一階
洋館の吹き抜けのエントランスで、建物が軋む音などとはまったく異質なラップ音が鳴り響き、准たちは肝を冷やした。明らかに人が立てたとしか思えないような、叩く音、足音。夜陰の案内人の松丸はもう帰りたいと言っている。准も怖いことは怖いが、だからこそ嬉しくもあった。この物件の撮影は、ネットで配信する動画としてかなりの撮れ高が期待できる。サムネイルで『トリプルS級の危険物件』と評してやろう。他の配信者も多く訪れている有名な場所なだけある。さすが『夜陰-YAINN-』だ。これがヤラセでないのなら。
「松丸さん。じゃあ一階から」
何事もなく話を進めていこうとする准を、松丸の狐のお面が呆れたような顔で見た、気がした。松丸が実際どんな顔をしているのかは闇の中だ。
まず正面右側の部屋に向かう。
ドアを開けると、そこはリビングルームのようだった。手前側にソファが並んだくつろぎのスペース。奥に食卓とキッチンがある。壁際にレンガで造られた大きな暖炉があり、それが目を引いた。暖炉のある家は少し憧れる。これが格安で売られていた物件とはやはり思えない。
「この部屋だけ、ある程度綺麗にしてあります」
松丸がそう言った。
「この部屋はイベント中の待機部屋として使用しています。説明をしたり、朝まで過ごしてもらう用の部屋ですね」
「他の部屋は?」
「まったく手つかずの状態でそのまま残しています。監視カメラだけは置いてありますけど」
「なるほど」
「電気が通っているので、冷蔵庫は使えます。この部屋だけ照明も点きます。他の部屋は点きません」
「わかりました」
准が(近所の居酒屋のように)普段よく行くような廃墟では、もちろん電気など通っていない。ネズミや虫もやりたい放題だ。コウモリだっている。それに比べたら今回はかなり楽な環境だ。
准はライトで照らしながら部屋の中を回っていく。ソファのあるスペースのほうに、テレビがあった。そのテレビ台の左右に二つの人形らしきものを発見した。
「これは?」
「それは、呪物です。その人形だけ、飾りとして夜陰が後から持ち込みました」
それぞれ水色と桃色で編まれた、十五センチほどの毛糸の人形だ。手作りだろう。色からして、男の子と女の子だろうか。顔と手足の部分は白い。よく見ると水色の人形は左手、桃色の人形は右足が無くなっている。初めから無いというより、無理やり引き千切られたような痕がある。不気味だ。
「なにか謂われがあるんですか?」
「まあ人は殺しています。触らないほうがいいですよ」
それが本当かどうかはわからないが、そんなものをこんなところに置くなよ、と准は思った。
「この家で元の持ち主が住んでいたころ、執事を雇っていたらしいんです」
松丸が淡々とした調子で話を始めた。
「執事は家の主のことをとても慕っていたらしいんですが、ある日事故でこの家の中で執事は亡くなりました」
准は話している松丸の表情を確認しようとするが、もちろん動かない狐面が見えるだけだ。
「主にもっと仕えたいという未練があったのかもしれません。イベントでここに泊まりに来るお客さんたちがよく言うんですよ。『なんだか見えない人間にお世話されている気がする』って」
霊がお世話してくれるとでも言うのだろうか? 怖いというより面白い話だ。
「よく聞くのが、初めは何も置かれていなかったその食卓の上に、人数分のティーカップが置かれていた、とか」
准は食卓のほうを向いた。アシスタントの昇もカメラをそちらに向ける。現在食卓の上には何も載っていない。
「あとは、ソファの上で寝入ってしまった時、知らない間に上着を被されていた、とか」
「それが本当だとしたら面白いですね。後で定点をつけて検証してみましょう」
さすがにそんなことは起こらない、と准は疑っているが。
「それでは、次の部屋に」
松丸に促されリビングルームから出ようとした。
その時、准は突然背筋にひんやりとした冷気を感じた。
気になって後ろを振り向く。
カメラを構えている昇が傍に立っている。部屋に中にとくに変化は見られない。
「どうしました?」
「いや。なんか寒っ、て」
「いつものアンテナが反応したのかもしれないですね。ここなんか居そうですもんね」
「ああ」
准は気を取り直して次の部屋に向かった。
一階の右手側にはリビングルームの他にトイレと風呂場があった。
「一応お湯も出るので、闇風呂もできますよ」
「闇風呂?」
松丸が聞いたことのないワードを発したので准は訊き返した。
「ここで一人でお風呂に入って、真っ暗にする。他の人間は全員家の外に出ます。その状態で数十分待機」
「マジで?」
「この物件ではまだやった人はいないですね。一人目になりますか?」
「一旦保留で」
それもイベントの一環というやつだろうか? ひとまずは全ての部屋を案内してもらうことにする。
「昇、お前闇風呂やる?」
「絶対やりません」
吹き抜けのエントランスに戻ってきた。
何気なくライトを照らした前方でなにか動くものがあった。
「えっ?」
黒い影のようなものがススッと横に移動して視界の外に消えていった。
「昇、今の撮った?」
「撮れたかもしれません」
「影が動いたよな」
「はい」
「後で確認してみよう」
まだ腰を据えて検証する段階ではないのに、次々と現象が巻き起こる。期待以上かもしれない。確かにこんなことがいつも起こっていたら、普通の人間なら逃げ出しそうだ。自分ももちろん住みたくはない。
ただここは夜陰の所有物件だ。松丸は初めにヤラセは一切ないと断言したが、まだその線も捨て切れない。ヤラセなしと謳いつつも何かしらの仕掛けを使って見せ場を作り、心霊動画配信者たちにネットで話を広めてもらう。そしてさらに多くのイベント参加者を募り、商売として儲けていく。そういう狙いもあるだろう。素顔を見せない松丸はいかにも怪しい人間だ。准はまだ夜陰のことを信用し切れていない。隙あればその闇も暴いてやろう。
「次は一階の向こう側を見てみましょう」
松丸が一階の左手側に進んでいく。彼の仮面の見えない後ろ姿は、中肉中背の男性だ。
「そっちは何の部屋ですか?」
「遊戯場ですよ」
ドアを開けて中に入り、暗い室内をライトで照らす。
部屋の中ほどにあるビリヤード台が目に入った。
そのビリヤード台の上で、赤い球が勝手にごろごろと動いていた。
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