親殺し
島村マナブの最後の配信を終え、茉莉たちはしばらくインターネットでの反響を追跡していた。
瑛人の拡散した動画の再生数はどんどん跳ね上がり、「必見、死にたい人はすぐ見て!」というコメントと共に茉莉の演説動画がどんどん拡散していった。動画と共に書き起こし記事も人気になり、瞬く間にネットが「自殺やめよう」の色に染まっていく。
「あ、ネットニュースになってる」
配信した二時間後には、ニュースサイトに例の動画が掲載され「自殺やめて」が各種SNSでトレンド入りした。同時に「島村マナブの中の人の考察記事」など便乗する余計な情報も現れたが、少なくともこの空気の中で自殺配信をするのは自殺よりも勇気のいることだった。
「やれるだけのことはやったし、あとは結果を待つしかないね」
一通りの手筈を終え、瑛人はようやく作業を止めた。それから瑛人が持ってきた遅い昼食を三人で囲んだ。
「そうだ、さっきの話を教えてくれよ。死刑がどうとかって奴」
瑛人に尋ねられ、茉莉と壮一は顔を見合わせる。
「一応話はするけど……信じる信じないは任せるよ」
壮一と茉莉は、わかっているだけの事情を瑛人に聞かせた。案の定、瑛人は信じられないという表情しかしなかった。
***
それから午後遅くまで、三人はパソコンの前で島村マナブの配信の反応を追い続けた。反発もあったが、概ね好意的な意見が多く茉莉は肩の荷が降りた思いだった。
「さて、そろそろ夕食の準備の時間だけど……」
瑛人がちらりと壮一を見る。そろそろ亜紀が天使の家に帰ってくる時間であった。壮一はひとり椅子から立ち上がって、茉莉と瑛人に告げた。
「あのさ、俺ひとりで行ってくる。みんなに迷惑かけたくないから」
「迷惑?」
茉莉は首を傾げる。
「うん。これは完全に俺の問題だし、それに瑛人ならわかると思うけど、うちの母親は……」
壮一は万が一、亜紀がヒステリーを起こして茉莉を傷つけるのではないかと恐れていた。塾にやってきた際は相手が柴崎塾長と佐野であったため大人しく引き下がったが、若い女性の茉莉では逆上して掴みかかってくることも考えられた。
「わかった。鳴海先生と一緒にここにいる」
茉莉は壮一と瑛人の顔を交互に見て、二人の判断を尊重することにした。
「大丈夫だ。他の人も帰ってきてるし、いざとなったら俺も出て行くから」
瑛人に励まされて、壮一はひとり大ホールに戻った。茉莉を巻き込みたくないというのも壮一の本音であったが、母親に会うだけで泣きそうになっている自分を見られたくない、という思いもあった。
「お母さん」
一度だけ、壮一は小さく呟いた。そしてもう二度と、その言葉を口にしないと決意する。お母さんは死んだ。そう壮一は自分に言い聞かせた。
***
壮一が大ホールに戻ると、奉仕活動から帰ってきた職員の姿がちらほらと見えた。
「そうちゃん!」
職員たちの中から、壮一の姿を見つけた亜紀が飛び出してきた。
「そうちゃん、帰ってきてくれるってお母さん信じてたからね! よかった、そうちゃんがいなくなってどうしようってずっと心配だったのよ! またお母さんと暮らしてくれるのよね、そうちゃん!?」
喚き立てながら亜紀は壮一を抱きしめようとしたが、壮一は亜紀の手を払いのけた。
「汚い手で触るな、この人殺しが!」
「そうちゃん……?」
亜紀は屈託のない瞳で壮一を見ていた。そのことがますます壮一を苛立たせる。
「お前、一昨日何やったんだ? こんなところにいる場合じゃないだろ!? なあ、行くぞ、警察」
「ねえ、そうちゃん何を言ってるの? 警察? 人殺し? 一体何の話なの?」
亜紀はわけがわからないという顔で壮一を覗き込む。
「ふざけんなよ、お前自分の元夫刺したの覚えてないのかよ!?」
「達也さんが刺されたの!? ねえ、それっていつの話!?」
「お前が刺したんだろ!?」
壮一が亜紀に掴みかかったことで、慌ててそばにいた数人の職員が二人を引き剥がした。
「ねえそうちゃん、本当にお母さん何も知らないの。怒らないで、教えてちょうだい」
「知らないで済ませるわけないだろ! 状況的に考えてお前しかいないんだよ! 俺のことも殺したくせに! あれは事故なんかじゃなかった! 六年前、俺はお前に殺されたんだ!」
壮一の言葉に、職員たちがぎょっとして亜紀を見た。「壮一が風呂場で事故にあった」と聞いていた職員たちは、一斉に亜紀を疑った。
「ちょっと、そうちゃん何言ってるの? お母さん何言ってるかわからないよ……」
「わけわかんねえのはこっちだよ! 聞いてんのかこのクソババア!」
再度亜紀に壮一が掴みかかろうとすると、大ホールの入り口から声がした。
「何の騒ぎですか?」
大ホールが水を打ったように静かになった。そこにやってきたのは、正木京子であった。
「まあ、壮一君。よく戻ってこられましたね。お父さんの怪我の具合は大丈夫だったんですか?」
「大丈夫なわけねえだろ! こいつに刺されて、集中治療室にまで入ったんだからな!」
頭に血が上っている壮一に、亜紀は再度疑問を投げかけた。
「ねえ、そうちゃん。達也さんが刺されたって本当なの……?」
「だからお前が刺したんだろ!? 自首するぞ、自首」
壮一は亜紀の腕を思い切り掴む。壮一の剣幕に、亜紀は混乱しているようだった。
「嫌よ、お母さん警察なんか行かないわよ。お母さん、何も悪いことしてないんだから!」
「嘘つけ!」
「お願い、本当に私は何も知らないの。そうちゃんお願い、信じて」
「今更信じられるか! 散々俺のこと好き勝手やっておいて、挙げ句の果てに俺のこと殺して生き返らせて、それで俺のこと献上しようとしていたんだろう!? ふざけるな!!」
壮一の亜紀に対する溢れ出した怒りは、留まるところを知らなかった。不登校の強制、天使の家への実質的軟禁、事故に見せかけた殺人、そして瑛人から聞いた「救済師の儀」の真実。壮一にとって、全てが汚らわしいものでしかなかった。
「亜紀さん、あなた前の旦那さんのこと刺したんですって? 本当なんですか?」
「本当に、私は知らないんです……」
正木の言葉を受けて、職員たちも亜紀に疑いの目を向ける。
「知らないってことはないでしょう? あなたこの前も旦那さんと喧嘩して、泣きながら帰ってきたでしょう? もう二度と壮一君に関わらないでほしいって言われたのよね? だから刺してしまったんでしょう?」
正木に詰められ、亜紀は弱々しく俯いて涙を流し始めた。
「ねえそうちゃん、お願い、お母さん、悪いことはしてないのよ……」
「してるだろ! 全く、なんでこんな女をあいつは庇うんだ!?」
その時、壮一は父の達也が「誰に刺されたのかわからない」と言い張っていたのを思い出した。そして亜紀が事件を知らなかったことに加えて、何故正木が亜紀を追求するのかについて不自然に感じた。
壮一はもう一度父が刺された件について考えた。そして、あることに気がついてしまった。
「正木先生。なんでさっき、俺の父が怪我をしたって知ってたんですか……?」
その場が一瞬凍り付いた。正木京子は変わらず笑顔を浮かべている。壮一は泣き崩れる亜紀を庇うように正木の前に立った。
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