第2話 スマホで動画サイトをチェックしたら異世界転移?

 校門を出てからは、赤信号を見落としてしまうんじゃないかというくらい、僕は怒りに燃えていた。


 しかし、家に近づくにつれて、怒りよりも不安や後ろめたさが大きくなっていった。


 どうしよう。気が重い……。


 まだ二日前だよ。僕の妹が「お兄ちゃんと同じ高校に合格したよ! 私も配信部に入って、一緒に部活できる~!」って喜んでたの。


 うちは両親がいないから、妹が甘えられる相手は僕しかいない。


 だから、妹のしたいことは、なんでもしてあげたいんだけど……。


 配信部で一緒に活動することは、不可能になってしまった。


 そもそも、VTuberになるという妹の夢を叶えるために配信部に入ったのに……。


 妹になんて説明すればいいのか分からないまま、僕は自宅アパートに帰り着いた。


 暗い顔を見せたくないから、切り替えていこう。


「ただいまっする~」


「お帰りまっする~」


 玄関扉を開けると左手にミニキッチンがあり、妹の玖瑠美くるみはそこに立っていた。


 玖瑠美が振り返ると、鈴をつけたらカランカラン鳴りそうな感じのポニーテールが揺れた。


 妹は進学が決まっているけど卒業まで普通に登校日は続くので、中学の制服を着ている。


 僕はテンションの調整も兼ねて、わざとらしく陽気に振る舞う。


「あ。しまった。今日はバレンタインデーだった。僕が早く帰ってきたせいで、チョコを作っている現場に遭遇してしまったか」


「え? あ。うん。お兄ちゃんも紅茶飲む?」


 チョコレートを作っている様子は一切なく、妹はカップにお湯を注いでいるところだった。


「うん。ちょうだい」


「ちょうだい、りょうかーい。かーらーの?」


「ちょうだいすきー」


「私もお兄ちゃん、超大好きー」


「言わすなよ」


「二人っきりなんだから、どんどん言ってこうよ。それに『好き』って言葉は、言い慣れておいたほうがいいよ。ね。今日は早かったね」


「うん。ちょっとね。ありがと。玖瑠美の飲みかけの方が良かったな。間接キ~ッス」


「キモッ! はあ……。こんな兄とずっと二人暮らしだなんて気が寝入る~」


 寝入る、じゃなくて、滅入るな、とは指摘しない。将来、間違えたままの方が面白いからだ。


 あと、言うまでもないけど僕のキモい言動は意図的なものだ。


 将来玖瑠美がVTuberデビューしたときにキモいコメントが書き込まれるはずだ。そのとき上手に対処するための訓練として、妹本人から頼まれてやっている。とはいえ、普通にしていていたのに「無理してキモい演技しなくても普段どおりでいいんだよ」と言われたことがあるのは解せぬ……。


 僕は紅茶のカップを受けとり、リビングに向かった。


 リビングというと聞こえはいいが、一室しかない安物件だ。僕は床に鞄と紅茶を置くと、コートを脱ぎ、窓側の壁にもたれて座った。


「ねえ、キモ発言じゃなくて、マジで紅茶交換せん? これ二番搾り? 薄いんだけど」


「残念。三番搾りです。不正解なので交換はなしです」


「てれってれ、てれっ、てれ~」


 ……言えない。


 配信部を退部処分になったなんて言えない。


 事故で両親を亡くしてから玖瑠美はふさぎこんでいたけど、VTuberの配信を見て、少しずつ元気を取り戻した。


 玖瑠美が「自分も誰かに元気を与えるVTuberになりたい」と願うのは自然なことだ。


 だから僕は高校の配信部で、玖瑠美の夢を応援しようと思っていたのに……。


「お兄ちゃん。ポコラのめっちょおもろな切り抜きあったよー。ほらー」


 玖瑠美が隣に座ってスマホを見せてくる。いつもより距離が近い。


 しかも、紅茶を交換してくれた。


 もしかして、落ちこんでいるのが顔に出ていて、心配かけたかな?


 僕は部活のことは頭から追いだし、紅茶を飲みながら動画を視聴した。


「はー。やっぱ、ポコラは最高が過ぎてヤバみが半端ない。お兄ちゃんを子狸化するために、オススメ動画、探すー」


「じゃ、僕もメロン艦長を布教するために、オススメの動画を探すよ」


 ということで、僕達はお互いに、推しVTuberをオススメしあうための動画を探すことにした。


 さーてと。どれにしようかな。オススメはもうひととおり見せてるんだよなー。


 僕はスマホで動画サイトを表示し――。


「うわっ! やばっ!」


 急にスマホが激しく光りだし――。


 ……。


 なんだ。何も見えない。真っ白だ。


 安い機種だからバッテリーが爆発して、目を怪我したのか?


「玖瑠美。なんか目が変になった。……玖瑠美?」


 返事がない。イヤホンを着けているのか?


 隣の妹に触れようと手を伸ばしてみるが、何にも触れない。


「え? 玖瑠美?」


 イヤホンを貫通できるくらいの大声を出したけど、やはり返事はない。


 ヤバい。座っている感覚すらない。


「うぇっへーい!」


 ん?


 なんか、めちゃくちゃ陽気な声が聞こえてきた。


 女性の声だけど、妹の声じゃない。


「配信神。ヴイ・ユウの登場なのじゃ~。ユウって呼んで~。この動画は誰にでも再生できるわけではないのじゃ。今、この動画を見ているお主は世界でただ一人選ばれた、超幸運なヒューマンなーのじゃっ! 絶対に閉じたら駄目なのじゃ!」


 なんか、たまに見かける動画広告みたいなことを言いだしたぞ。


 僕の目は見えていないけど、音は聞こえているようだ。


「配信神……?」


「はい、ち*ち*、じゃないのじゃ~」


「うっわ。やべえやつ……」


「お主にはワシが配信しているゲーム世界に来てもろて、色々と手伝ってもらいたいの! いかがかい?」


「いかがかいとか、殆ど『い』と『か』だけで構成された言葉で質問されても困る」


 僕は周囲を見渡してみるが、声の主らしき姿はない。


「いったい何が起きているんだ……」


「そこは、『これがよくある異世界転移ってやつか!』って都合良く一瞬で理解してほしいのじゃ」


「それを転移させる側が言うのは違うくない? って、異世界転移なの?! 僕、死んだの?!」


「たぶんそう。部分的にそう」


「アパートにトラックが突っこんで僕は死んだの? 妹は無事なの?」


「ここに来たのはお主だけなのじゃ!」


 得られた情報だけじゃ、玖瑠美が無事なのか分からない……。


「……あの。僕、妹と二人で暮らしているから異世界に転移するの困るんです。キャンセルできませんか? 重傷でもいいんで生き残りたいんです……」


「あ。そこがさっきの『部分的にそう』の部分なのじゃ。いつでも戻れるのじゃ。試しに戻る?」


「戻れるの?」


「うん!」


「じゃあ、戻してください」


「うむ。元の世界に戻すけど、ちゃんとこっちに戻ってきてね? チャンネルをお気に入り登録したからね」


「うん」


 あっ。

 一瞬というか、瞬きしたら、もう元の部屋にいた。


 夢?


 幻覚?


 僕の手では、まだ温かい紅茶から湯気がのぼっている。


 隣を見れば何事もなかったかのように、玖瑠美がスマホを見てくすくす笑っている。


 肩をつついてみた。柔らかい。


「なーにー」


「なんでもない。ただのセクハラ」


「セクハラりょうかーい。……って駄目でしょ! つつくなら乳首の位置、探さないと!」


「うーわ、兄にそれ言うヤバいやつ……」


 僕は自分のスマホを見る。

 さっきのは、寝落ちして変な夢を見ただけだよな?


 動画サイトのお気に入りチャンネルリストの一番上に『ユウの動画チャンネル』が登録されていた。

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