第8話 こだわりがある中国人 「名前の話」○○○さん

  自分のID(人間としての歴史)を持つ中国人ならではの、自分の名前へのこだわり。

(ID:IDカードの略。その人であると識別するための情報を記録したカード。身分証明書)


中国語には、北京語、広東語、上海語等々、全部で7つの中国語(方言)があり(方言といえばもっと多いでしょうが)、私たちがふだん中国語と呼ぶのは、その中のひとつである北京語(標準語)のことなのだそうです。

  この方は中国・広州生まれ、広東語の環境で生きてきた方なので、日本に来て夜間中学で北京語を標準語として話す中国人の仲間に対し(発音の仕方の違いによって)違和感を感じた。しかし、それが自分の(広州文化の)存在を強く意識させることになったようです。


  日本でもテレビが普及していない頃は、東京で使われる「標準語」と、地方で日常話される「方言」では、ぜんぜん話が通じないということがありました。

この「名前の話」という作文を書かれた中国人女性が夜間中学に入った頃、同級生の中国人たち数人は、みな北京語を話すので、彼女の名前も北京語読みで発音する。別に違う漢字を充てているのではなく、単に漢字の読み方(発音)が違うというだけなのですが、これが気に入らないというか、呼ばれるたびに違和感を感じてしっくりこない。不愉快というのではなく「椅子の座り心地が悪い」感じがする。同じ中国人に中国語で名前を呼ばれ、特に問題はないにも関わらず、「そういう発音じゃないんだけどなぁ」と心の中で呟いていた時期があった(のであろうと、私は彼女の作文を読んで感じました)。

自分の名前へのこのこだわり。さすが(原点がしっかりした)中国人です。

私自身、3歳の頃八丈島で3年間、小学校3年生の時は1年間大島で、そして中学2年生の時は半年間、小笠原で過ごしましたが、(同じ東京都であるにもかかわらず)語彙の違い以前、自分の名前を呼ばれた時、そのイントネーション(声の抑揚)が大きく違うので、自分ではないような錯覚を覚えたものです。

○ 在日韓国人は自分の名前にこだわらない

韓国人とは、日本人に虐められた・差別されたと市役所で訴える時は大きな声で韓国名を名乗る。一方、日本人の女の子に話しかける時には日本人名を名乗り、まるで江戸時代からでも日本に住んでいるかのような顔をする。彼らにとっては、名前なんか便宜的な(間に合わせに使う)道具であり、どうでもいいのです。

私が台湾に住んでいた時、在日韓国人として日本で生まれ育ち、その後、台湾人女性と結婚して台湾に移住した人がいました。その人がある時、こんなことを仰るのです。「平栗さん、私の本籍は北海道の○○という町なんですが、私も親父もじいさんも、そんなところへ一度も行ったことがないんです。○○という私の名前も・・・」。

(私の大学時代のOBである在日韓国人の方だけが、私の知る在日韓国人のなかで、自分の名前(韓国名)に自信と誇りを持って生きておられました。)

在日韓国人に精神が不安定な人が多いというのは、「名前が二つある」という、人間としての根本的なところに、その原因があるのではないだろうか。

彼らは、イギリスからアメリカを目指したピルグリムたちのように、強固な自分の意志で・ポリシーを持って・艱難辛苦を乗り越えて日本へ来たわけではなく、「自分の意志に反して、強制的に連れてこられた」なんて、まるでアメリカへ奴隷として連れてこられたアフリカの原住民みたいなことを言うのですから、自分のルーツ云々以前、今の自分の存在感が曖昧になる。社会補償等ではその方が都合がいいのかもしれませんが、真実に目を瞑(つむ)り噓で自分の存在をごまかしてしまう人間は、必ず情緒不安定になるものなのです。

今の日本人は、昔から自然に自覚してきた在来種純粋日本人・縄文人としてのルーツ感覚を、そういう韓国脳化によって薄められてきている。「言論の自由・価値観の多様化」なんていう、安っぽい謳い文句に欺されたて、中国人のようなしっかりとした民族性や自分の魂のルーツ、これらを失いかけている。腐ったリンゴが一つでもリンゴ箱の中に入ると、どんどん他のリンゴまで腐ってくるように、そういう人が増えてきているようです。

中国人という、全く別の種類の新鮮なリンゴが日本という箱に入ってきても、全く問題はない。むしろ、それが刺激になって、ますます私たちの日本人性が強化される。しかし、贋者が入ってくると、「悪貨は良貨を駆逐する」グレシャムの法則通りになる。

  今、それを現実に日本社会で見るのは悲しいことですが。

○「自分の生まれ育った地域の文化を伝えたい」という中国人の熱い思い

この女性、単に名前(の発音)にこだわるばかりでなく、自分の生まれ育った広州(文化)にも、強い自覚と誇りを持たれている。だから、この作文の終わりで、広州の文化をみんなに知ってもらいたい、広州の料理を美味しいと言って食べてくれるのが凄く嬉しい、孫ができたら彼らにも自分の生まれ育った広州の文化を伝えていきたい、と結んでいます。

これも中国人ならでは、ですね。

在日韓国人にそんな人がいるでしょうか? 私は見たことも聞いたこともない。

学校の文化祭でみんながやるから、形だけ、何でも辛いだけのジャンクフード店を出店する、という程度。中国人のように、本当に自分の文化を伝えたいという熱情・情熱が韓国人にはないのです。

高知のよさこい祭りで、お好み焼きやかき氷の屋台を出していた韓国人に「韓国料理は出さないの」と聞いたら、こっちの方がよく売れるから、と。


韓国脳とは、自分の名前や文化よりも、自分が移住した地と人に同化(形だけ恭順)することで生き延びてきた。そういうIDの曖昧な人間でも受け入れてくれる国のみで存在できた。だから、日本以外では韓国脳人間は住み続けることができない。2・3世代の後には、血が薄まって消えてしまうのです。


日本人だけが温かく哀れみをかけて韓国人を受け入れてくれる。

かつてアメリカやオーストラリアへ永住権を取って移民したはいいが、結局ついていけずに落ちこぼれた韓国人が、現在、続々と日本へ移り住んで来ているのはその所為です。彼らにはしっかりとしたアイデンティティーがないから、アメリカで中国人のような強力な自己認識組織(チャイナタウン)を作ることができないし、在米日本人のように、子供にしっかりとした教育を受けさせて州や国の議員にするようなこともできない。

結局は、アメリカやオーストラリアのように韓国人を甘やかせてくれない国では、完全に同化し・消えていくしかない。

それがいやな韓国脳人は、日本へ来て「日本の被害者である韓国人」として保護され生き延びるしかない。中国人のように、逞しく、尚且つ、明るく公明正大に(自分と)戦って生きていくことができない人たちなのです。

○「彼は解き、また結ぶ」

しっかりとした自分のルーツ(原点)のある人間とは、それを人に伝えることで、更に自分というものの存在を強く自覚することができる。人々に拡散することで、自分の原点の意識が煮詰まってくるのです。

中国人のこの女性は、金儲けなんかではなく、あくまで自分自身の存在をしっかりと自覚するために、自分たち中国・広州の文化を伝え、日本人と一緒に楽しんでいきたいのでしょう。

その意味で中国人や日本人というのは、人生におけるベクトルが韓国人とぜんぜん違うのです。

YouTube「ソーラン節 University of Arkansas 2010」で見ましたが、日本人も留学先の大学で「日本の文化」を伝えようする。

別に宗教の伝道師ではないし、カネをもらってやっているわけでもない。外国で、自分たち民族の文化を伝えることで、自分自身の存在感を実感しようとするのです。

現地のアメリカ人や、自分と同じ外国からの留学生たちの文化を尊重し彼らと仲良くする一方で、自分たち日本人の文化をしっかりと自覚するための行動を起こしている。(踊り手10数人のうち、半数以上はアメリカ人です。)

これが日本人や中国人という、自分たちの原点がある民族の生き方なのです。


この中国人女性の「名前の話」という作文によって、あらためてそのことを自覚させてもらいました。ありがとうございました。

2024年12月16日

V.7.1

平栗雅人

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