第9話

「兄ちゃんよう、この台やるわ」


「えっ、マジで?この台まだまだ出ますよ。いいのですか?」


「おう、こうバンバン出ると、逆に面白うないんや」


「はぁ、じゃあ頂きますね。あざーっす」


 スロットコーナーの隣の台で打っていた、貧乏くさい兄ちゃんに台をやった。


「うわぁ、キタキタほら、これ閉店まで出続けますよ、きっと」


「そうか、良かったな。まぁ頑張って打ってくれや」


「あざーっす」


 次郎はすることがなく、暇つぶしに入ったパチンコ屋で大当たりを引いてしまった。


 しかし、金に困っている訳でもなく、カジノに比べると笑いが出るようなレートに全然楽しめない。


 こんな物に一日中張り付いて居る、人間の気持ちが理解出来ない。


 一日張り付いても、儲けは知れている。


 ひと昔前の自分はきっと、この貧乏くさい兄ちゃんのよだったに違いないのだが、その頃のことを思い出せないのだ。


 人は何かを得て、何かを失う。


 銀行に入っていた一億を下すのに、十日も掛かってしまった。


 口座は凍結されるでもなく、もしかしたら洋一のヤツ黙秘で頑張っているのかもしれない。


 捜査の手がまだ自分のところまでは伸びてない、次郎はそう確信した。


「おう兄ちゃん、飲みに行くか?」


 パチンコ屋が閉まる時間帯を見計らって、さっきの兄ちゃんに声をかけた。


「えっ俺ですか?誘ってくれるのは嬉しいのですが、先立つものがちょっと…」


「そんなの俺が誘っとるのやで、兄ちゃんに出さすかいな」


「えぇぇ、良いのですか?」


「おうよ、今日こうして横に座ったのも何かの縁やで。付いてきぃや」


「あ、あざーっす」


「ところで兄ちゃん、俺はこっちの人間やないから、面白い店とか分からん。どっかお勧めの店とかあったら教えてくれや?金はあるから高い店でも気にせんでいいぞ」


 その瞬間、兄ちゃんの眼が いやしい光を放った。


「兄貴と呼ばせてもらって良いですか?今日はとことん兄貴に付いて行きます」


「おう、何とでも呼ばんかい。じゃあ朝まで付き合えや」


「はい兄貴」


 貧乏くさい兄ちゃんは、アキラだと名乗った。


 フリーターだと言うが、今はバイトをしていないらしい。


 と言うことは、フリーターではなくプータローだ。


 今は高円寺のボロアパートに住んでいると言う。


 家賃も3か月払ってないらしく、そろそろ追い出されそうだと、恥ずかしげもなく語った。


 アキラは貧乏くさいのではなく、本物の貧乏人であった。


 そして金を嗅ぐ臭覚は効くらしい、次郎を絶対に離さないと言った勢いで、一生付いて行くと言い出した。


 アキラが案内した店は、自分の金では一生飲みに来られないような高級キャバクラだった。


 アキラは酒癖が悪かった。


 嫌がるキャバ嬢の太ももに手を置いて離そうとしない。


 席を立とうとしたキャバ嬢の尻に、偶然を装って顔を当てると言った高等テクニックを持っていた。


 さらに、トイレに行こうと立ち上がり、わざとよろけた振りをして、キャバ嬢の胸に肘を当てているのを次郎は見逃さなかった。


 こんな貧乏人には絶対になりたくない。


「アキラ、飲みよるか?」


「はい兄貴、飲んでいます」


 そう言いながら、また偶然を装い、隣の女の子の胸に肩を押し付けていた。


「そうか、じゃあシャンパン入れたるわい。おい、ドンペリ持ってこいや」


 店が一瞬にして沸いた。


「ありがとうございまーす。ドンペリ入りまーす」


「おう、何やこれピンクやないか」


「もっと高いの持ってこんかい」


「え~、良いのですか?」


「おお、ブラックでもプラチナでもゴールドでも持って来いや」


 また、店がわっと沸いた。次郎は気持ちよくなって来た。


「今言うたヤツ、全部持って来いや」


 キャーとキャバ嬢たちが囃したてる。


 拍手喝采である。


 その横でアキラがどさくさに紛れて女の子たちの尻に触れていた。


「あ、兄貴、俺一生兄貴に付いて行きますから」


 アキラはそう言ってまた尻に手を触れた。


 アキラの眼は座っていて、呂律が回っていない。しかし手はしっかりと隣の娘の太ももの上に置いて居る。


「よっしゃ、じゃあ次行こか」


 その店での勘定は400万くらいだった。


 ヴィトンのカバンから、現ナマの札束を放り投げるようにして支払った。


 その場の空気が一瞬凍り付いた。


 アキラなど、隣の女の子の無防備な尻を触るのも忘れて、次郎のカバンを凝視していた。


 その日はアキラを連れて、約束通り朝まで飲み歩いた。


 一千万円近く飲み代で使ったかもしれない。


 朝になりお開きとなる頃、アキラが3か月分の家賃を貸してくれとせがんで来たが、それは断った。


 それは違うのだ。


 傍から見ると、どうでも良いお金を何百万円も使うくせに、困っている人の数万円は出せないのかと思うだろう。


 しかし、次郎の考えは違うのだ。


 アキラは、家賃が払えなくて困って居るのではない。


 払えたのに払わなかったのだ。今も貧乏だが働こうとしない。


 働けるのに働かないのだ。


 家賃を払わず、パチンコに使うのだ。


 追い出されるのが分かっているのにである。


 金があるから偉いのではない。そんなものはたまたま運がよく、転がって来ただけなのだ。結局はその金を得たことで、捕られるかもしれないのである。


 捕られたら刑務所に行かなければならないのだ。


 己の人生を削って、己のしたことのケツを拭かなければならないのである。


 と言うならば、この金は己の命なのだ。自分の楽しいことには幾らでも使う。


 しかし、いい加減な人間の借金などには、びた一文使うつもりはない。


 そんなことに自分の命を分け与えるバカは居ないだろう。


 少なくとも、次郎はそう考えて居る。


 アキラには次郎のそんな気持ちは分からないだろう。


 分からないなら別にそれでも構わない。


 次郎が今日アキラを飲みに誘ったのは、ただの気まぐれなのだ。

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