第12話 天使の家

神はいない

 翌朝早く、佐野と茉莉、そして壮一の三人はかつて壮一が過ごしていた天使の家を目指して電車に乗っていた。壮一が暮らしていた「天使の家」は隣県にあり、源東市から向かうには在来線をいくつか乗り継ぐ必要があった。


「塾長には三十九度の熱でインフルエンザって言っておきました」


 朝早く茉莉はアルバイトを休む口実に仮病を使った。柴崎塾長から「お大事に」とそっけない返信は来たが、内心は大荒れであろうことは茉莉も予想が出来た。


「それなら二、三日帰れなくても大丈夫だな」

「え、そんなにかかるんですか? お泊まりセット持ってきてないんですけど」


 ぎょっとする茉莉に、相変わらず黒ずくめの佐野が追い打ちをかける。


「そういうところって、怪しいセミナーに泊まり込みで参加させられて洗脳させられることとかあって、三日三晩『あなたの人生が暗いのは信心が足りないからです』って入信するまで耳元で囁かれ続けるらしいぞ」

「うう、嫌だあ……」


 いかにもな新興宗教の勧誘を想像している二人に、壮一がコメントする。


「天使の翼会はそういうことしないですよ。新人にはまず奉仕作業に参加させるんです。それでとてもよく出来たってその場にいる全員で褒めまくって、何度も奉仕作業に参加させるんです。そのうち気持ちよくなってきたところで、もっと褒められるには救済師になるといいよって……」


 かなり真に迫った壮一の話に、佐野も茉莉も返答に困ってしまった。


「俺たちは祝福を授けるって呼んでました。些細なことでも褒めて褒めまくって、あなたを褒めない周囲はよくない縁だから切りなさいっていう感じです」

「それはそれで、怖いんだよなあ……」

「大丈夫です。佐野先生も鳴海先生も頭がいいから、いつも褒められているでしょう? 褒められが足りない人が救済を求めてくるのが天使の翼会なんです」


 時に教え諭すような口ぶりになる壮一に、茉莉は他の中学生と違う、何か異質なものを感じた。


「そうだ、本拠地に着く前に聞いておきたいことがあった」


 佐野が話題を変えるように、茉莉と壮一に向き直る。


「茉莉センセが事故にあったのはいつの話だ?」

「私は、中三ですけど」

「今は、大学三年。間違いないよな?」

「嘘ついてどうするんですか?」


 少し考え込んで、佐野は壮一の方を向いた。


「壮一、お前が風呂に沈められたのはいつだ?」

「えっと、小学三年生のときです」


 茉莉に続いて、佐野は壮一にも例の死にかけた時期を尋ねた。


「……そっか。やっぱりそうだ」

「何がそうなんですか?」


 ひとりで納得する佐野に、わけがわからない茉莉と壮一は顔を見合わせる。


「今は確証がないけど、状況的にはそうだろうなって話」

「だから何なんですか?」

「確証が出たら教えてやる。逆にそれまでは教えられない」

「何を教えてくれないんですか?」

「出来れば、気のせいであってほしいことだ。俺の気のせいだったら、それでいい」


 佐野はこれ以上の追求に答える気はなさそうだった。「じゃあ、わかったら教えてくださいね」と壮一が添えてこの話題は終わった。


 茉莉は、佐野の考えることはおそらく「気のせい」なんかでないことを感じ取ったが、シキに関することで何か非常に恐ろしいことが待ち構えているのだろうと暗澹たる気分になった。


***


 最寄り駅を降りてからバスを乗り継ぎ、壮一の案内で一行は天使の家まで向かって歩いていた。冬晴れの乾燥した空気が三人の肌を刺す。


 歩きながら、一行は今後の方針を確認する。壮一は父が怪我をしたことを母に伝えるため、そして佐野と茉莉は壮一から救済の話を聞いて天使の翼会に興味があるという設定が作られていた。


「あの、偽名とか使った方がいいですよね?」

「茉莉センセはそうしたほうがいいかもな。ついでにその辺は俺に任せてくれないかな」

「お任せすると、どうなるんですか?」

「お二人はどういう関係ですか、って聞かれたら兄妹きょうだいって答えようと思う」

「ええー……」


 露骨に嫌そうな顔をする茉莉に、佐野は真面目に答える。


「こういうとき無難だろ。職場の同僚、だと何のお仕事ですかって話をしなくちゃいけない。いっそ恋人同士、ってことにするか?」

「兄妹で結構です、お兄さん」


 茉莉は佐野を見ないように澄ました顔で答える。


「もうすぐ着きます……設定通りでお願いしますね」


 壮一が声を潜める。


 天使の家は、古くなった老人ホームを買い取って改装した施設だった。元の老人ホーム自体は別の場所に新しく建てられたそうで、正式名称は「天使の家」ではなく「NPO法人ボランティア派遣センター」であった。


「確認ですけど、天使の翼会は自分の団体を宗教だと思わせていないんです。だから神様とか仏様とか、そういうのはナシでお願いしますね。あくまでも『天使様の元で奉仕がしたい』と言い張ってください」

「どっかの映画みたいだな」

「うちはお布施とか献金とか、そういうのを本当に嫌うんですよ。そういうところを見下して、うちのほうが立派だってやってるからダメなんです」


 佐野と茉莉は壮一の見解に苦笑いをする。そしてようやく「天使の家」の正門玄関前までやってきた。


「いいですか、入りますよ」


 壮一が玄関を潜ると、その場にいた職員らしき女性が壮一の顔を見て驚く。


「壮一君、いきなりどうしたの!?」

「ちょっと用があって、母に会いに来ました」

「……そちらの方は?」


 職員に警戒されたところで、佐野が進み出た。


「こんにちは。僕たち壮一君のお話を聞いて奉仕活動に興味を持ちまして、是非お話をお伺いしたいと無理を言って連れてきてもらったんです」

「そうなの?」


 訝しがる職員に、壮一は大きく頷いて見せた。佐野は職員女性に例の名刺を渡した。


「僕はこういう者です。こっちは妹のエリカと言います」

「……少々お待ちください」


 職員女性は名刺を受け取って、施設の奥へ一度消えた。茉莉は佐野が殺された姉の名前を出したことで心臓が高鳴った。そこでようやく、茉莉は佐野が本当に自身の事件について確かめたいことがあって来ているのだと確信した。


「ここで待たなくていいです。中で待ちましょうか」


 壮一はさっさと二人を施設内に招き入れる。茉莉はこの先二人に安寧が訪れるよう、壮一の言葉に反して心の中で神様に祈ってしまった。

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