もう一つの部屋

 准は待機部屋となっているリビングルームのソファで、ぐったりと憔悴していた。

「やばい。もう無理かもしんない」

 普段の心霊スポット巡りでも滅多に吐かない弱音を思わず吐いた。

「こんな准さん初めてです。何があったんですか?」

「口で言うより、見たほうが早い」

 完全に脱力状態の准の横で、昇と松丸が闇風呂の際に浴室に設置していた定点カメラの映像の確認をした。あまりにもはっきりとした物音と、准が恐怖する様子が捉えられている。

「これ、すごいですね。ただ……」

 映像を確認した昇は言葉を濁らせた。昇が何を考えたのか准にはわかった。

「この動画を投稿したら、視聴者はヤラセだと考える、だろ」

「はい。そう思います」

 浴室の外で誰かが意図的に音を立てていたとしか思えない。心霊現象と呼ぶにはあまりにも人為的に感じられる。

「ちなみに。十五分経つ前に誰か屋敷に入らなかった?」

「入っていません。洋館の入り口が見える車の中で待機していましたが、その間誰も入らなかったです」

「そうか」

 少し落ち着いてきて、准はもう一度入念に闇風呂時の映像を確認した。初めのほうで、准は浴室の中で黒い影を見た。しかしカメラの角度の問題なのか、録画した映像にはその影らしきものは映っていなかった。

 後のほうでは、誰かが浴室に近づいてくる足音と、浴室のドアが激しく叩かれる音がした。しかしその音が鳴った瞬間の脱衣所の定点カメラでは、人らしき姿は一切捉えていない。ドアの前に誰も立っていないのに、あんなに激しい音がしたのだ。准はそれを確認して改めてゾッとした。

 動画を編集する際には、できるだけヤラセに感じられないように作らなければならない。ただ今はその話はいい。とにかくどうにか闇風呂をクリアしたことが重要だ。

「すごいですね。この物件で闇風呂をしたのは雨宮さんが初めてです」

 狐面の松丸が淡々とした調子で言った。

「そうですか。でもあんま嬉しくない。めっちゃ怖かったです。この家やばいですね」

「はい、やばいです」

 そんなやばい物件をイベントで使っているあんたらもやばいぞ。

 まあだからこそ初めに「自己責任」を強調したのだろうけど。

「えーと。じゃあこれで、あれの内容を教えてもらえるんですよね。最終ミッションでしたっけ」

「はい」

 ミッション表の最後にあった文字の塗り潰されているミッションだ。

「ただ、ここで明日の朝まで過ごすつもりなら、聞かないほうがいいかもしれないですよ」

「どういうことですか?」

「なんていうか。あまりにも……」

 急に松丸の歯切れが悪くなった。

「大丈夫ですよ。べつに挑戦するとは言っていません。ただどんな内容なのか知りたくて」

 先ほどあれほどの恐怖体験をしておきながら、自分もよく言うな、と准は思った。この好奇心はどこから来るのだろう?

「そうですね。じゃあ言いましょう。実は、この屋敷の中で、まだ一つだけ案内していない部屋があるんです」

「えっ?」

 一階も二階も隈なく回ったつもりだったが。

「離れがあるとか?」

「いいえ」

「じゃあどこに。気になりますね」

「その部屋は立ち入り禁止にしてあります。もし勝手にその部屋に入ったら即刻イベントは中止にするので気をつけてください」

「わかりました。ただ、松丸さんの案内のもとでなら入ってもいい、と」

「まあ」

「じゃあ行きましょう」

「……つくづくタフですねえ」

 准はソファから立ち上がった。

「ああそうだ。カメラは置いてきてもらえますか?」

 松丸は言う。

「これから行く部屋は撮影禁止なのと、部屋の場所もネットで広められたくないので。興味本位で勝手に入るお客さんが出たら困ります」

「動画で使えない場所というわけですね」

「はい。イベント終了後も他言無用でお願いします」

「わかりました」

 この洋館は不特定多数に場所が特定されないように、建物周辺の撮影も禁止されていた。無断で侵入する者が出てくるからだろう。

 三人はリビングルームを出た。

 そこまで厳重にしている部屋とはどんなものだろう。楽しみだ。

 自分もよっぽど狂気的な人間のようだ、と准は思った。先ほど闇風呂であれほどの恐怖を味わったばかりなのに、今また更なる刺激を求めている。

 松丸は部屋を出て吹き抜けの階段に向かった。だが階段は上らず回り込むようにして階段の横を通っていく。その時点で准にはなんとなく察しがついた。

 階段の裏側の狭いスペースに着く。松丸はそこで足を止めた。

「地下、ですか?」

「はい」

 松丸が床に敷かれている赤いカーペットをめくった。その下に四角いハッチが現れる。

 松丸は取っ手を持ってハッチを引き上げた。准がそこをライトで照らすと、下へ向かう階段が見えた。

 背中がゾクッとして寒気がした。

 この屋敷は既に充分すぎるほど危険だった。今その屋敷のさらに暗い奥深くへ向かおうとしている。

「どうぞ」

 松丸が手を差し出して准を促した。いつものように先頭で行けということらしい。

 行ってやろう。もうなにが出ても驚きやしない。

 准は腹をくくり、地下へと向かう階段を下り始めた。

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