子殺し
壮一は父を刺した犯人が亜紀ではなく、正木京子なのではないかと疑いをかけた。
「先ほど天使の家に病院から千堂亜紀さん宛てに電話があったんです。私が取り次いだので、知っていたまでですよ」
正木は澄ました顔で答える。
「そんなわけあるか。ただでさえ居場所を知られると厄介なことになる相手に、わざわざ連絡するかよ。警察沙汰にするかも悩んでいたってのに」
「被害届を、まだ出していないのですか……?」
正木の声に、焦りが生じた。
「父さんは知らない女に刺された、これ以上家族を巻き込みたくないの一点張りだった。だから被害届も何も出さないで何事もなかったかのように引っ越しをして、俺のこともどうするかって病院で散々今の奥さんと喧嘩してたんだ。警察沙汰になったら、前の家族のことで今の家族に迷惑かけるって言って……」
壮一の話に、亜紀の顔がどんどん青白くなっていった。
「だから、俺が犯人をちゃんと自首させないといけないって思って直談判しに来た。まだ生きてるんだから、きちんと償ってほしい。父さんはどうせこいつのこと変に庇って適当なこと言ってるんだって思ってた」
壮一は正木を睨み付けた。
「でも、父さんは嘘をついていなかった。本当に知らない女に刺された。でも背景をいろいろ考えて、こいつ以外に恨みを買ってる可能性があるなら黙って逃げた方がいいって判断したんだと思う。また知らない女が今度は自分の別の家族を刺すかもしれないって思ったんだ」
壮一の推論を、正木は眉ひとつ動かさず聞いていた。
「証拠はあるんですか?」
「ないよ。でも、あんたの顔を父さんに見せれば十分だろう?」
「そんな推測より、凶器がどこにあるかではないのですか?」
「あんたなら、こいつの部屋に簡単に凶器を隠すことができる。あんたがやってない証拠もない」
職員たちはおろおろと正木を見つめていた。続けて、壮一は正木に一番聞きたいことを尋ねる。
「なあ正木先生、ひとつ聞いていいですか? どうして俺を、シキにしたんですか?」
その質問に、正木京子は大きなため息をついた。
「まあ、余計なことを知ってきたのですね。だから外の世界になんか行かないほうがよかったのに……」
「だって、あんたの息子もシキなんだろう? どうしてそんなに、シキを作ろうとしたんだ?」
「だから言ったのよ。男の子が余計な知恵をつけると母親の側から離れていくばかりでいけない、って。どこの誰? そんなあなたに変なことを教えたのは。教えてちょうだい」
壮一は正木京子の冷たい口調にドキリとする。それは白水飛鳥の自分勝手で飛躍する論理の話によく似ていた。
「嫌です。俺は、俺のことを知る権利があります。どうせあんたがこいつに俺のこと殺せって命令したんだろう!?」
「そんな下品なこと言うわけないじゃない。私はただ新鮮な死体があればいいって言っただけよ。それを勝手に解釈してあなたの溺死体を見せてきたのは、あなたの母親よ。びっくりしたわ、まさか本当に殺すなんて思わなかったから」
正木の言葉に、壮一も亜紀も固まった。
「よかったわねえ。私がいなかったら、あなた今頃風呂で溺れ死んだままだったのよ。感謝されることはあっても、誹られるいわれはないのよこっちは」
「じゃあなんで……父さんを刺したんですか?」
正木は壮一の質問に、鼻で笑った。
「でも、あなたもこの女が捕まったほうが都合がいいでしょう? 考えもなしに喚き散らして、翼の伝道師になれないあなたが不憫だって毎日私のところに相談しに来るのよ? たまったものじゃない。だったら、いっそ元旦那が死ねば壮一は手元に帰ってくるって言ったのよ」
壮一は亜紀の方を見る。泣きじゃくりながら亜紀は正木を見ていた。
「それなのにこいつは私の言うことを聞かないでグズグズして、いつまでもメソメソして鬱陶しいことこの上ない。それならいっそ、この女が殺したってことにしてもらおうって私が考えてもおかしい話じゃないでしょう?」
全くおかしい、と壮一は思った。しかし、さも正論であるかのように語る正木の前でそれを口にする勇気が出なかった。
「ああそう。そのシキっていうの、あなたもあっくんみたいに立派な力があれば組織のためにもいいと思ったんだけど、あなた何も利益を生みそうになかったじゃない。しばらく様子を見ていたのに、ただの穀潰し。結局シキなんてものに夢見た私が悪かったの、ごめんなさいね。でも、助かったんだからよかったんじゃない。溺れ死ぬよりマシでしょう?」
――怖い。
壮一は目の前で語る壮年の女性が怖くて仕方がなかった。この女とは、何を言ってもわかり合えない。それどころか、自分の意見が正しいように見せかけて相手を支配しようとする。それは白水飛鳥も同じであった。
亜紀は正木を見ながら涙を流している。壮一は亜紀を見て、自分も亜紀のように何かを盲信して、全てを無くしても平然としているようなところがあったらどうしようと不安になった。
――嫌だ、もうこんなのと一緒にはいたくない。
――俺は、俺でやっていきたいのに。
壮一が震えていると、亜紀が震える声で呟いた。
「そうちゃん、もういいのよ……お母さんが悪かったの。ごめんなさい、本当にごめんなさい」
亜紀はふらふらと立ち上がる。
「ごめんね、お母さん、悪いお母さんだった。もういいお母さんになれないね。ごめんね」
運悪く、その日軽作業で使った道具がテーブルに出しっぱなしになっていた。その中に大型のカッターナイフがあったことも、ただの偶然であった。
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