割れたティーカップ
准たちは吹き抜けに接している二階の廊下にいた。そこで人の唸り声のような叫び声のような音を聞いた。三人とも恐怖で体が硬直して動けない。松丸にいたっては床に尻もちをついた。
その後しばらく待ってみたが、なにかが割れる甲高い音が鳴った後は何も起こる様子がなかった。准はようやく体を動かし、廊下の手摺り部分から吹き抜けの広い空間を順々にライトで照らしていった。
人影はない。明らかに人が発したような声だったが。
准の額から汗が流れた。体は寒いのに、汗が出る。
「今の、何?」
准はどうにか声を絞り出した。自分の声が震えている。
「隙間風とかじゃないよな」
「はい。明らかに人の声でした」
カメラを回している昇が返答した。
今の音は、動画にしても閲覧注意レベルだ。普段心霊動画を観慣れている人間でも衝撃があるだろう。
津々浦々、全国あちこちの心霊スポットを巡っている准でも、あんな音は聴いたことがない。もしかすると今のは夜陰が用意した仕掛けなのだろうか。それにしては松丸の驚きようも尋常じゃなかった。もしこれが演技だとしたらたいした役者だ。
「松丸さん、大丈夫ですか?」
准は尻もちをついて起き上がれずにいる狐面の彼に声をかけた。
「いいいいえ、まったく大丈夫じゃないです。リタイアします」
「あなたは参加者じゃないです」
「今日はもうやめておきませんか? なんだか危険ですよ」
そういえば先ほど叫び声の後になにか割れた音がした。階下から響いた気がする。
「さっきなんか割れた音しましたよね」
「そうですね。もしかして誰か入ってきた?」
「自分たちが入った後、入り口の鍵は閉めましたか?」
「はい。閉めたはずです」
「見に行ってみましょう」
会話しているうちに准はだいぶ落ち着きを取り戻した。
松丸も腹をくくったのか、ずれた仮面の位置を微調整して、ゆっくりと立ち上がった。
亡くなった女の子の部屋があったという向こう側の二階にはまだ向かわず、三人は一階に下りた。誰か他の人間がいる可能性も考えて、警戒しながら進む。
玄関の扉を確認してみたが、鍵は閉まっていた。一階の部屋を回った時、各部屋の窓も閉まっていたはずだ。人がいる可能性が考えられるとしたら、自分たちがこの家に入る前にあらかじめ中に仕掛け人として人を潜ませていたというぐらいだが、そんなリスクの高い仕掛けをするだろうか?
あの声は得体の知れない不審者のものだったのか。それとも夜陰が用意した仕掛けだったのか。
それとも死んだ人間の声だったのか。
准は先頭になって、待機部屋となっている一階のリビングルームのドアを開けた。
明かりのない室内をライトで照らすと、床に散らばった破片が目に入った。それは一旦無視して、中に人がいないことを確認して回った。やはり人はいなかった。
「カップが割れてますね」
昇が残骸をカメラで映しながら言った。
白いティーカップが床に落ちて割れている。先ほど叫び声の後に聴いたのはこの音だろう。
カップは食器棚から落ちたようだ。食器棚のガラス戸が開いている。自分たちがいた時は閉まっていたはずだ。
地震はない。誰かが意図的に取り出さなければこうはならないだろう。定点カメラを置いておけば何が起きたのか確認できたのだが。
「とりあえず掃除しないと」
「あまり触らないほうがいいかもしれないです」
准が振り返ると松丸の狐面が見えた。
「このままにしとくと誰か怪我しますよ」
「良くないことが起こりそうな気が」
松丸の根拠のない忠告は聞かず、准は箒とちりとりを持ってきてカップの破片を片づけた。
それからもう一度部屋の中を見回る。他にはとくに変わった様子はない。テレビの横にある水色と桃色の毛糸の人形は少し気になった。松丸が呪物と言っていた代物だ。こいつらの仕業なのか。
准はスマホで現在の時刻を確認した。夜の九時過ぎだ。翌朝まではまだまだ時間がある。ここで朝まで過ごすというのが夜陰のイベントだ。
「二階の残り、行ってみますか?」
ビビりの松丸はすんなり頷かないだろうことをわかった上で、准は訊いてみた。
「やっぱり行きます?」
「そうですね。このままだと気持ち悪いし」
「わかりました」
どうして参加者が案内人を説得しなければならないのか。
部屋の入り口に向かおうとしたところで、准は昇が頭に手を当てていることに気づいた。
「昇、どうかした?」
「はい。ちょっと頭が痛くて」
見ると、顔色も少し悪かった。
「大丈夫か? 無理すんなよ。ここで休んどく?」
「いいえ、行きます」
「カメラ持とうか?」
「大丈夫です」
昇は折れなかったので、そのまま三人で二階に向かう。
エントランスに出たところで、准は松丸に尋ねた。
「さっきの声、何だったんですか?」
「わかりませんよ」
松丸は自分に訊くなと言わんばかりだ。
階段を上り踊り場に着き、今度は左の階段を上がっていく。
二階のこちら側の廊下にもドアが二つあった。まず手前のドアを開けて中を覗く。
そこは書斎のようだった。部屋の左右にある本棚にびっしりと書籍が詰まっている。難しそうな本が多い。事故物件で空き家となった家は、手つかずのまま乱雑に物が散らばっていることが多いが、この家はそんなことはない。建てつけの状態も良いし、物も整理されている。部屋の奥に窓があって、その近くに椅子と机が置かれていた。
松丸は待機部屋として使うリビングルームだけは綺麗にしているが、それ以外の部屋はそのままの状態だと言っていた。普通人のいなくなった家は荒れるものなのだが。夜陰のイベントで人が出入りしているからだろうか。
「この家どこも綺麗ですね」
准は松丸に言った。
「そうですね。比較的」
「亡くなった執事が未だに家を綺麗にしてるとか?」
准はそんなわけはないと思いつつ、動画用に呟いてみた。松丸は肯定も否定もしなかった。
書斎を出て、まだ入っていない最後の部屋に向かう。
「次が、亡くなった女の子の部屋ですか?」
「はい」
「火事になって、その後修復した」
「はい」
「今はどうなってます?」
「見ればわかりますよ」
それはそうなのだが、准はその部屋に入ることを躊躇した。
先ほど聴いた叫び声のような音を思い出す。
またなにか起きそうな気がした。
動画としての撮れ高にはなるが、正直怖い。
カチャ
ドアノブの回る音がして、目の前のドアが独りでに開いた。
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