闇風呂

 三人か四人は同時に入れそうな、広い浴室だった。准は丸裸の状態でその場所に立っていた。湯船の中では入れたばかりのお湯から湯気が立ち昇っている。

 脱衣所と浴室内に暗視カメラを設置した。これでなにか現象が発生した時に捉えられる。準備は万端だ。

 准は湯船のお湯の中に片足を入れた。

「あっち!」

 もう片足も入れ、ゆっくりしゃがんで全身を浸からせていく。

「あち、あっちょ、あちょちょちょちょ」

「どうですか湯加減は?」

 浴室の入り口から顔を出している昇が訊いてくる。

「ああ。いい湯だよ」

「ライト消してもいいですか?」

「オーケー」

 ライトがオフになった。浴室に窓はあるものの、室内はほぼ真っ暗闇になった。

「くっそ。恐怖で俺のビッグマグナムが縮んでやがる」

「萎んだ水風船の間違いじゃないですか?」

「雨宮さん」

 暗闇から松丸の声がする。

「僕らはこれから屋敷の外に出ます。屋敷の中にはスッポンポンの無防備で湯船に浸かっている雨宮さん一人になります」

「わかってるよ」

「スタートしてから十五分間、僕らは一切出入りしません。もし足音やその他物音が聴こえたら、そういうことだと思ってください」

「わかりました」

「もし本当に危険だと感じたら、すぐに逃げてください。真っ暗闇の中、スッポンポンで」

「へい」

「では、屋敷の入り口に行って、スタートの合図をします。そこから十五分間頑張ってください。それでミッションクリアです」

「あいよ」

「准さん。今までいろいろ面倒見てくださってありがとうございました」

「縁起でもないこと言うんじゃねえ昇!」

 松丸と昇は浴室のドアを閉め去っていった。

 少し経って、遠くのほうから松丸の声が響く。

「それでは、よーい、スタート!」

 さあ闇風呂の始まりだ。

 視界は遮断されているが、体は温かくて心地良い。このまま十五分のんびりしていればいいのだ。

 ただそう簡単ではないと、准の直感が訴えている。

 暗闇と、静けさ。

 見えないこと、なんの音も聴こえないことが、逆に神経を不安定にさせる。

 これまで体験してきた通り、ここは普通の場所ではない。闇が自分のほうに向かって徐々に迫ってきているような気がした。湯船は位置的にも一番奥にある。向こうから来られたら逃げ場はない。


カチッ カチッ


 天井のほうから音がして、准は上を見上げた。暗くてよくわからない。いや、きっと明るくても目に見える異常はないだろう。


フーー


「うわあああ!」

 突然耳元で息を吹きかけられたような気がして、准は湯船の中で暴れた。揺れたお湯が外にこぼれる。

「嘘だろ」

 開始早々とんでもない現象だ。もう既にこの浴室の中になにかいるのだろうか。

「これじゃあ十五分持たねえぞ」

 准はわざと大きな声を出して恐怖を紛らわせる。

 もはやのんびり浸かるところではない。リタイアの文字が脳裏をよぎる。

 准は暗闇の中目を凝らして浴室の中を見回した。

 もちろんなにもいない、その固定観念が覆される。

 入口のドアの傍に、黒い影が見えた。

 人が立っているように見える。

 驚きと恐怖で准の体はがっちりと硬直した。

 子供のようなシルエットだ。それがそこに立って、こちらを窺っている。

「誰?」

 准はかすれた声をどうにか絞り出した。

 影の反応はない。

「一緒にお風呂入る?」

 自分でも何を言っているのだろうと思った。

 影は動かない。音もしない。

 だが、准はなぜか、そこにいる者が今小さく笑ったような気がした。

「水鉄砲できるか? 手を合わせて、こうやってこう」

 准は手で作った水鉄砲で湯船のお湯を影のほうに向けて軽く飛ばした。

 すると影の輪郭が小さく揺れた。准にはその影が喜んでいるように感じられた。


ドンッ!


 突然他の部屋から大きな物音が鳴って、若干夢心地だった准の思考が現実に引き戻された。


バン! ダッダッ ドンドンドン!


 連続で大きな物音が鳴る。いつの間にかそこにいた影が消えていた。

 あり得ない物音だ。今この屋敷の中に自分の他に人はいないはず。

「勘弁してくれ」

 准は湯船の中で縮こまっていることしかできない。

 お湯に浸かっているのに寒気がする。


うああああああ


「マジ?」

 二階にいる時に聴いた人の叫び声のような音が遠くから響いた。

 准は両手を胸の前でクロスさせてぶるぶると震えている。


タッ タッ タッ


 部屋の外から足音が響く。ゆっくりと、歩いているような。


タッ タッ タッ


 足音が徐々に大きくなっている。

 なにかが浴室に迫ってきている。

 准は呼吸することも忘れてじっと恐怖に耐えた。


ドンドンドン!


「うわあああ!」

 浴室の入り口のドアが外から乱暴に叩かれた。准の恐怖のキャパシティは限界を突破した。

 浴室のすぐ外に、なにかいる。准は蛇に睨まれた蛙も同然。身の危険を感じた。

 逃げなければ。けれど、逃げ道はあの入口しかない。そこは塞がれている。

 准は息を殺して時が経つのを待った。

 音がしなくなる。

 時間の感覚がわからなくなった。

 准は石像のように動かなくなったまま、もう何もできなかった。

 遠くから扉の開く音がした。洋館の入り口の扉だ。

 脱衣所のドアが開き、ライトの光が見えて複数の足音が近づいてきた。

 浴室のドアが開かれる。

 狐面の松丸の姿が見えた。

「雨宮さん。闇風呂、クリアです」

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