第16話

 こうして次郎の刑務所生活は始まった。


「イッチ・ニィ・イッチ・二ィ」


「ぜんた~い、止まれ!」


「イッチ・二ッ」


 刑務所生活はいつもこの掛け声で始まる。


 受刑者が歩く時は行進をしなくてはいけないのだ。


 軍隊さながらである。


 下獄するとまず、新入考査工場というところに2週間ほど配属される。


 そこでみっちり行進動作を叩き込まれるのだ。


 実はこの動作だが、各刑務所によって微妙に違うのだ。


 全国統一ではダメなのだろうか?そしてこの考査工場を経て、各工場に分類されるコトになる。


 次郎が分類されたのは金属工場であった。


 刑務所に入所するコトは、何のプラスも無いのだが、一つだけ為になるコトがある。


 それは各県の人間と知り合いになれることだ。普通の暮らしの中では、他所の県の人と知り合うコトなどあまり無いだろう。


 懲役に行き、この他所の県の人と知り合えるのが、唯一の財産に成るのだ。


 不良であればなおさらで、シノギの幅が広がるのだ。


 うちの県ではこんなシノギがある、なんて聞いているだけで勉強になる。


 しかし、それは話し半分である。皆、自分の話に尾ひれを付け、盛って話している輩が多いのは事実である。


 まともに信用して居ては、後でバカを見る羽目になる。


 出所してみないとホントのところは分からない。


 出所して会ってみれば、何やコイツなんてコトはよくある話しである。


 そんな中でも次郎は何人かと仲良くなり、出所してからの再開を約束していた。


「映画やドラマみたいに、あれから4年…みたいにならんものかねぇ」


「ははは、畠中さん、そんな訳にはいかないよ」


「それにしても、この懲役ってヤツは。全く色がない、灰色一色やないですか」


「ま、そうですね。言われて見れば、どこ向いても灰色ですね」


「早く出所したいっすゎ」


「まだ、来たばっかりやないですか?」


「そうですが、ここに来たら時間がホントゆっくりやけ。どうにかなりそうですゎ」


 娑婆では一日で出来ることが、懲役では1週間も2週間もかかってしまう。


 本の差し入れがあっても、その本が自分の手元に届くまで2週間は普通にかかるのだ。


 手紙を出すには、発信日と言決められた日があり、その日にしか出すことが出来ない。


 それ以外の日に早急に発信したい時でも、特別発信と言うシステムもあるのだが、それでも手続きやらで、2日くらいかかってしまう。


 こんなところで何年も生活したら、きっと頭がどうにかなってしまうはずだ。


 たとえ親兄弟が死のうが、出ることは許されない。


 出所日が来ない限りは、絶対に出られないのだ。


 もし無期懲役と言われたら、次郎はきっと発狂してしまうだろう。


「畠中さん。 今回仮釈狙っているのですか」


「まさか、仮釈なんか今までもらったこと無いですわ」


「ま、でも辛抱仮釈、損気は満期ですよ」


「満期で良いですわ。満期が楽ですゎ」


「たしかに、泣いても笑ってもその日が来れば出られるのですからね」


「仮釈考え出したら、タダでさえ長い懲役がもっと長く感じますゎ」


 懲役刑には仮釈放と言う制度がある。


 仮釈放で出所しようとするなら、いくつかの条件がある。


 娑婆に出たとき、身元を引き受けてくれるものが居る。


 被害者が居る事件の場合は、その被害者感情が審査条件に入る。


 勿論、審査基準は知らされない。


 そして一番大事なのは、受刑者本人が規律違反を起こさず、真面目に務めて居ると言うコトなのだ。


 人間なのだから、ちょっとした油断は必ずあるものだ。


 例えば作業をしていて、目の前を視察の為に刑務官が通るとする。


 目の前が刑務官の影で暗くなり、反射的にその方向を見てしまった。


 これだけで「脇見」と言う立派な規律違反なのである。


 今一例を述べたが、こんなレベルの違反行為は数えられない程ある。


 その上刑務官のとり方次第で、どうとでも捻じ曲げられてしまう。


 そんな不条理の中で、仮釈放で出所することなどとても出来そうにない。


 真面目にすれば、少しだけ早く出所させてあげるから頑張って真面目にしなさいと、受刑者の心理状態を読んだよく出来た制度である。


 しかし、一日中気を張って生活しないといけない。


 仮釈放が近づいて来ている受刑者が毎日まだかまだかと、イライラしたり、ソワソワしたりしている姿を見ると、一日が長いだろうなぁと思えて来る。


 だから次郎は、はじめから満期で出所するのだと決めているのだ。


 その方が絶対に楽であるに違いない。


「畠中さん、出たら何をするのですか?」


「いや、まだ何も考えとらんのですよ」


「そうですか、いやね、自分もまだ考えてはないのですが、畠中さんとなら何か出来そうな気がするのですよね。 出たら組んで何かしましょうよ」


「ええですね。何かしましょう」


「約束ですよ。自分が少し早く出るからハガキ入れときますゎ。連絡下さいね」


「絶対連絡します、ハガキ頼んますゎ。何かしましょう」


「ええ、何かしましょう」


 全くお笑いである。


 何をするかも決まって無いのに、何かをすると言う約束だけが成立しているのだ。


 いったい何をするのだろうか?


 ハガキを入れると言うのは、文字通りで出所した人間が連絡先を書いたハガキを、まだ残っている人間あてに郵送するのである。


 勿論、そのハガキは本人の手元には届かない。


 官がストップをかけるのだ。


 しかし出所するときには交付される。


 いくら刑務所でも勝手に捨てることは出来ないのだ。


 出所する前は、ノートやら私本やら、徹底的に検査される。


 受刑者間での連絡の交換は、絶対に許されないのである。


 もし書いているのが見付かれば、廃棄処分か上から塗りつぶせと強要される。


 仮釈放で出所する人間の場合だと、最悪、仮釈放の取り消しになるだろう。


 受刑者の方も分かっているから暗号で書いたりするのだが、娑婆に出て、ノートの暗号を解こうとしても分からなくなっていたなんて話はよくあるのだ。


 せっかく聞いた連絡先も、教えた本人自体が何年も娑婆を留守にしている間の連絡先なのだ、繋がらない可能性は充分にあるのである。


 だから絶対に連絡を取り合いたい相手にはハガキなのである。


 実際ハガキを入れると言いながら、入れない輩も多いが、簡単な約束すら守れないような人間なのだ、付き合う価値もないだろう。


「畠中さん、いや、次郎ちゃん。 それじゃあ先に出るけど、残り頑張ってや」


「寂しくなるよ、信ちゃん。 もっとゆっくりして行けば良いのに…」


「ははは、相変わらずやね。 次郎ちゃん、娑婆で待っとるから」


「出てからは、ゆっくりやで。 焦っても何も良いことなんかないから」


「分かっとるよ。 ハガキは絶対に入れとくからね」


「連絡、絶対にするから、信ちゃん」


 知り合いが出所することは、とてもおめでたいコトなのだが寂しい。


 特に残される方は、たまらなく寂しい。


 それでも懲役は続くのだ。


 明日満期出所隔離になるのは、村上信也と言う名前だ。


 始めの頃は、お互い「さん付け」で名前を呼びあって居たのだが、今ではすっかり仲良くなり「ちゃん付け」で呼び合う様な仲にまで成って居たのだ。


 これからの次郎の人生に大きく関わってくる人物である。


 一人が出所し、また1人出所する…仲の良い人間が出所するたびに、次郎は取り残される様な気持ちに成る。


 そんな日々が暫らく続いたが、いつの間にか次郎の出所の日も近づいて来た。


 来年の春には、次郎も晴れて満期出所だ。


そして次郎の3度目の懲役が終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る