私もナージャも
朝のレッスン場は季節を感じない熱気に満ちる。
実践で練り上げている子がいる。
逆に手のうちを明かすまいと、じっと脚本を睨む子もいる。
でもやっぱり多くの子は、
「『魔王よ! ここで貴様を討ち果たし、私は世界を救ってみせる!』」
今ある分の山場、魔王襲来ばかり練習している。
今回の脚本はロードムービー的要素が強い。
行く先々で人には出会うけど、物語通しての主要人物、
花形はナージャしかいない。
人気が集中している。
あちこちでヤマビコみたいに宣言が繰り返される。
「ナージャって、あんな話し方するのかなぁ」
「大丈夫!?」
その晩のナージャは洞窟で壁にもたれて座り、弱い息をしていた。
夢の世界も夜でよく見えないけど、魔王に襲撃されたあとだと分かる。
「大丈夫。静かに」
確か右利きのナージャが左手を挙げる。
「私、助かるんでしょ?」
「う、うん。鹿猟師が通り掛かって、助けてもらえるの!」
「じゃあそれまでの辛抱だね」
苦しげな息が、ほんの少しは楽そうになる。
それがまた、堪らなくなってしまう。
「ナージャは、強いんだね」
「どうして?」
彼女は薄く笑う。
「だって、傷付いたってことは、旅を続けたんでしょ?」
「そうだよ」
「魔王に襲われるって、知ってたのに」
「レイナが教えてくれたから、心の準備が」
「逃げようとは思わなかったの?」
少しだけ声に力が入ってしまった。
ナージャの微笑みも驚いたように崩れる。
「教えた私が言うのもおかしいけどさ。助かるっていっても、痛いのも怖いのも決まってるんだよ? 普通イヤになるよ」
「そうだね」
「ナージャは強いよ。それでも逃げなかった。強い情熱がある。それで立ち向かえる心の強さがある」
相槌が返ってこないと、
「私さ、お父さんお母さんが『普通の高校にしたら?』っていうの振り切ってさ。今の学校に来たのにさ」
言葉も気持ちと、
「演技、辞めようとしてたんだ。行き詰まっちゃって、辛くて、逃げようとしてた。今もまだ思ってる」
なんだか涙が溢れてきた。
「私、情熱で戦えないから……! そんなに強くないから……!」
何やってるんだろう。
ナージャの方が痛くて苦しいのに、自分のことばかり。
そんなだから弱いのかな。
そんなだから役をつかめないのかな。
「違うよ」
そんな私に手が差し伸べられる。
「私も強くないし、情熱は強さじゃないんだよ?」
「え……」
彼女は私の髪を撫でる。
「私も本当はさ、逃げたかった。怖かった。勇者なのにね。情けないよね」
「そんなこと!」
「同じなんだ。レイナが役者から逃げるのを、いけないことだと思うのと」
それから長いため息をついた。
「でも私、使命感だけで戦えないの。『自分は勇者だから』じゃ怖くて動けないの。だから、自分を麻痺させるために情熱を燃やしてる」
「ナージャ」
まるで涙の代わりに。
知らなかった。
私に情熱を
彼女も心が折れそうで
私と同じ苦しさに包まれて
情熱が最後の一葉だったなんて。
こんな姿、見たことなかった。
こんなこと、脚本に書いてなかった。
「ねぇレイナ。私が寝られるよう手を握っててよ。お互いそんなくらいの情熱だからさ、持ち寄って温め合おうよ」
「うん」
促されるまま、私はナージャの手を取って、
やがて温かい肌がシーツになると、
「そっか。そういうことか」
「怜奈ちゃん、おはよう」
別のものをつかんだ気がした。
「『魔王よ! ここで貴様を討ち果たし、私は世界を救ってみせる!』」
「『一人、でも……!』」
あっという間にオーディションの日。
私はナージャ役を受けて、出せるものは出し切った。
他の人が情熱のナージャを演じるなか、
私は一人、孤独に震えて虚勢を振り絞るナージャになった。
正しいかは分からない。
出会ったナージャがそうだからって、劇として求められているとは限らない。
でもそうした。
それが私のナージャだ、というのもあるし、
あの日知ったんだ。
脚本にないナージャの弱さ。
先生に言われていた、『脚本を起こしているだけ』。
答えがそこにあった。
ナージャには、役には、
それまで生きてきた背景がある。
脚本には書かれていない日々の素顔がある。
人生がある。
私はそれに気付かなかった。
紙の中に全てがあると思っていた。
確かに、余白を想像しすぎたら捏造かもしれない。
でも脚本の文字ではなく、役に、人に向き合わなければならなかった。
それをナージャが教えてくれた。
私の痛みを受け止め、自分の痛みも伝えて。
そのことを伝えると、
「大袈裟。でも世界より先にレイナを救えたなら、勇者として自信になるね」
無事助けられて傷の回復も進む彼女は、ベッドの上で笑った。
それから数日後、
「オーディションの結果を発表します。まずナージャ役は、楢崎さんたっての希望により
槙島怜奈さんに決まりました」
もちろん私もうれしかった。
でも何より安心と、
「よかった! おめでとう!」
「レイナががんばって夢を叶えたんだ。私も魔王を倒さないとね」
「ありがとう。勇気をもらえる」
ナージャが喜んでくれたこと。
それが一番だった。
それからも私は毎晩ナージャの夢を見た。
私が昼間のレッスンで成長するごとに、彼女も着実に旅を進める。
その姿を見つめて、ナージャを演じるべく研究して。
そんな循環を繰り返しているうちに、
いつしか私は自信を取り戻していた、というか、
あんなに悩んでいたことも忘れていた。
図書室で借りる本も、演劇論に戻っていた。
ある日のこと。
「怜奈ちゃん変わったよね」
「そうかな?」
「うん。明るくなったっていうか。明るさも暗さも、全部お芝居に向いてる」
その日のレッスン終わりのとき。
「はーい! それじゃ最後に、残りの脚本ができたので配ります!」
ついに物語の結末が届いた。
知りたいような、知りたくないような。
みんながワクワクとページを捲るなか、一歩遅れて後ろの方を開くと
要約するなら
『ナージャは見事を魔王を討ち果たし』
『燃え盛る魔王城の中に消えていった』
『その後の彼女がどうなったかは伝わっていない』
と記されていた。
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