レクリエーションルーム

 天使の家に潜入した佐野と茉莉は、壮一の案内で大ホールに案内されていた。寒々とした空間に置かれた大人数用のテーブルに、三人はとりあえず腰を下ろす。


「ここで食事をしたり、みんなで集まって軽作業をします。今はみんなそれぞれの奉仕に行っているので、誰もいないですね。昼食の時間になれば施設内で奉仕している人たちが集まってくるはずですけど」


 茉莉は珍しげに、きょろきょろと施設内を見渡す。天使の翼会の教義のようなものが書かれた紙があちこちに掲示され、目立つところに大きく食事当番の表が貼り出されていた。佐野は入口に置いてあった天使の翼会のパンフレットを持ってきて、目を通している。


「飯食える奴は広間で食事って、なんだか閉鎖病棟みたいだな」


 佐野の発言に茉莉はドキリとするが、壮一は平然と応じる。


「元々、建物の造りも老人ホームでしたから。俺もよく奉仕活動でいろんな福祉施設に行きましたけど、そういう施設とかって大体こんな感じですよね。ホールがあって、ご飯の後はそこでレクリエーション、みたいな」


 壮一の「福祉施設あるある」に佐野は大きく頷いた。


「そうそう。こういう集団生活って嫌だよな。ひたすら周囲に気を遣う割には、あんまり向こう側は俺に対して気を遣ってくれないし」

「でもなんだか気を遣ってないって思われるのも嫌で、結局我慢しちゃったりしません?」

「するな。だから早く退院したくて、担当医殺す方法ばっかり考えてた」

「だから退院できなかったのでは……」

「そうかもしれない」


 全く場が和まない雑談をしてから、佐野は壮一に向き直る。


「一応確認しておくが、お前は自分の母親にどうしてほしいんだ?」

「もちろん、警察に行ってもらう」


 壮一はある程度覚悟を決めているようだった。


「ここまで来たら、それしかない。この前も家の前で騒いで、お父さんが追い払ったんだ。それなら俺がもうどうにかしないと……俺のせいで、関係ないお父さんの家族にまで迷惑かけてしまって……」


 それでも自責の念にかられている壮一に、佐野は声をかける。


「それは違うぞ、壮一。お前は迷惑をかけてない。悪いのはお前の母親で、お前は何ひとつ悪いことをしていないじゃないか」

「でも、俺がいるとみんな不幸になるって……」


 壮一は昨日聞かされた「不幸を際限なく呼び寄せる」という体質について気にしているようだった。


「それとこれとは別だ。お前の父親が刺されたのは、刺した犯人が悪い。それ以上のことを考えるな。そこから先は『自分がいなくなるしかない』しかないんだ」

「じゃあ、どうすればいいんですか。どうしようもないじゃないですか」

「そうだな……俺は、起こった出来事は起こった出来事として何か意味があるって思うようになった、かな」

「どういうことですか?」


 壮一の問いに、佐野は答える、


「例えば、昨日も話したけど俺は刺された上に家族を一気に失った。もうそれは不幸中の不幸なんだけど、きっとそれは不幸の中でひとつだけ俺がもらった幸福なんだって考えるようにしている」


 壮一は不思議そうな顔をする。


「俺がちょうどお前くらいの頃、なんて俺は不幸なんだって毎日泣いてたよ。生きていたくない、死にたい、どうして俺だけ生き残ったんだって自分を責め続けた。悪いのは犯人なんだけど、状況が酷すぎて犯人を恨むとか当たり前のところにまでいかなかった。もちろん人並みに恨んではいるんだが、な」


「だけど、自分も関係ない他人も恨んでも仕方ない。特に自分を責めたっていいことはひとつもない。最近になってようやく『お前は悪くない』って受け入れられて、いろいろ事件のことを振り返られるようになった。やっぱり俺、悪くないじゃんって」


「その中で、どうして俺は生き残ったんだっていうのを自分なりに考えられるようになった。事件の日、俺はたまたま帰りが遅くなった。でも、もし帰る時間がいつも通りだったり、もっと遅かったらどうなっていたかって考えるようになったんだ」


「帰る時間がいつも通りだったら、俺は間違いなく一緒に襲撃されて殺されていたと思う。じゃあ、犯人が逃げた後に帰ったら俺は刺されなかったのかって考えた。確かに刺されないんだが、その代わり俺は変わり果てた家族を見て発狂していたかもしれない」


 茉莉は源東市一家殺傷事件の概要を思い出し、少し気分が悪くなった。概要だけでも気分が悪くなる事件の当事者である佐野の心境を思うと、息が苦しくなるようだった。


「一応知る義務はあると思って、それぞれどう殺されたのかみたいな話は裁判で全部聞いた。聞いただけでも耐えられない話なのに、実物を見ていたら俺は今こうしてここにはいないと思う。そう考えると、俺はなんて幸運だったんだろうって思う。久しぶりに家族に会ったらみんな遺影と箱になってたときは絶望しかなかったけど、あれはあれでよかったって今だから思えるよ」


「だから、起きてしまったことは起きてしまったこととして、今に繋がっている中で良かったことを探すしかない。少なくとも、今回のことで俺は茉莉センセやお前に出会えて少し人生が上向いたって思ってる。自分の話をしてもいい奴って、なかなかいないじゃないか」


 壮一は佐野の話に大きく頷いた。


「なあ壮一。お前は悪いことしてないんだから、堂々としていろ。悪いことした奴はそれなりの報いを受けるのが因果って奴だ。俺は散々他人を呪ったけど、今思えば俺ごときに呪われるような奴はろくな目に合わないんだ。思えば呪いっていうのはきっかけでしかない。最終的にそいつの業がそいつに戻っていくだけなんだ」


「つまり、お前はとりあえずお前の罪だと思うものを全部母親に投げつけろ。少なくとも、どんな理由があったとしても非のない息子を殺そうとする母親なんてろくなもんじゃない。俺はどんな形でも家族が生きてる奴は羨ましいって思ってたけど、そんな俺でもお前の母親は異様だと断言してやる」


 冬至の頃、午前中の室内に日の光はあまり届かない。それでも茉莉は壮一の顔が明るくなったように見えた。


「もう一回言うぞ、お前は悪くない」

「……ありがとうございます」


 壮一が佐野に頭を下げたその時、大ホールに駆け込んでくる者があった。佐野と茉莉は壮一の母親――千堂亜紀せんどうあきが来たのかと警戒したが、やってきたのは若い男性だった。


「壮一! なんで帰ってきたんだ!?」


 やってきたのは、壮一の友人の若林瑛人わかばやしえいとだった。

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