ミッション


 准は洋館一階のリビングルームに戻ってきた。なんだか一通り回るだけでも一苦労だった。既にいくつもの現象が発生してしまっている。普通それっぽいことが一つでも起こればいいほうなのだが。

「少し休憩しましょうか」

 准は同じく部屋に入ってきた松丸に言った。まだ夜は長い。松丸は狐面でこくんと頷いた。

 一度座って落ち着こうと准はソファのあるスペースのほうに移動した。

「あれ、昇?」

 松丸が入ってきてから入口のドアが開けられたままだ。後ろからカメラを回していた昇が入ってこない。

「トイレか?」

 准は部屋から出て確認しに行った。

 すぐに昇は見つかった。しかし様子がおかしい。昇は正面階段の途中で棒立ちとなっていた。カメラも下ろしている。ライトで顔を照らしてみたが、どこか虚ろな表情で反応がない。

「昇?」

 准は階段を上り昇に近づいていった。

「昇、大丈夫か?」

 准は昇の肩に手を置き軽く揺すった。

 すると昇の目の焦点が合ってきて、准の姿を捉えた。

「あ、准さん」

「どうした?」

「すみません。ちょっとぼーっとして」

「大丈夫か?」

「はい」

 准と昇はリビングルームに入った。

 今の昇の状態は、あまりよくない兆候だった。以前他の心霊スポットでも似たような状態になったことがある。霊に半ば憑依されている状態と言えるかもしれない。頭がぼーっとして恐怖心が消え失せ、その場所にいることが心地良くなり、離れたくなくなる。准も昇も霊能力者ではない。そういうことに対処する術を持たない。この後も昇の状態は常に気にかけておかなければ。場合によっては撮影を断念する判断も必要だ。

 少し休憩した後、テーブルに設置した固定カメラで撮影を開始した。カメラにはソファに座っている准と松丸の姿が映されている。昇は画角には入らない。

「はい。というわけで、洋館の中を一通り回ってきました」

 准はカメラに向けて言った。

「それでこの後なんですけど」

「どうしますか? 一応夜陰のほうでもミッションというものを用意していますけど」

「ミッション? もしかして先ほど話に出た闇風呂とか?」

「そうですね。いくつかありますよ」

 松丸がテレビ台下の棚から画用紙のようなものを取り出してきて、テーブルの上に置いた。それには洒落た手書き文字でこう書かれている。


●藁人形ダーツ

●血

●蜘蛛

●19Hz

●呪いのビデオ

●闇風呂

●さとるくん

●牛の首

●■■■■■


「うわ、結構ありますね」

「はい」

「なんとなく内容が想像できるものもあるけど、まったくわからないものもありますね。この『血』って何ですか?」

「血を飲んでもらいます」

「血を飲む? 何の血ですか?」

「飲んだ後にお教えしますよ。べつに違法なものではありません」

「嫌だなあ。つーか全部やだなあ。じゃあ『蜘蛛』は?」

「蜘蛛を手掴みで持ってカゴからカゴに移してもらいます」

「なんでそんなことすんの?」

「ミッションですから」

「蜘蛛って持っていいもんなの? どんぐらいのでかさ?」

「これぐら――」

「他も気になるもの多いけど、やっぱり一番気になるのはこれ」

 准は最後の行にある塗り潰されたミッションを指差した。

「これは?」

「それは、他の全てのミッションをクリアした人だけが挑戦できる、最終ミッションです」

「やばそうっすね。内容だけでも教えてもらえないんですか?」

「そうですね。普通は教えないんですけど」

 狐面の松丸は、溜めてから言う。

「知りたいですか?」

「まあ知りたくないって言ったら、竜田揚げになる」

「じゃあこうしましょうか。この中から一つミッションをクリアしてみてください。そしたら教えますよ」

「オーケーです。まあ一つぐらいなら。ちなみに全部のミッションをこなすとなにかいいことあるんですか?」

「イベント参加費用を全額返金します」

「ほう。ただやっぱ常人ではちょっと厳しそうだなあ」

「もちろんミッションは挑戦しなくても構いません。とくに撮影をされる方はそちらを優先してもらっても。その場合僕は帰りますけど」

「帰るんですか? 一緒にお泊まりしないんですか?」

「しませんよ。ああところで雨宮さん」

「はい」

「さっきのって何ですか?」

「だから今更聞くなよ! 恥ずかしいわ。時間差すぎるだろ。意味なんてないよ。ただのフィーリングだよ!」

「はあそうですか」

 准はもう一度ミッションのタイトルが書かれた紙を見返した。

 先ほど聞いた『血』や『蜘蛛』は、かなり物理的だ。もっと若い客がワーキャー言って楽しむぶんにはいいが、いい歳した男どもでそれをやるのはどうなのか。うちはあくまで心霊動画を扱っている。そのコンセプトに合わない気がする。あと単純にやりたくない。

『藁人形ダーツ』はなんとなく想像がつくが、罰が当たりそうだ。『さとるくん』や『牛の首』は都市伝説に絡めたものだろう。『呪いのビデオ』はそこにあるテレビでなにか観るのかもしれない。サイトで流していいビデオだろうか?

『闇風呂』は先に説明があった通り、暗闇の風呂に浸かり一人で待機。『19Hz』も似たような耐久ものだろう。霊が寄ってきやすいと言われる周波数を流すのだ。

 最後の塗り潰されたミッションは、まったく見当がつかない。この家と何かしら関連のあるミッションだと思われるが。

「えーと、僕らの目的はあくまで心霊現象の撮影、究極的には霊の姿をばっちり捉えて視聴者さんにお見せすることなので。『暗い』『一人』『静かに』の三か条に当てはまるミッションがいいかなと」

「はあ」

「というわけで、昇が闇風呂をやります」

「やりません」

 可愛がっているアシスタントにきっぱり即答されてしまった。

「では、雨宮さんが闇風呂をやるということで」

「まあそうなるかな」

「早速やりますか? それなら湯船にお湯を張ってきますけど」

「そうですね。この後気になる部屋の検証もしたいと思っているので。早いほうが」

 松丸はソファから立ち上がり部屋の入り口に向かった。

 准はこれはチャンスだと思った。松丸、ひいては夜陰の疑いについて、一度昇と話しておきたかった。この家で起きる現象は本物の心霊現象なのか、それとも何かしらの仕掛けを使った夜陰のヤラセなのか、と。松丸が席を立っている間に昇と意見の共有をしておきたい。

 だが准の思惑は叶わず、松丸は入口のドアを開けたところで立ち止まり、こちらを振り返った。

「あの、すみません。どなたかついてきていただけませんか?」

「どうして?」

「一人だと怖いので」

 夜に一人でトイレに行けない子供か!? まあ松丸が一人になった時になにかしないか見張っておくことも必要だろう。

「僕が行ってきますね」

 昇が率先して立ってくれた。こちらにはこの後闇風呂が控えているのだ。それぐらいしてもらわないと。

 松丸と昇が風呂にお湯を溜めに出ていった後、准はすぐにソファから立ってテレビ台のほうへ近づいた。

 テレビ台の左右に無造作に置かれている二つの人形を眺めた。少し気になっていたのだ。

 准はそのうち水色の毛糸で編まれた人形を手に取った。松丸には触らないほうがいいと言われていたが。

 呪物だと言われていなければ、ただの手作りのくたびれた人形だ。左手の部分がもげていることは不気味だが。

「あなたのお名前は?」

 准は人形に向かって問いかけてみた。我ながら馬鹿馬鹿しいと思ったが。


プ――ツツー


「えっ?」

 近くで妙な音が鳴ってなにかと思ったら、テレビの画面が白く光り出した。電源が点いたのだ。

「嘘? なんで?」

 背中がぞくりとした。

 准はテレビのリモコンにも、本体にも触れていない。点くわけがないのだ。

 怖くなって、准は握っていた人形を台の上に戻した。


ガチャッ


「うわああ!」

 後ろからドアの開く音が鳴って、准は叫び声を上げた。

「どうしました?」

 狐面の松丸と昇が立っていた。二人がただ戻ってきただけだった。

「もう驚かさないでくださいよ」

 准は取り乱したことを恥じつつ言う。

「松丸さん、どういう仕掛けなんですか?」

「えっ、何がですか?」

「テレビですよ。勝手に点いたんです。どこにも触ってないのに。なにか仕掛けがあるんでしょ?」

 松丸の狐面がテレビのほうを向いた。そしてそのまま固まったように動かなくなってしまった。黙っていられると怖い。

「松丸さん?」

「仕掛けなんてないですよ」

「嘘ばっか」

「嘘じゃないですよ」

「准さん。湯船のお湯は五分ぐらいで溜まるようです」

 このタイミングで闇風呂をやれ、と?

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