二階

 ビリヤード台の上で、赤い球が円を描くようにぐるぐると動いていた。

 緑色の台の上には他にも青、黄色、オレンジなど他の色の球ものっているが、赤い球だけがまるで操られているように動いている。

 准は昇のカメラが動くビリヤード球をしっかり捉えたのを確認してから、ライトで照らしながらビリヤード台に近づいていった。

 年季の入った古めかしい台ではあったが、目に見えるへこみなどは見当たらない。台の傾きによって球が動いているわけではない。窓も締め切っている。風もないだろう。


タッ タッ タッ


 明らかに室内から人の走る足音が聴こえ、准はビクリとした。

 すぐに音のしたほうへライトを向ける。

 何もいない。尻尾の生えたネズミさえ。

「誰かいる?」

 返事はない。やけに静かな静寂に包まれた。

 いつの間にか台の上の赤い球が止まっている。

 それから准はビリヤード台になにか仕掛けのようなものが仕込まれていないか入念に調べてみたが、少なくとも自分にわかるような仕掛けはなかった。

 寒いわけではないのに、鳥肌が立っている。本物の心霊スポットにいる時の感覚だった。

 戸惑っているのか怯えているのかわからないが、松丸も喋らなくなってしまった。お面をつけて黙って立っていられると、それも不気味だ。

 ここは松丸の言ったように遊戯部屋なのだろう。ビリヤードの他にダーツの的もある。奥にはワインセラーと簡易なバーカウンターもあった。休暇にはうってつけ。良い別荘だ。幽霊さえ出なければ。

「誰もいないこの部屋から球を打つ音が聴こえるという話をよく聞きます」

 自分の役目を思い出したのか、唐突に松丸が話し出した。

「監視カメラにもよく映るんですよ。勝手に動き出す球が」

 そういえば各部屋に監視カメラをつけていると言っていた。この家ならいろいろとおかしなものが映るかもしれない。

「客はここで遊んでもいいんですか?」

「はい。道具を丁寧に扱ってさえもらえれば」

 後で昇と対決してみるかと考え、次の部屋に向かうことにした。

 遊戯部屋の隣には倉庫があり、雑多に物が積まれていた。

 吹き抜けのエントランスに戻ってくる。

「次は二階ですね」

 松丸が階段の前で足を止めた。そこから動き出す気配がない。

「行かないんですか、二階」

 准は訊いてみた。

 松丸が少し間を置いてから言う。

「行きたくないですね。お二人だけで行きますか?」

「べつにそれでもいいですけど。松丸さんは?」

「外の車で待機してます」

「それはずるくないっすか?」

「だって怖いんですもん。駄目ですか?」

「闇風呂させますよ」

「勘弁してください」

 松丸は渋々ついてきた。准が先頭で歩くという条件つきで。

 正面の階段を上り、踊り場に着く。そこからは左右に通路が分かれ、それぞれ階段で二階に繋がっている。踊り場の壁は窓になっていた。

「どっちから行きます?」

 准は松丸に尋ねた。

「右から行きましょうか」

 言われた通り右の階段を上がっていく。

 二階は吹き抜けに接している手摺りのある廊下だ。そこから階下を見下ろせる。廊下にはドアが二つあった。まずは手前の部屋に入る。

 かなり埃っぽく、少しカビ臭いにおいもした。一階の部屋とは違い、あまり人が出入りしていないようだ。椅子とテーブルのセット、そしてベッドがある。全体的にくたびれている感じがある。だが准が(近所の居酒屋のように)普段よく行くような廃墟と比べればまだ全然ましだ。ちゃんと掃除すれば暮らすこともできるだろう。廃墟にもたまに家のない人間が暮らしていることがあるが。

「ここは客室だったようです」

 部屋には入らず廊下に立ったまま松丸が言った。それしか言わなかったので、この部屋にはとくに謂われはないらしい。准は部屋の中を一通り調べてから、次の部屋へ向かった。

 廊下の二つ目の部屋も、似たような造りの部屋だった。先ほどよりもやや部屋が広く、家具も多い。この家の主の寝室だったようだ。

「不動産屋に聞いた話ですけど、元々この家には足の不自由な女の子が住んでいたようです」

 松丸が相変わらずの狐面で説明を始めた。

「この家の主人の娘さんですね。小さいころから車椅子生活を余儀なくされて、身の回りの世話は執事がしていたようです」

 少し前に話に出た気の利く執事か。

「そんなある日、この家で火事が起こりました。自分で自由に動けない女の子は、逃げることができません。そして助けに来た執事もろとも亡くなってしまったらしいです」

「それは不幸な事故ですね」

「はい。それが本当に事故だったのなら」

「と言うと?」

「誰かが意図的に火を放ったのか。それとも女の子が自ら火を放ったのか」

「焼身自殺するつもりだったと?」

「わかりません。ただそういう噂があります。出火元は女の子の部屋でした。幸い、かどうかはわかりませんが、火は早くに消し止められ、家が全焼することはなかったようです」

「見た感じ今のところその名残はないですね」

「はい。火事で焼けた部分もまた新しく建て直されました」

「だけどその後から、この家でいろいろと現象が起こるようになったと」

「そうです」

「その女の子の部屋だった場所は」

「向こう側の二階です」

 松丸は吹き抜けを挟んだ向かいにある二階を指した。

 松丸が二階に来たくなかった理由がわかった。この家が事故物件になった原因の部屋がある。


うあああああ


「えっ?」

 急に妙な音が聴こえて、准は戸惑った。一瞬何が起こったのかわからなかった。

 周りを確認しようとする。


うああああああ


「うわ、やばい!」

 今度は構えていたのではっきりとわかった。

 人の唸り声のような、叫び声のような、そんな音が響いた。

「ひぃ!」

 松丸が恐怖で腰を抜かした。

 昇は目を見開いた驚愕の表情のままカメラを回している。


うあああああああ


「おいおい、マジか!?」

 准も怯えて声を出さずにはいられなかった。何者かが連続で叫んでいる。

 音は吹き抜けのほうから響いている。

 恐怖で全身がヒリヒリした。


うああああああああ


ガシャン! バリン!


 叫び声の後、なにか硬いものが割れる音がした。

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